上司との面談や他者評価も一切なし。月に1度のミーティングで今月分の頑張りから自分の給与を自己申告し支払われる、珍しいモデル「雰囲気給与」。

この一風変わった人事制度を創業時から取り入れているのが、スタートアップ企業のクラウドネイティブだ。一見、成立しなさそうな制度だが、実態をみると社員のパフォーマンスは上がっている。その裏には、人間の集団心理を突いた狙いがあった。(ダイヤモンド編集部 塙 花梨)

 情報システム部門のコンサルティングを手掛けるクラウドネイティブの社員の給与は、テレビ会議を通して毎月(年12回)実施される全社員ミーティングで決まる。会議が始まる前に社員は欲しい給与をスプレッドシートに入力しておき、会議で1人ずつ申告額を確認していくのだ。

「面談も評価もありません。個々の自己申告だけで給与を決めています。60万円と言われれば60万円出しますし、3000万円と言われれば3000万円出します。現在12人の社員がいますが、うまく回っています」(クラウドネイティブ代表取締役の齊藤愼仁氏)

 スプレッドシートは全社員で共有しているため、どの社員がどれだけの給与をもらっているか、常にオープンになっている状態だ。

上司部下も評価もない自由形組織

 クラウドネイティブは、2017年5月に創業し、企業の情報システム部門のコンサルティングや設計・開発を手掛けるITベンチャーだ。六本木にあるコワーキングスペースをオフィスにしているが、基本的にはフルリモートワークを推奨している。そして、前述した自己申告制度を「雰囲気給与」と名付け、創業時から実施している。

「雇い主と雇用者という関係はあっても、雇い主である私が他人の給料を決めたくなかった。雇い主が決めるとなると、本音を言えば最低賃金を提示してしまう。そのため、『欲しい金額を教えて』と社員に言い出したところから始まりました」(齊藤氏)

 また、評価制度がないのにも理由がある。

「上司部下の関係を作りたくなかったんです。自分自身のこともよく分かっていないのに、他人を評価できるわけがないという考えからです」(齊藤氏)

“危機感”のある厳しい制度

 上司部下の関係も存在せず、評価もない。さらに給与は自己申告で決まる。一般企業に慣れている人からすれば特異に感じられるが、社員からの評判は上々だ。創業メンバーの1人は「雰囲気給与は、自分に危機感を持つための良い制度だ」と推す。

「前職は、高く評価されると給与のベースが上がる仕組みでした。そのベースは翌月すぐに結果を出さなくても維持されるので、サボっていても給与はもらえ、安定と安心感がありました。それに対して雰囲気給与は、会社や上司に評価されるのではなく、自分で自分の評価をしなければなりません。自分が本当に結果を出せたのか、顧客に価値を提供できたか、いくら稼げたのか。

本当の意味で意識するようになるんです」(創業メンバー)

“給与を決める”という過程を通して自分を評価することで、突き詰めて自分の市場価値を考えるきっかけになるのだ。

「自分が申告した金額を、ほかの社員がどう見るのか考えていくと、給与を2万円上げる根拠なんて曖昧であることに気付きます。“結果を出し続けなければならない”という危機感を常に持ち続けられる」(創業メンバー)

コミュニケーションの“オープン化”が重要

 自分の成果や市場価値と向き合える「雰囲気給与」だが、うまく運用できている理由の1つは、クラウドネイティブが少数精鋭の組織であることだ。組織が大きくなると、部署や組織ごとに役割や評価基準が変化することも考慮して、細分化やガバナンス強化が必要になる。

 もう1つの理由は、オープンなコミュニケーションを徹底していることだ。フレックスでリモートワークを推奨している勤務形態から、常にコミュニケーションツール『Slack(スラック)』を使っている。どこにいても、誰がいつ何をやっているのか、常にわかる状態を作っているのだ。

「Slackでお互いの行動を知っているから、給与を決める際も基本的に納得のいく金額しか申告しません。逆に、自分の動きを知ってもらわないと、給与提示の際にほかの社員からの納得感が得られないので、自然とアウトプットを意識するようになり、仕事の質が上がります」(齊藤氏)

 通常1対1で行われがちな新人教育でも、オープン化を徹底している。

「新人教育がうまくいっていない場合、先輩社員は『教え方が悪い』と言われ、新入社員は『覚えが悪い』と言われてしまいます。これは、やり取りが密室化していて、外から実情がわからなくなっているせいで起こる。そこで私たちは、やり取りをすべてオープンにして経過も追えるようにします。

その中で問題が発生したら、ほかの社員が手を差し伸べるカルチャーが自然とできていくんです」(齊藤氏)

 この過程を社員全員が見ることで、結果として、納得感のある雰囲気給与の金額決定につながる。同時に、自分で自分の給与を決めようとすると、自然と他の人の仕事も気にかけるようになる効果もある。

 4月に入社した新入社員も効果を実感している。

「一緒の空間にいても、隣が何をしているかわからない組織もある中で、当社はすべて見えている状態。自分の評価を裏付けするためにちゃんと報告するようになります。また、評価はありませんが、他の社員の仕事ぶりを見て、『もっともらっていいんじゃないか』と意見が出ることもあります」

雰囲気給与が成立する裏にある「社会心理」

 人間は、ひとりでは仕事はできない。社会に属している時点で他者との信頼関係を元に成り立っている。この制度は、こうした人間の社会心理をうまく突いた構造になっているのだ。

「雰囲気給与には選択権があります。妥当な金額を提示して、納得感のある給与をもらい社員との信頼関係を保つか、高い金額を提示して、ほかの社員との信頼関係を崩してでも給与が欲しいかとの天秤なのです。たとえ高額を提示したとしても、社員全員が納得できるほどその社員が結果を出していれば、信頼関係は維持されるということです」(齊藤氏)

 実際に運用してみると、高額を提示する社員だけではなく、さまざまな金額を提示している社員がいることがわかった。

 例えば、「先輩の給料が、自分の希望する金額より低い」という相談があり、先輩の金額はそのままで、後輩の給料をアップさせたケースや、週3勤務にしたいからという理由で「給料も下げたい」と申請したケースがあった。

ほかにも、営業担当者は年間予算を達成したときにインセンティブ形式で金額を上げるというスタイルをとっている人がいたり、家庭のために、あえて給与を変動させない人もいる。

 2000人規模の大企業出身の社員は、「前職は働いた時間に対して支払われる仕組みだったので、効率よく働いて定時で帰る人は評価されませんでした。今は、どうせやるなら効率よく仕事して自分の時間を作ろうという気持ちで仕事ができている」と語る。

 個が尊重され、多様性が求められる時代だからこそ、自分の仕事も働き方も、そして給与までも、自分で考え、デザインしていく時代なのかもしれない。

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