[参考記事]
●中国・オルドス、中国不動産バブル崩壊の象徴は、"廃墟都市"観光のメッカ
内モンゴル自治区の省都はフフホトで、本来であれば省政府が無謀な開発にストップをかけなければならなかった。いったいなぜ、このような荒唐無稽な計画を誰も止めなかったのだろうか。
その謎を解くために、今回はそのフフホトを訪れてみよう。
内モンゴル自治区の省都フフホトはオルドスとは違うのか?河北省に近いフフホトには、北京の胡同(フートン)と同じような伝統的家屋が残されている。敷地を壁で囲い、一族や使用人たちの住む大小さまざまな住宅と中庭を組み合わせた四合院(しごういん)で、いまでは複数の世帯が共同で暮らしている。北京と同様にフフホトでも、清朝の時代につくられたこうした住宅を取り壊し、近代的な高層マンションに建て替える事業が行なわれている。
安全面や衛生面を考えれば、トイレも風呂も共同という古い住宅をこのまま残しておくことは難しいのだろう。“古き良き中国”を惜しむひともいるかもしれないが、これが時代の流れなのだ。
下はフフホト駅前の大通りで、ご覧にように平日(月曜)の昼でも活気がある。フフホトは市街地だけで人口100万人を越える内モンゴル随一の都会なのだ。
フフホトには回族(ムスリム)が多く居住する回民区がある。
中国の行政区分は紛らわしいが、「省」を国と考えるならば、「市」が日本でいう県、「県」が郡にあたる。フフホト市の面積は1万7000平方キロで、北海道を除けば日本でいちばん大きな岩手県(1万5000平方キロ)よりも広い。
フフホトのような大都市になると、複数の区が集まって市街地をつくる。一般にフフホトと呼ばれるのはこの市街地のことで、回民区、新城区、玉泉区、シーハン区の4つの区で構成されている。新都心として開発されているのはその東側一帯だ。
オルドスの場合、旧市街(東勝区)から新市街までは30キロも離れ、そこから空港までさらに20キロもあった。そのため新しい都市を建設しても人口は一向に増えず、100万人の計画人口に対して実際に住んでいるのは3万人(建設労働者などを除けば実数はその半分)という惨状に陥った。
それに比べてればフフホトの新都心は町の中心から5、6キロしか離れておらず、そこからさらに3キロほどで国際空港がある。さすがは省都だけあって、じつに合理的に計画されている。これなら不動産バブルを避けることができるのだろうか。
それでは、フフホトの新都心を実際に見てみよう。
新しい街をつくると、そこに行政施設を移転するのが都市開発の定番だ。フフホトの新都心にも、省政府や市政府の行政庁舎や美術館・博物館のような箱物が続々とつくられている。
だがそれだけでなく、企業本社の移転にも積極的だ。下は大手食品会社、蒙牛乳業の巨大な本社ビルだ。
蒙牛乳業はもとは民営企業だったが、北京オリンピックが開催された2008年、粉ミルクからメラミンが検出されたことで経営が悪化、国有化された。その後、ダノンなど外資系の食品会社と提携して品質改善を徹底したことで業績を伸ばし、乳製品でシェアトップに立った。
新都心に進出している企業は蒙牛乳業だけではない。下はビジネス街だが、1階の店舗はほぼ埋まっており、交通量や人通りも多い。これまで見てきた鬼城とはだいぶ雰囲気がちがう。
「さすがは省都だけある」といいたいところだが、こうした印象も街をすこし歩くと変わってくる。
フフホトの新都心は、東河の両岸に広がっている。
写真で見るように近代的な高層ビルがずらりと建ち並び、鉄道の駅やショッピングセンターまでできている。
川には橋がかけられているので対岸に渡ろうと思ったのだが、なぜか厳重に封鎖されている。近くに公園の管理事務所があり、そこから出てきたおじさんが煙草を吸っていたので訊いてみた。
「向こう岸に行きたいんですけど」
「無理だよ」
「どうしてですか」
「橋はぜんぶ通行止めなんだよ」
「通行止め?」
「ああ。建物をつくったのはいいんだけど、入居者の募集がまだ始められないんだ。だからあそこには誰も住んでない。それで、安全のために閉鎖されてるんだよ」
「……」
なんと川の対岸にある巨大なマンション群はすべてゴースト化していたのだ。
さらに驚いたことに、川に近づいてみると水がまったくない。あとでGoogleの衛星写真で調べてみたのだが、もともとここはフフホトの南を流れる大黒河の支流、小黒河が流れていた。小黒河は幅5メートルほどしかない農業用水のような川で、そのままでは都市の景観を損ねるため、新都心を開発するにあたってフフホト市は川幅を思い切り広げて東河と名前を変え、両岸に公園を造成したのだ。
しかしこの拡張した川(東河)に流す水を確保できないらしく、一部で池のように水を貯めてはいるが、南北の端は完全に干上がってしまっている。
そう思ってもういちど新都心を歩くと、スケルトンのまま放置されたマンションが目につく。なかには販売用の電話番号が大きく掲げられているものもあるが、工事の止まっている物件を買おうと思うひとはいないだろう。
ちなみに市内の不動産業者に聞くと、フフホト中心部のマンションが1平米8000~9000元なのに対し、新都心は1平米6000元だそうだ。交渉すれば値引きできるのかもしれないが、現状を見るかぎり、この程度の価格差ではあまり魅力はないのではなかろうか。
下は、すでに完成している新都心の高層マンション群だ。
これを見れば、東河対岸の大型物件の販売許可を出せない理由は明らかだ。開発が先行した西側のマンションの販売状況が思わしくないため、これ以上の大量供給で不動産価格が暴落するのを恐れているのだ。
こんな状況では、内モンゴル自治区の省政府がオルドスの暴走を止められなかったのも無理はない。お膝元のフフホトで無茶な都市開発をやっているのだから、他の都市の(それも自分たちの石炭収入を原資とした)開発計画を止めさせることなどできるはずはなかったのだ。
辺鄙な村でも起きた暴走フフホトの南100キロほどのところに清水河県がある。「県」は日本の郡にあたるから、「フフホト県清水河郡」という感じだ。
タクシーに乗って209号線を南に下ると、灌木がまばらに生えた痩せた土地が延々と続く。ところがそんな単調な風景のなかに、忽然と真新しいビルが現われる。これが清水河県だ。
清水河は黄河の支流で、その岸辺に村ができた。かつてはなんの変哲もない農村だったが、いまではご覧のように白亜の巨大なホテルがつくられている。さらに川を挟んだ対岸には、瀟洒なマンションが建ち並んでいる。この辺鄙な村にいったい何が起きたのだろう。
地元のひとの話によれば、この近辺でレアアースなどの鉱物資源が産出し、いきなり多額の収入が入ってくることになった。そこでそれを原資に村を挙げての不動産開発が始まったのだという。
ちなみに写真の清水河にはきれいな水が流れているが、これも工事によって拡張したもので、Googleの衛星写真で確認すると黄河から枝分かれした清水河は泥水で川幅もずっと狭い。きれいな水が流れているのは開発地区の2キロほどで、両端は干上がって泥のなかに消えている。
こんな光景をどこかで見たことがなかっただろうか。
近くに不動産会社があったので、川沿いに建設されたマンションの価格を聞いてみた。「河畔花園」と名づけられた高級住宅の販売価格は1平米あたり3200元から3700元。100平米の3LDKで550万~600万円、150平米なら900万円。これに内装費を加えれば、800万~1000万円ということになる。
フフホトから100キロも離れた内モンゴルの辺鄙な村に1000万円で家を買おうという酔狂なひとがいるのだろうか。だが意外なことに不動産会社のスタッフ(客は誰もいないのでみんな暇そうに携帯をいじっていた)は「よく売れている」という。
どうやらこうした物件を購入しているのは、好景気のなかでにわか成金になった村のひとたちのようだ。彼らは他の土地に移住することもできず、お金の使い道もないのだから、投資と実益を兼ねて喜んで不動産に大金を払うのだろう。
だが清水河県の面積は佐賀県よりもひと回り大きい2800平方キロもあり、そこにわずか14万人しか住んでいない。地元の成金の不動産投資が一巡してしまえば、顧客はどこにもいなくなってしまうのではないだろうか。
下の写真は川の対岸の住宅だが、案の定、建設は途中で放棄されている。
先に紹介した「飛翔国際酒店」なる豪華ホテルも、近づいてみると玄関は閉鎖されており、営業はしていないようだった。これも考えてみれば当たり前で、ごく限られた資源関係のビジネスマン以外、人工の川しかない村にわざわざ泊まりにくる客などいるわけがない。もともと客室20室程度のこぎれいなホテルがひとつあれば十分だったのだ。
ここにも中国の不動産バブルの特徴がよく現われている。彼らは常にやりすぎるのだ。それも、とんでもなく。
清水河の再開発地区の裏手には旧市街が残されている。そこはご覧のようにバイクと自転車が主な交通手段で、人民服姿のひとが歩いている。いきなり1960年代にタイムスリップしたかのようだ。
下の写真は村の郊外に残された古い住宅だ。かつては崖にへばりつくようにして、漆喰と煉瓦でできたこんな家がぎっしりと並んでいたのだろう。
こうした光景を目にすると、中国内陸部のひとたちにとって不動産バブルがどのような体験だったのか、なんとなくわかってくる。
内陸部の農村の暮らしは、100年前の民国、200年前の清朝の時代とさほど変わらないまま続いてきた。毛沢東の大躍進政策では非科学的な増産指示で農地は荒廃し、農村部を中心に3000万人を超える餓死者を出した。その後に文化大革命の混乱が続き、1960年代まで中国は世界の最貧国だった。
そんな彼らからすれば、不動産バブルはたんなる経済現象ではなく、魔法のようなものなのだろう。なぜならわずか数年で、数百年の時を一気に飛び越えて未来へと連れて行ってくれるのだから。
こんなものすごいちからを目にすれば、理性を保っていられる方がどうかしている。隣人が魔法のちからでゆたかになったのなら、自分だって同じような魔法を使いたいと思うにちがいない。
このようにして、辺鄙な村から大都市まで、全国津々浦々で「タイムマシンの暴走」が始まったのだ。
<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に(以上ダイヤモンド社)などがある。
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