パンプス着用の義務付けに異を唱える#KuTooが話題となっている一方で、小さな声ではあるが、#SuTooを訴える声がある。スーツやネクタイの着用に対する疑問の声である。

実際、これから迎える真夏の通勤電車において、スーツ着用は地獄でしかない。#SuTooに対する意見をアラフォー男性に聞いた。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)

スーツ・ネクタイの着用が義務の職場
現場の男性らはどう感じているのか

 今年に入ってからのことであるが、Twitter発信で「#KuToo」という運動が始まった。これは「クツー」と読み、「靴・苦痛・#MeToo(セクハラなどの被害体験を告白・告発する際にSNSで用いられるハッシュタグ)」をかけて造り出された語である。

「働く女性に対してハイヒールやパンプスの着用を義務付ける職場があることが疑問。健康被害もあるので革靴などを選べるようにしてほしい。

義務付けは性差別ではないか」というのが#KuTooの訴えだ。

 この運動は広がりを見せて、6月には“ハイヒール着用義務付けの禁止”を求める約1万9000人の署名が厚生労働省に提出され、同省大臣をはじめとする関係者はこの訴えに理解を示す姿勢を見せている。

 すると、次に#SuTooという運動が始まった。

 概要は「男性も職場でスーツの着用を義務付けられているのはおかしい」というもので、SNS上では「#KuTooも#SuTooもすごくいい。おかしいことは『おかしい』と声を上げて既成概念を改良していこう!」という歓迎の声が聞かれる。

 一方で、女性の#KuToo運動家に対して「男もスーツ義務でつらいんですよ。

男のツラさは無視ですか?」と感想を漏らす、あるいは意見する男性が散見され、「だから何ですか?愚痴を言ってる暇があるならあなたも#SuToo運動がんばればいいじゃないですか」と女性側から煙たがられ、問題の枝葉の部分で男女が対立するまでに至っている。

 しかしこの#SuToo運動の方は、一応始まってはみたものの#KuTooほど盛り上がっていないのが現状である。

 この手の運動は問題に強く直面させられている立場からか女性の方がエネルギーを発揮して推進する傾向があるが、#SuTooの微妙さかげんはただ「男性に運動を推進するエネルギーがない」という男女の性差に基づくだけのものなのか、あるいはスーツを苦痛と思っている男性は実のところそれほどいないからなのか。

 そこで“スーツ・ネクタイの着用について”として、アラフォー男性の現場の声を拾ってみたので、これを紹介したい。

 勤続20年近くの面々であるから、彼らの常識がすでにそれなりにその会社の常識に染められていることを念頭に読み進めていただきたい。すなわち#SuTooの声が上がるまでの従来の常識、“スーツ着用が義務”なる常識にある程度慣らされた人らの声である。

「スーツは嫌じゃない」
着用義務を苦痛に感じない人たち

「別にこのままでいい。夏場の通勤は暑いけど。長年これでやっているから違和感がない」(Aさん/38歳男性/SE)

 まあAさんのように、アラフォー男性には「積極的には特に変化を望まない」という人が多かった。これは想定内である。

「私服を毎日考えるのは面倒なので、スーツとネクタイで決まっていた方がありがたい」(Bさん/40歳男性/コンサルティング)

「私服は女性から『ダサい』と陰口たたかれそう。うちの職場だと女性職員と女子生徒から言われそうで怖いから、スーツがいい」(Cさん/37歳男性/塾講師)

 私服勤務の方が、種々の観点から負担が大きいのではないかと危惧している人らもいるようである。

 男性にとって女性の陰口というのは恐ろしいもので、暗闇に幽霊が隠れているのではないかと怖がるのに似ていて、勝手な幻想を抱いて怖がっているだけだから、要は本人の気の持ちようなのだが、たまに本当にそこに幽霊が隠れていたりするからやはり警戒を解くことはできず、結果、常に幽霊を恐れて生きていかねばならない。

 胆の芯から余程豪快な人物でない限りこの恐怖を振り切ることはできず、「耳毛と鼻毛の生え方の豪快さはこの人の右に出る者はいない」と陰で評されているおじさんでも、女性の陰口は気になるものなのである。

 特に、服装は女性がやり玉に挙げやすい格好のネタであり、スーツ勤務の廃止を唱えることは自ら虎穴に入るのに等しい、と考える人は一定数いる。

 スーツの着過ぎで身体の一部になってしまっているような、Dさん(41歳男性/メーカー)という人がいる。夏に帰宅してもジャケットを脱がず、風呂に入るまでネクタイも緩めずその格好でいる。

 週5日勤務なのに、週3日はスーツを着たまま朝までソファか床で爆睡する。

スーツの表面はテカリにテカってもはや神々しく、妻と娘からひどく嫌がられている。Dさんの表皮は肌かスーツかという塩梅(あんばい)なのだが、彼はスーツ・ネクタイについてどのように思っているのであろうか。やはりスーツが好きなのか。

「好きも嫌いも特には…。そりゃスエットの方が楽だけど、スーツを脱ぐ手間を考えると億劫(おっくう)で、『風呂に入る時にどうせ脱ぐから』と思ってそのままでいることが多い。帰宅してから着替えるとなると、風呂に入るまで『スーツを脱ぐ→スエットを着る→スエットを脱ぐ』だけど、着替えないでいれば『スエットを着る・脱ぐ』の手間が省けてお得ですよね」(Dさん)

 しかし帰宅後は、ジャケットを脱いでネクタイを外すくらいしてもよさそうなものである。

「まあジャケットを着たままでいても、別にそこまで嫌ではありませんからね」

“ジャケットを着たままでいる不快感”と“ジャケットを脱ぐ手間”を天秤(てんびん)に掛け、前者の方がストレスが少ないというのがDさんの判断らしい。

 ちなみに筆者は#SuToo運動を否定しているわけでも、世論操作を試みようとしているわけでもなく、#SuTooに興味を示さなさそうな急先鋒としてDさんを紹介していることを了解いただきたい。

 スーツで朝まで寝る件についてはどうか。

「それはもう、『やっちゃったな』という後悔です。スーツのまま寝落ちしてそうなってしまうのですが、『また妻から叱られる』とちょっと思います。

 妻は『着替えて、ちゃんとベッドで寝た方が疲れが取れる』と言うんですが、これについては半信半疑です。そうなのかなあという気もしますが、今までなんとなくこれで生きてきているんで、まあ着替えようがたいして変わらないんじゃという気も」

 体の快・不快の判断について良く言って鷹揚(おうよう)、悪く言って鈍感であるDさんのような人にとって、スーツのストレスは少ない。この調子で自己だけでなく外部に対してもドシンとズルッと構えているので、#SuToo運動のことを教えてみても「そうですか」とあまり興味がなさそうな様子であった。

 スーツ着用義務があっても問題ナシと捉える人たちは、“スーツが好き”なわけではなく、“スーツでも嫌じゃない”という温度感である。

>>(下)に続く