[参考記事]
●中国・オルドス、中国不動産バブル崩壊の象徴は、"廃墟都市"観光のメッカ
オルドスは世界遺産級の「鬼城」だが、この驚くべき不動産開発の失敗を中国経済の一般例とすることには異論がある。
そこで今回は、日本人にも縁のある鬼城として河南省の省都、鄭州(ていしゅう)を訪ねてみよう。
河南省はその名のとおり、黄河下流域の南に位置する内陸部の省で、かつては中原と呼ばれた。紀元前1600年代の殷王朝の遺跡が残る安陽、後漢や隋、後唐が都を定めた洛陽、北宋の首都で11世紀から12世紀にかけて栄華をきわめて開封など、中国の歴史で重要な都市がいくつもある。河南省の省都が開封から鄭州に移ったのは1954年だが、この街にも商(殷)の時代の遺跡が残っている。
人口1億人の河南省の省都・鄭州のゴーストタウン河南省の人口は1億で中国の省のなかで最大、鄭州も人口750万人の大都会だ。
まずは鄭州の街を見ていただこう。ご覧のように高層ビルが建ち並ぶモダンな景観だが、ビルに近づいてみると印象はずいぶん変わる。
下の写真では、高層ビルの一角で男性が一人、揚げパンを売っている。それ以外はすべて工事中で店舗は入っていない。これから整備が進むのかもしれないが、不安を感じる光景ではある。
鄭州が日本にゆかりがあるのは、新都心(鄭東地区)の都市設計を建築家・黒川紀章が行なったからだ。
言葉ではわかりにくいと思うので、地図で示そう。
新都心の建設は2001年から始められたが、現地で聞いた話では、小泉元首相の靖国参拝などで反日感情が高まったとき、日本人建築家のこのプロジェクトが日の丸をイメージしているのではないかとネットで問題になったことがあるという。ずいぶんなこじつけだが、その批判に対する対応がスゴい。
鄭州市は、風水に則って日の丸の邪気を払うとして、高さ388メートルの、当時とては世界一高いテレビ塔の建設を発表したのだ(ちなみにスカイツリーは高さ634メートル)。「宗教は阿片だ」という共産党が風水を信じていいのか、という気がしないでもないが、反日ですら都市開発の理由にし、なんでも世界一(もちろん中国一)でなければ気のすまない河南人の性向がよく現われている。
フォルクスワーゲンのディーラーとして大きな成功を収めた鄭州の会社社長と話す機会があったが、彼によると河南は中華文明発祥の地で、中国でもっとも人口が多く、高速道路の総延長距離も中国一だ。そのうえ白酒や北京ダックなど、貴州(マオタイ酒)や北京の名産とされているものも歴史を辿ればすべて河南省に起源があり、本来なら「河南ダック」と呼ぶべきだそうだ。
河南人の“お国自慢”を聞いていると、なぜ鄭州で大規模な都市開発が行なわれたか、その背景が見えてくる。
中国では、省はひとつの国と考えられている。人口1億といえば日本とほぼ同じだから、省都である鄭州は東京と同じくらいの規模になったとしてもおかしくない。すくなくとも北京や上海に匹敵する大都会であるべきだ。
この強烈な自負と面子からくる理想(こうあるべきだ)から都市計画が始まり、現実はおうおうにして無視されてしまう。
人口150万を想定した新都心の建築群はほぼ完成していて、そのランドマークとなる超高層ホテルの威容は圧倒的だ。夜は美しくライトアップされ、幻想的ですらある。
ところで、ここで私が「超高層ホテル」と書いているのには理由がある。たぶん名前があるのだろうが、現地のひともそれを知らないからだ。なぜなら、建物自体は完成しているもののいまだに開業許可がおりないゴーストホテルだから。
その理由は諸説あって、「手抜き工事のため建築基準をクリアできない」とか、「大赤字が確実で市当局の面子がつぶれるので開業できない」などといわれている。
肝心の新都心だが、夜はこんな感じだ。道路に立っているのは近くのオフィスで働いているひとたちで、地下鉄などの公共交通機関が未整備なのでタクシーを拾おうとしている。夜7時を過ぎると、こうした姿があちこちで見られる。
アメリカのメディアが鄭州の新都心を「中国最大のゴーストタウン」を評したとき、鄭州市は猛反発して「地区の入居率は90%に達しており、常住人口も30万人を突破した」と主張した。だが現地を見る限り、とうてい入居率90%には思えない。
そうはいっても、鄭州の都市開発に可能性がないわけではない。
オルドスの失敗は、都市人口が30万しかないのに100万人規模の超未来都市をつくろうとしたことだった。それに対して鄭州は800万ちかい住民がおり、今後も農村部から人口流入が続く。
鄭州の旧市街は活気に溢れている。新都心までの距離も車で10分程度、丸の内から六本木ほどだ。この好条件にもかかわらず鬼城化するのは、新都心の物件価格が高すぎるからだ。
2011年下半期に売り出された新都心の住居物件は1平米当たり1万元(約16万円)から1万5000元(約24万円)。日本円にすると、100平米の3LDKで1600万~2400万円、150平米の4LDKなら2400万~3600万円になる。それに対して鄭州市の一人当たりGDP(2009年)は4万3000元(約70万円)で、日本の一人当たりGDP3万9000ドル(約390万円)のおよそ5分の1。そこから考えると、鄭州市民の感覚では新都心の住宅物件はすべて“億ション”になる。
もちろん鄭州市内には成功した高級住宅地もある。
下はバンクーバーハウスVancouver houseという超高級マンションで、付近にはインターナショナルスクールや外資系のスーパーマーケットがあり、東京だと麻布や青山といった超一等地だ。その販売価格は1平米当たり2万5000元(約4万円)から3万元(約4万8000円)で、北京や上海と比べても遜色はない。平均的な広さは200平米から400平米で、購入しようとすれば日本円で1億を超える文字どおりの億ションだ。
入口の脇に不動産業者の店舗があったので訊いてみたが、ほぼ満室で空きがでてもすぐに埋まるという。実際、通りに面した窓には鉢植えが飾られ、駐車場には高級車がずらりと並んでいた。
鄭州にも高級物件を購入できる富裕層はいるが、彼らは生活の便のいい一等地を選び、満足なスーパーや学校、病院のない新都心には魅力を感じないのだ。
ただ、この価格が適正かどうかは疑問が残る。
不動産業者の案内では、この物件を賃貸しようとすると、1平米あたりの賃料は45元から50元だという。仮に1平米50元とすると、200平米(4LDK)の物件の毎月の賃料は1万元(約16万円)、年間で12万元(約192万円)だ。それに対して販売価格は1億円を下らないから投資利回りは2%以下、収益還元法で考えれば大幅な割高だ。
賃料を基準に日本並みの割引率(物件の投資利回り)5%で計算すると適正価格は約4000万円、新興国の平均である10%とすれば約2000万円だ。
日本でもバブル崩壊以後、ようやく“世界標準”の収益還元法で不動産物件が評価されるようになった。いまでは2%の投資利回りで不動産を購入する業者はいない。だが中国はいまだに「(日本の)80年代バブル以前」の不動産神話に呪縛されていて、土地には他の金融商品にはない特別な価値があると信じられているのだ。
黒川紀章のビジョンにはほど遠い鄭州は餃子と揚げパンが名物で、旧市街の人気店には朝から行列ができる。酸辣湯(サンラータン)に近い酸味の利いたスープに揚げパンを浸して食べるのだが、これがなかなか美味い。スープと合わせて1人10元(約160円)でじゅうぶん満足できる。こんな店に集うひとたちが鄭州の庶民で、彼らは新都心の不動産に関心がないばかりか、そもそも行ったことすらないだろう。
不動産価格が大きく下落するようなことがあれば、彼らもマイホームの購入に関心を示すだろうが、そのためにどの程度の調整が必要なのかは、実際にバブルが崩壊してみないとわからない。
たしかなのは、現在の価格帯では新都心への入居が進むことはないということだ。オルドスに比べれば希望はあるが、黒川紀章のビジョン(夢)が実現する道のりは険しい。
ちなみに最初に紹介した鄭州のお金持ちだが、さんざんお国自慢をしたあとに、「新都心の不動産投資にはなんの興味もない」と冷たく突き放した。
これは彼だけではなく、「愛国心」と「愛郷心」に溢れた中国の富裕層はみんな同じことをしている。
<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に(以上ダイヤモンド社)などがある。
●DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)にて
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