とはいえ、鶴壁の名前を聞いたことのあるひとはほとんどいないだろう。かくいう私も、中国の鬼城を検索していてたまたまこの町のことを知り、鄭州から日帰り可能なこともあって足を延ばしてみただけだ。Wikipediaにもたった1行、「鶴壁市(かくへき-し)は中華人民共和国河南省に位置する地級市」との説明があるだけで、英語版にはそれに「山西台地の端の山岳地域に位置する」という一文が加わる。
中国語版には若干の歴史の説明があり、それによると「鶴壁」という地名は「仙人のために白い鶴が南山の崖を舞った」という伝説でちなんでつけられたという。紀元前17世紀頃に成立した(確認できるなかで)中国最古の王朝・殷(商)の時代には衛国、その後の戦国時代には趙国の首都として歴史の舞台に登場している。山西省に源を発し、黄河へと合流する淇河(きが)は鶴壁のあたりがもっとも風光明媚で、明の時代から珍味とされてきたフナやアヒルのタマゴが特産品だという。
だが近年、鶴壁が知られるようになったのは、石炭を中心に豊富な地下資源に恵まれ、その利益を原資に積極的な都市開発を行なったことだ。
鶴壁市は、中国の典型的な地方都市鶴壁市の面積は2299平方キロ、人口は144万で、中国の「市」は日本でいうと「県」に相当するから、人口では山口県や愛媛県、長崎県とほぼ同じ規模だ。このなかでもっとも小さな長崎県でも面積は4000平方キロあるから、人口密度はほぼ倍ということになる。河南省そのものが人口1億と日本とほぼ同じ規模なので、省内の地方都市でも思いのほか人口は多い。
鶴壁市の旧市街は山城区にある。紛らわしいが、この「区」が日本の「市」に相当すると考えればいい。
実は鶴壁を訪れるにあたっては、鄭州で自動車ディーラーを経営している会社社長の好意で、車と社長付の運転手を手配してもらった。運転手は仕事で河南省のほとんどの地域に行ったことがあるが、鶴壁の旧市街(山城区)に来たのは今回がはじめてだという。ここには鉄道の駅もなく、安陽などからバス便はあるのだろうが不便なので、外国人が訪れることはほとんどない。その意味では貴重な(?)写真だ。
鶴壁市山城区は、1960年代の文化大革命の時代から時が止まったような街だった。あちこちに政治スローガンが掲げられ、路上では床屋が店を開いている。中国の都会ではもはや見ることができなくなった光景だ。
鶴壁は炭鉱の町として栄えたが、その名残が巨大なボタ山だ。石炭の採掘にともなって生じる捨石(ボタ)の集積場で、日本では北九州の飯塚などが知られている。
ここで採掘された石炭は、火力発電所で電気に換えられる。国道沿いに確認できただけでも、鶴壁には大規模な火力発電所が3カ所あった。なかには1960年代や70年代につくられた旧式の炉もあるようで、写真のように煙突も低い。こうした石炭火力発電所は排煙脱硝装置などの環境対策をしておらず、そこから生じる粉塵が深刻な大気汚染の原因となっていることは周知のとおりだ。
1980年代以降、中国の高度経済成長が始まると石炭の需要が高まり、鶴壁市に最初の都市開発の機会が訪れた。ここで市政府は、南に20キロほど離れた淇浜区(きひんく)に新市街をつくることを決断する。
新市街の建設は1992年から始められたが、市政府がこの場所を選んだ理由は地図を見れば明らかだ。
改革開放の時代、中国のインフラはまず高速道路を整備するところから始められた。
鶴壁に近い河南省の主要都市は中国七大古都のひとつ、殷の遺跡「殷墟」で知られる安陽で、東西に走る南林高速道路(S22)と南北に走る京港澳高速道路(G4)がここで交差している。安陽の南西に位置する山城区は、この2本の主要高速道路からいずれも20~30キロ離れている。
そこで鶴壁市政府は、安陽と鄭州を結ぶ京港澳高速沿いに新市街をつくることに決めた。
旧市街(山城区)から新市街(淇浜区)への道は一部舗装されていないところもあり、20キロの道を行くのに40分以上かかる。それを考えれば高速道路で安陽や鄭州に簡単に行ける新市街は圧倒的に便利だから、こちらに移り住むひとも多かった。鶴壁市政府の決定はきわめて合理的で、現在の新市街は多くの市民たちで賑わっている。
「新幹線」誘致成功で決めた50棟以上のビル建設鶴壁市が発展する次の大きな機会は「新幹線」の誘致に成功したことだ。
京広線(北京-広州)は中国の最重要路線だが、19世紀末に最初の工事が始まった古い鉄道で輸送力に限界があった。そこで2008年、京広線に平行するかたちで、河北省の省都・石家荘と湖北省の省都・武漢を結ぶ石武旅客専用線が着工され、鶴壁東駅の建設が決まったのだ。
旅客専用の高速鉄道(新幹線)の新駅ができれば、鶴壁市のさらなる発展は約束されたも同然だと町は沸きかえった。世界金融危機の前までは資源価格が高騰しており、石炭からの収入で市の財政は潤っていた。そこに「公共投資によって景気を下支えせよ」という中国政府の号令が下り、鶴壁市でも未曾有の不動産開発が始まったのだ。
鶴壁東駅は淇浜区の東南の外れにつくられることになったが、そこは一面の農地だった。鶴壁には景勝で知られる淇河が流れている。
新幹線の駅ができるのだから、それを都市開発の契機にしようと考えることは間違ってはいない。だが鶴壁市は、いくらなんでもやりすぎた。
下が「幸福之城」の将来図だ。川岸の公園に沿って、ざっと数えても50棟以上の高層ビルが建ち並ぶことになっている。
中国の土地はすべて国有で、公共事業でもっとも面倒な地主との交渉が不要なので(農民には少額の慰謝料を払って強制的に立ち退かせればいい)、高速道路も高速鉄道もあっというまにできる。石武旅客専用線は2012年12月に全線が開通し、鶴壁東駅のモダンな駅舎も完成している。だが駅前はご覧にように閑散としており、私が訪れたときはタクシーが2、3台駐まっているだけだった。
「幸福の城」の実現にあたって市政府がまず行なったのは、各種の行政機関を移転させることだった。
下の写真のヨーロッパの王宮のような建物は、工業製品の検査・監督を行なう役所の建物だ。
下のホワイトハウスのような建物はホテルではなく、「鶴壁市美化中心」とある。なんの業務を行なっているのかは不明だが、市政府の行政官庁のひとつだ。
こうした政府関係の建物を見るだけで、不動産バブルの熱気がいかににすさまじかったかよくわかる。1992年に新市街に移転したときは、鶴壁市政府は広場に時計台をひとつつくっただけだった。それが2008年に高速鉄道の誘致が決まったあとは、いきなりこれなのだ。
市政府が先行させた都市開発はこれだけではない。下の奇妙なドームは体育館で、それ以外にも用途のよくわからない現代建築がいくつもつくられている。内モンゴルのオルドスもそうだが、人目をひく箱モノをつくり、中国全土にそれを見せびらかすことが地方の共産党幹部の目的なのだ。
幹部の面子をたてる箱モノができると、次は当初の計画どおり、民間の不動産開発会社に商業ビルや居住用マンションを建てさせればいい。そしてそれは、実際に始まった。下の写真では手前の高層ビルは完成していて、背後の高層ビル群にもクレーンが設置され、一見、建設中のように見える。
だが近づいてみると、工事現場は車両が出入りする扉を閉め、作業員の姿もなく、完全に建築が放棄されてしまっているようだ。
鶴壁市の新市街から「幸福の城」までは3キロほどしか離れていない。住民は車で駅まで行けばいいのだから、わざわざ「幸福の城」の高額なマンションを買う必要はない。
鶴壁市の壮大な計画は、「幸福の城」に河南省や中国全土から会社やひとが集まってこなければ成り立たなかった。新幹線の駅がひとつできたくらいではそんなことが起こるはずはないことくらい、冷静に考えればわかりそうなものだが、国じゅうが不動産バブルに湧いているときにはそんな常識などどこかに吹き飛んでしまうのだろう。他の地方政府が“成功”しているのに、自分たちだけが遅れをとることは許されないのだ。
このようにして、なんの変哲もない中国の地方都市に巨大な鬼城がつくられた。
恐ろしいのは、鶴壁市政府が特別に愚かなわけでも、特殊な条件が揃っていたわけでもないことだ。
鶴壁の不動産バブルは、石炭価格の高騰で市の財政に余裕ができたことと、高速鉄道の新駅の誘致が決まったことで引き起こされた。この程度のハードルをクリアできる都市は、中国国内ではいくらでもあるだろう。
だとすれば、そのような都市のすべてで同様の鬼城が生まれていると考えて間違いない。これが、中国経済を蝕む問題の根幹なのだ。
<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)などがある。
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