こうして櫛の歯が抜けるように店舗が撤退し、見事なゴースト・ショッピングセンターになってしまったのだ。
1店舗も営業していないのでは倒産と同じだが、破綻させると銀行が損金処理しなければならないので、それを嫌ってかたちだけ事業を維持しているのだろう。これで得をするのは、草むしりで時給を稼げる近所のおばさんだけだ。
ところで、伊勢丹はこの大失敗を知っていながら、なぜわざわざこんな悪条件の場所に出店したのだろうか。いろいろ事情はあるのだろうが、明るい話からすると、泰達地区は完全なゴーストタウンというわけではない。天津市が面子にかけて人口を増やそうとしているからだ。
快適な天津市内からこんなところまで来るのはいったい誰だろうか。泰達のオフィスビルの入居者リストを見れば、“犠牲者”は一目瞭然だ。
泰達で暮らしているのは、天津市によって強制的に連れてこられた行政関係者とその家族だ。しかしそんな彼らも、買い物をする場所やまともなレストランひとつなければ天津市内に戻ってしまうだろう。だからこそ天津市政府は、市内の超一等地で利益を上げている伊勢丹をなんとしても出店させたかったのだ。
天津市政府と伊勢丹のあいだでどのような交渉が行なわれたのかは知らないが、中国で大きなビジネスをする伊勢丹にとって、これは事業継続のための苦渋の決断だったのではなかろうか。
鄧小平が領導した一大事業文化大革命が終わり改革・開放路線が定着した1984年、中国共産党天津市委員会が天津市の開発を決議、中国共産党中央政治局の倪志福と国務委員の谷牧により建設計画が批准された。さらに1986年8月には、中央軍事委員会主席・鄧小平が天津市市長と共に訪れ、「開発区大有希望(開発区には大いなる希望がある)」の書をしたため、後に碑文が建立された(Wikipedia)。このことからわかるように、天津経済技術開発区は鄧小平が領導し、国家と共産党の威信をかけた一大事業なのだ。