火災は事前の防火体制ももちろん大事ですが、万が一発生した場合、速やかな対応と事前の訓練、装備・設備の活用などで制圧できる2次災害です。人間でも、唯一防げる災害である火災にはどう対処したら良いのでしょうか。

リスク対策.comの人気コラム熊谷仁氏の『防災オヤジーズくま隊長の「知らないとキケンな知識」』より紹介します。

 大地震が発生すると建造物の崩壊、家具の転倒、津波や河川津波、土砂崩れ、火災などが引き起こされ、それによって人命が失われるわけですが、地震だけではなく、毎年のように、台風や豪雨による洪水・土砂崩れ、火山噴火などでも多くの犠牲者が出ています。そして、自然災害だけでなく住宅や工場、建設現場での出火による大規模火災も相次いでいます。

 こうした災害について、私たち人間は、2つの段階で被害を減らすことを考えなければなりません。

 1.災害が起きる前(リスクのチェック)
 2.災害が起きた後(ダメージコントロール)

 です。

 例えば、災害が起きる前にできることは、災害が起こる場所に行かないことや、災害による被害をできるかぎり少なくするように、事前に想定できる被害が起きないようにすることが考えられます。

 そんなことできるの!? といきなり難しく考えないでください。

 極端な話ですが、地震が起きる地域にいなければ、地震被害には遭いません(日本ではどこにいても地震から逃れることはできませんが、断層の上に住むのと住まないのでは大きく違います)。川の近くに住まなければ洪水にはあいません。山の近くに住まなければ土砂崩れにもあいません。火を使わなければ火災は起きません。

「君子危うきに近寄らず」というように、危険な場所に近づかないのは、どんな災害でも基本的な対策となります。

もちろん、すでに家が危険な場所に建っているなど、こうした回避策が無理なケースでは、被害を減らすようにする努力をするしかありません。

「青信号」でも危険と思えば渡らない

 被害を減らすということは、地震なら、建物の倒壊や家具の転倒という被害が考えられるわけですから、発災前に耐震補強や家具の転倒防止などの策を施せば、その被害は無くせる、あるいは少なくても被害は少なくすることができます。

 洪水により浸水することが分かっているなら、大切なものは2階の浸水しない場所においておけば1階においておくよりは、被害にあう確率は減ります。

 このように、可能な限り、起きそうなことを想像して、それに事前に対策を打てるかどうかが、鍵を握るわけです。今年6月に発生した大阪府北部の大地震により高槻市の小学校でブロック塀が倒壊し、通学中の9歳女児が下敷きになり死亡した事例は事前の対策により防げた事故ですから、残念でなりません。

 こうした被害を想像しやすいようにするために、震度予想図やハザードマップがあるわけです。

 一方、災害が起きた後については、被害に遭わないように、より安全な場所に逃げること、被害によりライフラインが途絶しても生活が困らないように備蓄をしておくこと、などが挙げられます。

 ですから、

(1)その土地のリスクを調べて安全な場所や避難場所を確認する(ハザードマップなどの確認)

(2)安全を確保したり避難場所まで移動する訓練をする(避難実地訓練の実施)

(3)危険な情報になったら、早めに避難を実行する(避難の徹底)

 これが、自然災害から命を守る3カ条になります。

 避難したけど、結果的に何の被害も無かったら?

 結構なことじゃないですか。空振りになっても大いに結構です。危険と思ったら、とにかく避難しましょう。「赤信号皆で渡れば怖くない」じゃなく、「青信号でも、危険と思えば渡らない」のが正解です。

 ただし、地震も大雨も、人間の力で発生を防いだり、被害を完全に抑えられるわけではありません。ところが火災は事前の防火体制ももちろん大事ですが万が一発生した場合、速やかな対応と事前の訓練、装備・設備の活用などで制圧できる2次災害です。

 逆に、初動で鎮火に失敗すると延焼して被害がどんどん拡大してしまいます。阪神淡路大震災の被害を思い出してください。火災は人間が唯一防げて、コントロール可能な災害なのです(だから防火防災なのです)。

昭和のバケツリレーに秘訣あり

 さて、昔の日本(江戸時代)は、火災が頻発していました。

 建物も木材、紙、畳、茅葺など燃えやすいものばかりで作られていたわけです。囲炉裏に火鉢、七輪に竃(かまど)、行燈に提灯、全て裸火使用です。火事を起こしてくれと言わんばかりです。

 そんな時代の消火方法は火災を消すのではなく燃え広がる前に防火帯を作る破壊消火でした。鳶口やさすまた、大木槌などで燃え広がる前の家をぶち壊して延焼を止める方法です。

 当時は水道などないわけで水が貴重であるためほとんど水による消火はなかったようです。

ちなみに、さすまたは防犯用ではなく火災時の破壊道具として使われることもありました。

 ですから、消防署の地図には、さすまたのマークが使われていますよね。

 えっ、これは人間の股でも、ウサギの口でもありません、さすまたの形を表しているんです!!

 のちに雨水などをためておく防火水槽が配備され、この時期からバケツリレーによる消火方法も始まったんだろうと推察されます。

 バケツリレーは昭和の太平洋戦争時までかなり有効な消火方法でした。

 狭い長屋であけっぴろげの生活空間、向こう三軒先まで何をしているのかわかる環境だと「わー火事だ」の一言で隣近所から人が集まりすぐに消火体制となるわけです。

「平成が終わろうとしている今、昭和の話をされてもね~」なんて馬鹿にしないでくださいね。

 実は、このバケツリレーには火災発生時の基本ばかりか、災害対応の要諦が詰まっています。

 火災が起きたら「火事だー」と叫び人を集める。そして、火源が小さいうちに消火を開始。バケツリレーで大量の放水。戦時中は町民全員が消防団員で、俺は関係ねぇーなんて人はおらず、朝でも昼でも夜でも夜中でも、誰でも消火活動にあたれたわけです!さらに被害にあった家は、皆で建て直して負担が一部の被災者にだけ集中しないようにしたと言われています。

 大雨が降っても、きっとバケツリレーがうまくいく町内会は被害が少ないのではないかと思います。

「大雨が降るぞ、逃げるぞ!」と皆で声をかけあって、避難所に皆を集めて大雨が収まるのを待つ。こういうコミュニティの大切さを象徴するのがバケツリレーだと思います。

>>(下)に続く

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