昔からある、「熟年不倫」という言葉。事務所を退社した小泉今日子がきっぱりと不倫宣言をしたことに注目が集まったが、これまでも40代、50代以上の不倫はほうぼうで取り沙汰されている。
点火を待つ焼けぼっくい
これまでも芸能人の熟年不倫は何度も報じられてきた。80年代に青春を過ごした層にとっては永遠のアイドルとも言えるキョンキョンの不倫宣言も、世間からそこまで驚きを持って受け止められたようにも感じない。
そもそも人はなぜ熟年不倫にハマってしまうのか。中年以降は家庭や仕事が安定し始める時期だが、その安定を土台にして、「禁断の恋」に一歩を踏み出してしまうのだろうか。
熟年に達して以降始まる不倫の中で、始まり方の鉄板とされるのが同窓会である。Aさん(46歳男性)の不倫劇も、同窓会がきっかけとなった。
「彼女は高校のとき同じクラスで、付き合っていた元カノでした。自分の上京を機に疎遠になって…とありがちな流れを踏襲して破局。卒業後に初めて会ったのは30歳を過ぎてからだったと思います。地元での同窓会だったのですが」(Aさん)
その日は和やかなまま終わったそうである。
「『どんな女性になってるかな?』という好奇心や、久しぶりに会う緊張などもありましたが、まさかあの日をきっかけによりを戻そうなどというつもりはなかった。人づてに結婚したことも聞いていましたし、再会したからといって恋心が再燃するということもなかった。その日彼女とは挨拶と簡単な世間話を交わしただけです」
その後も同窓会は不定期に開催された。Aさんと元彼女の女性が不倫関係に陥ったのは、Aさんが参加した3回目の同窓会のときのことだった。このとき2人は43歳、Aさんもだいぶ前に結婚し、一人娘は高校生になっていた。
「同窓会1、2回目のときは彼女とはほぼ話していませんでした。出席率がわりといい会だったので、ほかに話したい友人もたくさんいましたし、元カノということで恥ずかしさのようなものもあって彼女とは少し距離を置いていました。
3回目に出席したとき、たまたま彼女の席が近かったのです。『お互いすっかりおじさんおばさんになってきた』といった話をしたのを覚えています。さすがに二十何年経っていたからか気まずさのようなものはなく、懐かしさが大きかった」
さらにつまびらかに、Aさんは自らの心中をこう語った。
「かつて体の関係があった相手だからか、『もう一度触れたい』といった欲求がかなりリアルな形で迫ってきました。『この人と関係を持ってみたいな』と思う女性には日常でたまに出会いますが、あくまで実現する可能性のない空想のようなもので、世の男性って多かれ少なかれそんな感じだと思います。
しかし元彼女が相手となると違いました。昔好きだったということもあります。今でも年相応に魅力的だし、なんというか……気安さがあったんですよね。それは向こうも同じだったかもしれません。その日彼女とは連絡先を交換して別れました」
半年後、Aさんは出張で地元近くの都市に赴くことになる。Aさんはあらかじめ彼女と連絡を取り、会う約束を取り付ける。かくしてAさん出張のその夜から2人の不倫関係がスタートした。Aさんにとって初めての不倫であった。
「元彼氏、元彼女という気安さが、普段なら尻込みしてしまう不倫の垣根を飛び越させてしまう、ということはあると思います」
「加えて、『もう一度触れたい』という懐かしさに通じる強い欲求も、昔付き合っていた相手にだからこそ湧いてくる類のものです。同窓会はそうした相手に再会する可能性のある、熟年不倫のススメ的な鉄板の集まりかと思います」
Aさんと相手の女性は互いに離れた距離に住んでいるということもあり、年に1、2度のペースで逢瀬を重ねているそうだ。
「この人だ」というのは思い込み?出会ってしまった運命の相手2人目
Bさん(47歳女性)は、つつがない半生を送ってきた。
「夫と出会うまでいくつかの恋愛を経験しましたが、夫ほど好きになれた相手というのはいませんでした。夫と初めて会ったとき、今までそんなふうに思ったことなかったのに『この人だ!』と思いましたし、付き合ううちに確信をどんどん深めていったのです。だから『運命の相手』と思える夫と結婚できて、私は本当に幸せだと思いました」(Bさん)
子どもたちもかわいかった。人並みの苦労をしながら順調に子育てをこなしていったBさん。夫とはセックスレスになって久しかったが、それを含めて夫に別段不満を抱くことはなかった。Bさんの生活にはときめきや刺激こそなかったが、安穏たる幸せに満ちていたのだった。
転機は子どもたちが家を出ていったことである。上の娘は就職のため、下の息子は大学入学のため、Bさん夫妻の住む実家をあとにして一人暮らしを始めた。賑やかだった家が途端に空虚に感じられるようになった。
「生活の変化や気が抜けたことでうつ病をわずらうケースがある」と知人から聞いたBさんは、「このままではよくない」と思い、手始めに近所のフィットネスクラブに通うことにした。「最低週に3回通う」と目標を立て、生活に張りを持たせようとしたのである。