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素行の悪い従業員をクビにしたら、不当解雇で裁判所(労働仲裁所)に訴えられた。仲裁所から召喚状が来て事情聴取が行なわれた後、裁判官が会社の担当者を呼び止めた。
会社に持ち帰って上司と相談すると、「1000ドルは高いから600ドルに負けてもらえ」と指示された。裁判官と再交渉して、650ドルで「解雇正当」の判決を得た。
すると元従業員は、上級仲裁所に控訴してきた。担当者はこんどは上級仲裁所の裁判官から、「判決がほしいなら1000ドル払え」といわれた。そこでまた値引き交渉が始まったが、こんどは750ドル払わされた。
ところが、いつまでたっても判決が出ない。しかたがないので督促にいくと、裁判官は、「あの従業員は暴力沙汰を起こしかねないから判決は出しにくい。ここは示談で解決してはどうか」という。
不審に思って調べてみると、元従業員の親戚が上級裁判所とつながりがあることがわかった。これではいつまで待っても判決は出ないので、元従業員に高額の和解金を払って示談せざるを得なくなった……。
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にわかには信じられないかもしれないが、中原洋『腐敗と寛容 インドネシア・ビジネス』(東洋経済新報社)に出てくる実話だ。「判決をカネで買う」という話はときどき聞くが、「カネを払ったのに判決が買えない」こともあるのだ。
新興国では常に汚職が問題になる。東南アジアでも、シンガポール以外のすべての国で贈収賄が当然のように行なわれている。ここでインドネシアを取り上げるのは、スハルト独裁政権の崩壊(1998年)と民主化によって、その実態が明るみに出たからだ。
『腐敗と寛容』から、いくつか汚職の例を挙げてみよう。
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入札に不正があるとして、検察庁から呼び出しがきた。公共事業ならともかく、指摘されたのは私企業同士の入札で、不正など起こりようがない。
だが何度説明しても検察官は納得せず、社内の関係者を呼び出してはまる1日かけて尋問する。インドネシアでは、検察官は事件を調査したうえで事情聴取するのではなく、証拠がなくても訴えさえあれば関係者を呼び出すことができるのだ。
訴えたのは、入札に落ちた業者だった。その後、当の業者から接触があり、自分と検察官に3万ドルずつ払えば訴えを取り下げるという。検察官からは、「和解しなければ社長を召還・拘束する」と脅された。
このときはさすがにあまりに理不尽なので、「召還にはいつでも応じるが、そのかわりすべての経緯を政府、国会、マスコミに公表する」と社長も腹をくくった。
それを検察官に伝えると、なにもいってこなくなった。
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車を盗まれたので警察に届け出たら、3日後に「見つかったから取りにくるように」と連絡があった。
ほとんど諦めていたので、喜び勇んで警察署にいくと、「捜査費用2500ドルを払わなければ車は警察で没収する」といわれた。中古で売れば5000ドルになるのだから、それを折半すべきだという理屈だ。
この車は盗難保険に入っていて、保険会社の査定で3500ドルの保険金が下りることになっていた。だったら、2500ドル払って中古車を取り戻すより、保険会社から3500ドル受け取った方が得だ――そう考えて難問に気がついた。保険金を請求するには盗難届けが必要なのだ。
そこで警察に相談すると、盗難届けは500ドルだという。けっきょく、自分の車が目の前にあるのに500ドルで盗難届けを出してもらい、保険会社から差し引き3000ドルを受け取ることにした。もちろん、発見された盗難車は警察のものになった。
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会社に税務調査が入り、8万ドルの申告漏れがあるとして、問答無用で支払い命令を出された。不服を申し立てることもできるが、結論が出るまでに2~3年かかる。
困り果てて税務署に相談にいくと、「追徴額は7000ドルに負けてやるから、そのかわり俺の口座に7000ドル振り込め」という。これではあまりにもヒドいと調べてみると、その7000ドルは税務署職員が着服するのではなく、税務署長以下の関係者で分配するらしい。
それならしかたがないと、1万4000ドルを支払う旨を伝えると、税務署職員から、「国に納めるのは2000ドルにするから、残りの1万2000ドルは税務署に払え」といわれた。
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ある会社が、州議会の公聴会に召還された。といってもなにか問題があるわけではなく、たんなるヒアリングだ。20名の議員と、20名の報道関係者が出席するという。
議会事務局からは、出席予定の議員と報道関係者1人当たり20ドル、合計800ドルの日当を用意するよう告げられた……。
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どれもこれも荒唐無稽な話ばかりだが、なぜこんなに汚職が蔓延するのだろう。誰もが指摘するのは、公務員の給与が安すぎることだ。
『腐敗と寛容』には、大統領の月給が3300ドル、大臣・最高裁判事・軍司令官・国会議員クラスで600ドルから1000ドル、州知事・県知事クラスで200ドルか300ドル、一般公務員の最低者で17ドル、という現地の新聞のデータが紹介されている(ジャカルタ・ポスト2000年1月14日付)。
インドネシア以外でもこうした事情は同じで、フィリピンではノイノイ・アキノ大統領が給与明細を公表して話題になった(2010年6月)。大統領の月給は手取り6万3000ペソ(約12万4000円)だった。
タイでは、タクシン政権になって取締りが厳しくなったことに怒った風俗店経営者が、警察関係者に支払った賄賂の額を地元紙に公表するという事件も起きた。警察官の給与はソープランドなどの風俗店が支払っていたのだ。
インドネシアで汚職がなくならないもうひとつの理由は、ゴトン・ロヨン(助け合い)の精神だ。
インドネシアでは、上の者(親分)が下の者(子分)の面倒を見るのが当たり前とされている。先の税務署の例に見られるように、汚職は私服を肥やすためのものではなく、行政機関の行なう“事業”で、そこで獲得された富は関係者に広く分配される。国家が機能していないから、所得の再分配を自分たちでやっているのだ。
東南アジア地域研究の泰斗・白石隆は、汚職のいちばんの原因はスハルト政権の長すぎた独裁だという。
共産主義に傾斜するスカルノに危機感を抱いたスハルトは、軍事クーデターを機に政権を奪い、1967年から30年以上にわたってインドネシアを統治した。その治世は、50万人ともいわれる共産党員の大量殺戮などで血に汚れる一方で、多民族国家インドネシアに政治的安定をもたらし、開発独裁によって経済成長を実現したとの評価もある。
だがクーデターの第一世代が去り、スハルトの子どもたちが成長すると、スハルトは国家を私物化し、大規模なファミリービジネスを行なうようになる。それを見た州や県、地方の村の権力者も、“ミニスハルト”となって利権を貪るようになった。独裁者の腐敗が、国家規模のモラルハザードを引き起こしたのだ。
以下で紹介するふたつの例は、白石隆『崩壊 インドネシアはどこへ行く』(NTT出版)からのものだ。
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スハルト時代の末期には、国営企業の保有していた土地が、なんの記録もないままに民間企業のものになっている、という事態が頻発した。たとえば北スマトラでは、国営の農園会社が経営していた12万ヘクタールの土地が、わずか7、8年で4.5万ヘクタールになってしまった。7.5万ヘクタールの土地は入札もなしに売却されたが、いくらで売ったのか、その金はどこにあるのか、なにひとつわからない。この土地を手に入れたのは、スハルトや州知事、県知事のファミリー企業や関係者だった。
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スハルトが倒れ民主化が始まると、インドネシア各地で村長のつるし上げが始まった。中央政府から下りてくる開発資金や村の財政田の売却代金の行方がわからなくなっているのだ。
インドネシアでは、村長に当選するにも多額の金がかかる。都市に近いほど必要な資金は多くなり、たとえばジャワ島の古都ジョグジャカルタ郊外の村では、立候補の資格試験に3000万ルピア、選挙運動に2000~3000万ルピアかかるという。
インドネシアでは、公職に立候補するには資格試験を受けなければならないが、このとき県知事や地区軍管区司令官などに付け届けをしておかないと合格できない。選挙費用というのは、有権者に投票を依頼する“実弾”のことだ。
村長選にかかる費用は5000~6000万ルピアで、スハルト時代の為替レートだと日本円で250万~300万円に相当する。
1979年、地方自治法が改正されて、村長の任期が8年になった(それ以前は終身)。当選した村長は、限られた期間で借金を清算し、蓄財しなければならない。そのためにかなりの無茶をしているから、後から「あのカネはどこに行った」と問い詰められても答えようがないのだ。
各地の村で村長をつるし上げたのは、改革派や左派の活動家・学生たちだが、中心になったのは村長選で落選して利権に与かれなかった村の有力者だった。
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2004年、インドネシア史上はじめて民主的な選挙で大統領に選ばれたユドヨノは、KKN(腐敗・癒着・縁故びいき)の撲滅を最重要の目標に掲げた。
IMFから援助を受ける条件として「統治」「透明性」「説明責任」を要求されたこともあるが、こうした外圧だけでなく、インドネシア国内でも、この悪弊を断ち切らなければ国の発展はないという合意が生まれていたからだ。
こうして2003年末に、独自の捜査権と公訴権を持つ「汚職撲滅委員会(KPK)」が発足し、国会議員や州知事、前閣僚や中央銀行役員ばかりか、警察、検察、裁判所にまでメスを入れ、国民の喝采を浴びた。
ところがその後、事態は一変する。2009年、汚職を取締るKPK委員長が殺人事件の黒幕として警察に逮捕され、一審で禁固18年の有罪判決を受けたのだ。委員長は「はめられた」と主張し、謀略を証明するようなスキャンダルも起きた。KPK副委員長2人も収賄容疑で警察に逮捕されたのだが、それが捜査対象の企業家が捏造したものだと明らかになったのだ(佐藤百合『経済大国インドネシア』〈中公新書〉)。
スリ・ムルヤニはアメリカの大学で財政学の博士号を取得した女性経済テクノクラートで、ユドヨノ政権で大蔵大臣に起用された時は弱冠43歳だった。彼女は汚職追放のため、利権の集中する租税と関税の総局長ポストに自分と同じ学者をあてるなど大胆な改革を進めたが、そのさなか、租税局不服申立て・訴訟局の一職員が、月給12万円ほどであるにもかかわらず、約10億円(1000億ルピア)もの蓄財をしていたことが明らかになった。彼は2008年頃から、不服申立てのあった140件以上の個人・法人に便宜をはかり、わずか2年でこれだけの“富”を蓄積したのだ。
元職員は資金洗浄と着服の容疑で起訴されたものの、警察・検察・裁判所に贈賄して一審で無罪を獲得してしまう。再逮捕されても、今度は警察の拘置所や出入国管理局に賄賂を配り、毎週のようにジャカルタの自宅やバリ島、シンガポールやマレーシアに出かけていたという(20011年現在、2審で懲役10年の有罪判決を受け上告中。この例も佐藤百合・前掲書より)。
誤解のないように述べておくが、私は「インドネシアは汚職だらけでダメだ」といいたいのではない。それとは逆に、これほどの重荷を背負いながらも、スハルト独裁の崩壊のあと、内戦を起こさず、国を分裂させることもなく、平和裏に民主化に成功したことは現代史における“奇跡”だ。1998年のジャカルタ暴動の時は、専門家ですら「インドネシアはユーゴスラビアのようにばらばらになってしまう」という悲観論ばかりだったのだ。
インドネシアでは、2億3000万人の国民が300の民族に分かれ、600を超えるともいわれる言語を話している。そんなモザイクのような大国が「自由とデモクラシー」の価値を共有したことは、これからのアジアや日本の将来にも大きな影響を与えることになるだろうが、その話はまたあらためてしてみたい。