■ツダケン演じる東海林編集長のモデルは?
朝ドラ「あんぱん」(NHK)で津田健次郎が演じる東海林明は、新聞記者として歩み始めたヒロイン・のぶ(今田美桜)にとって重要なメンター的存在として描かれている。高知新報の編集局主任として登場した東海林は、戦後の闇市でのぶと出会い、彼女に新聞記者への道を示唆した人物だ。
のぶが戦時中に「愛国の鑑」として新聞で取り上げられたことで面接官たちが難色を示した際、東海林は「彼女は今の女性たちの代表だと言うてもええ。戦時下の教育で、多くの純粋な女の子たちが軍国少女となり、敗戦で自分の信じてきたものを、いや、自分自身を墨で塗りつぶされたがや」と熱弁し、のぶの記者への道を後押しした。朝ドラには時としてこうしたヒロインの人生を導く師匠的人物が登場し、彼女たちの成長に決定的な影響を与えてきた。
史実を見ると、東海林と重なる人物は二人いる。ただし、のぶのモデル・小松暢さんのメンターというより、嵩(北村匠海)のモデルである、やなせたかしを『月刊高知』時代に支援した人物だ。
■やなせたかしが新聞社を辞めた後も支援
高知新聞社刊『やなせたかし はじまりの物語 最愛の妻 暢さんとの歩み』によると、一人は発行責任者の中島及氏。高知県四万十出身の幸徳秋水ら社会主義者が明治天皇の暗殺を計画したとして無実の罪を着せられ、死刑になった「大逆事件」に関して、23年間牢獄にいた坂本清馬と岡林寅松を対談させ、さらに秋水の甥も参加させるという歴史的な座談会を実現させた人物だ。中島氏はやなせを一番応援し、やなせが暢さんを追って上京することを決めた際も円満退社を支援した。
もう一人は編集長の青山茂氏で、やなせの良き理解者として才能を見抜き育てた人物だった。やなせは『月刊高知』で「表紙からカット、挿絵、取材、座談会の司会、すべてやりました」と後に記している通り、幅広い業務を担当し創作の基礎を築いた。
青山氏の真のメンターシップは、やなせが退社・上京した後にも発揮された。青山氏はやなせが東京で漫画家として活動を始めてからも継続的に仕事を依頼し、経済的にも精神的にも長期間支え続けた。同書によると、青山氏からやなせへの漫画「メイ犬BON」制作依頼の手紙が見つかっており、これは単なる上司と部下の関係を超えた、人生を通じてのメンターシップの典型例と言える。
■声優から俳優へ、ツダケン54歳のブレーク
津田健次郎の起用について、「あんぱん」統括プロデューサーの倉崎憲は「津田さんが醸し出す人間の色気にひきこまれ、東海林役とリンクする部分がありました」と語っている。それまで主に声優として活躍してきた津田は、2020年の朝ドラ「エール」で語りを担当したことで俳優業での活躍が本格化した経歴を持つ。
東海林のキャラクターは、闇市にて泥酔状態で、のぶを高知新報にスカウトしたものの、まったく覚えていなかったり、適当な発言で部下にツッコミを入れられたりと、年長者としての威厳はない。それでいて、戦後に価値観がひっくり返った世の中の変化を鋭くとらえ、新聞や雑誌というメディアが求められる役割を追求する熱さはある。
ここまで嵩の伯父役の竹野内豊から、のぶの夫役の中島歩と、名言を発する良い声、いわゆる“イケボ”のリレーがあったが、そのイケボ枠バトンを受け取りつつ、名言に加え、テキトーなキャラクターで笑いもとる緩急ある芝居が魅力だ。
■朝ドラに登場してきた「メンター」たち
東海林は、朝ドラに登場する数多くのメンター的存在の系譜に連なっている。これらのメンターたちは単なる技術指導者ではなく、ヒロインの人生観や価値観の形成に深く関わる存在として描かれている。
現在、再放送中の「とと姉ちゃん」に登場する花山伊佐次(唐沢寿明)は、『暮しの手帖』の編集長だった花森安治(はなもりやすじ)がモチーフ。ヒロインの常子(高畑充希)を一人前の雑誌編集者に育てあげる印象的なメンターだ。
花森安治は1911年兵庫県神戸市生まれで、東京帝国大学文学部美学美術史学科在学中に「帝国大学新聞」で編集活動を行った知識人だった。戦争中は軍部の戦争遂行に関わったことへの悔恨から、戦後は一貫して「人々の暮らし」に焦点をあてた編集に関わった。
花森の最も印象的な特徴は、その破天荒な個性だった。おかっぱ頭にエプロンやスカート風の衣装を身に着けるという独特のスタイルで知られ、「スカートをはいた名編集者」とも呼ばれた。ただし、共同創業者の大橋鎭子(常子のモデル)によると「スカートは穿(は)いていない。幅の広い半ズボンは穿いていた」とのことで、そのユニークなヘアスタイルと相まって、半ズボンがスカートに見えたのが真相のようだ。
■「とと姉ちゃん」の唐沢寿明も名編集者役
花森自身は世間の噂について「勝手に思わせておけばいい。いちいち、説明はしない」と言い、答えは作った『暮しの手帖』の中にすべてあるとしていた。制服や背広などの画一的な服装を嫌い、性別を超えた自由な精神で、なにものにもしばられることなく生涯を通じて独自のスタイルを貫いた人物だった。
花山を演じた唐沢寿明にとって、「とと姉ちゃん」は1988年の「純ちゃんの応援歌」以来27年ぶりの朝ドラ出演となった。
■伝説のメンターを演じたディーン・フジオカ
他にも、「あさが来た」の五代友厚役でブレイクしたディーン・フジオカは、朝ドラ史上最も大きな社会現象を巻き起こしたメンターと言える。実業家として奮闘する主人公のあさ(波瑠)を支えた五代は、視聴者に“五代さま”と親しまれ、その人気は朝ドラの枠を超えて社会現象となった。五代があさに教えた「ファーストペンギン」の精神――誰よりも先に海に飛び込む勇気を持つペンギンのように、新しいことに挑戦する勇気――は、多くの視聴者に深い印象を残した。
朝ドラのメンターは通常恋愛関係を超越した存在として描かれるが、「あさが来た」では例外的に、五代が病に倒れ衰弱していく中で、炭坑の片隅で疲れて寝込むあさに五代が寄り添うシーンや、病床の五代があさの肩に寄りかかる最期の別れの場面など、ほんのりとしたロマンスを漂わせる描写があった。
史実の五代友厚は、1836年薩摩藩士として生まれ、明治新政府で外国事務掛兼大阪府参事として活躍し、「近代大阪経済の父」と呼ばれた人物だ。ドラマ内でも、五代が1885年に49歳で早逝すると、視聴者の間で「五代ロス」と呼ばれる現象が起きた。
■渡瀬恒彦、イッセー尾形も存在感を発揮
「ちりとてちん」では、心配性でマイナス思考の喜代美(貫地谷しほり)が、落ちぶれた落語家・徒然亭草若(渡瀬恒彦)に弟子入りする物語が描かれた。草若は妻を亡くした後、自暴自棄になり、借金にまみれて高座に上がれなくなった落語家として登場するが、厳格な師匠というよりも、むしろ人間味あふれる温かな存在として描かれている。
物語で特に胸を打つのは、喜代美を落語の道に導いたきっかけが、幼い頃に祖父・正太郎(米倉斉加年)が聞いていた落語のカセットテープだったことだ。そのテープに録音されていたのは「愛宕山(あたごやま)」という演目で、後にそれは若き日の草若師匠の落語だったことが判明する。
「スカーレット」では、イッセー尾形が演じる深野心仙が、ヒロイン・喜美子(戸田恵梨香)の陶芸家としての人生を決定づけた。信楽焼の火鉢の絵付け師である深野は「フカ先生」の愛称で親しまれ、日本画家でもある絵付け師として描かれた。深野の指導は技術面だけでなく、芸術家として生きることの厳しさと喜びを伝えることに重点が置かれ、「焼き物は正直や。嘘をついたら必ずバレる」という言葉は、芸術家としての生き方そのものを問う深い教えとして視聴者の記憶に残った。
■近年は西島秀俊、佐々木蔵之介もメンター役
「おかえりモネ」では、西島秀俊が演じる朝岡覚が、ヒロイン・百音(もね)(清原果耶)の気象予報士としての成長を支えた。朝岡の最も印象的なエピソードは、東日本大震災で心に傷を負った百音に対して語った「何もできなかったと思っているのはあなただけではありません」という言葉だ。この言葉は百音だけでなく、震災を経験した多くの視聴者の心に深く響いた。
また、朝岡には土石流に関する深いトラウマも描かれ、8年前の豪雨で予報を出したにもかかわらず集落がのみ込まれた過去を背負っていた。百音の父・耕治(内野聖陽)との対話を通じて、それぞれの土地で大切なものを守る人々に気象情報を伝えることで希望を届けることができるという信念を確認しあった。
「ひよっこ」では、佐々木蔵之介が演じる牧野省吾が、みね子(有村架純)の料理人としての成長を支えた。赤坂の洋食レストラン「すずふり亭」の料理長として、省吾は「仕事には厳しいが根はやさしい人物」として描かれた。
しかし料理に対しては一切の妥協を許さず、デミグラスソースへのこだわりは人一倍強い。省吾の指導は「料理は愛情だ」という教えに基づき、技術だけでなくお客様への思いやりの大切さを伝えるものだった。
■現実では師弟制度がなくなりつつあるが…
朝ドラにおけるメンター像は時代と共に変化している。「ちりとてちん」の草若のような伝統的な師匠像から、「とと姉ちゃん」の花山のような「魂のパートナー」的存在、「おかえりモネ」の朝岡のような現代的な距離感を持つメンターまで、その変化は社会情勢を反映している。
また、実在の人物をモデルにした花山伊佐次(花森安治)や五代友厚は史実に基づく説得力を持つ一方で、「スカーレット」の深野心仙のような創作キャラクターは現代的な価値観を反映させやすい特徴がある。
現代社会では終身雇用制度の崩壊により、伝統的な師弟関係が希薄化している。朝ドラのメンターたちが愛される理由の一つは、現代では得難い献身的で洞察力のある指導者への憧憬(しょうけい)があるからだろう。「あさが来た」の「五代ロス」現象は、理想的な師弟関係への渇望を表している。
「あんぱん」の東海林もまた、この系譜に連なる存在として、のぶの記者としての成長を支える役割を担っている。津田健次郎という現代的なキャスティングと戦後復興期という時代設定の組み合わせが、どのような新しいメンター像を生み出すのか注目したい。
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田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。
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(ライター 田幸 和歌子)