通称“是銀”で親しまれ、1992年に95歳で亡くなるまで活躍した投資家、是川銀蔵。彼の成功事例は、30億円の利益を手にした日本セメント(現太平洋セメント)株、200億円の利益を手にした住友金属鉱山株への投資など、枚挙に暇がない。
一般的には“一か八かに懸ける相場師”のイメージが強い是川であるが、実像はそのイメージとだいぶ違うようだ。まず、彼は非常に正義感が強い慈善家であり、人の道に外れる金儲けを強く批難し続けた。自分が株で儲けたお金については、そのほとんどを奨学財団に寄付してしまい、自らは一文無しに近い状態で亡くなったという。
また、彼は努力、想像力、そして行動力の人であった。常に真面目に勉強し、さまざまなアイデアを発想し続けた。そして、興味を持った銘柄があると、すぐに自分の目で確かめに行くなど行動を起こした。
31歳で経済を猛勉強。これが大成功の礎に是川の投資手法の肝は「経済動向を見通すこと」。その意味で、彼の成功の原点は31歳(1928年)の時にあった。彼は若い頃から事業に熱中していたが、この頃、昭和恐慌に巻き込まれて会社を倒産させてしまう。今よりも遥かに酷いデフレと金融恐慌の時代であったのだ。
そこで是川は人生をやり直すにあたり、まず徹底的に経済を勉強し、経済の先行きを考えることにした。
自分を経済破綻に追い込んだ金融恐慌とは何であったのか、そして、今後どういう社会になるのか。そのことが自分の頭で整理できないうちは、どんなに努力して事業を再開しても、致命的な失敗を繰り返してしまうかもしれない。そんな思いが彼にあったのだ。
それから彼は、毎日図書館に通い、主な経済学の本を読み漁り、さまざまな経済データを研究する日々を過ごした。
徹底したデータ重視で経済の流れを読む3年間の勉強の末に是川が得た結論は、「経済は波動のように変化していく」ということだ。たとえば、蒸気機関や鉄道など新しい技術により、経済は新しい状態に移行しようとする。その際、打撃を受ける産業などもあり混乱が起こるが、やがて、大きな上昇線をたどり始める…。そのように、上昇・下降を繰り返しながら、経済は発展していく。是川が経験した昭和恐慌も、まさにそうした中の混乱のひとつであったのだ。
そして、経済は最悪の状態の中に好転する兆しが芽生え、ピークの時に下降に転じる危険性が芽生えるものだが、そうした兆候をいち早く見つけることが、ビジネスや株で成功する秘訣になる。そのために是川が重視したのはデータ分析だ。
たとえば是川は、「1933年4月に米国が金本位制(通貨と金の交換を保証する仕組み)を停止する」ことを事前に的中させた。
是川は、これ以外にも多数、株式市場や経済の流れを的中させて成功を重ねていった。景気変動だけでなく、政策転換や戦争勃発などの事象まで的中させ続けたことで、一度は大蔵大臣を要請されたほどだ。
このように、経済データを読み解くことは、いつの時代でも大変な力になるはずだ。そのためには、まず、為替が動く仕組みや、景気が変動する仕組みなど、自分が納得できるまで経済を勉強してみよう。その上で、どの経済データがどのような意味を持ち、どのように株価を動かす要因になるのかを自分なりに研究してみよう。(次回につづく)
(文・小泉秀希)