突如現れた異色の居酒屋
晩秋の夜のとばりが下りる頃、筆者は東京・吉祥寺にある居酒屋「宮崎県日南市 塚田農場 吉祥寺南口店」にふらっと立ち寄った。全国に150店以上を展開する人気チェーン店で、以前から気にはなっていたが、訪れたのは初めてだ。
席に着くと、早速大学生の女性アルバイトが接客。笑顔を絶やさない、明るく元気な対応だ。筆者が話題を振ると、とても感じ良く対話し、コミュニケーション力の高さも感じさせる。
驚いたのが、お腹が十分にたまった頃、締めとしてちょっとしたデザートを無料で提供され、デザートが載る皿にチョコペンで「Thank youほいくえんのなかよしパパ友だち…」とメッセージが書かれていたことだ。
確かにその日は筆者が仲良くしている保育園のパパ友を同伴していた。接客中の会話でおそらく触れたとは思うが、しっかり覚えていてくれたようだ。感動したことを伝えると、アルバイトの女性は照れ笑い。自社養鶏場や生産者直結の地鶏、魚、野菜を使った料理はどれも美味しく満足だったが、同時に接客レベルの高さが印象的で、思い出に残る飲み会になった。
この居酒屋、「塚田農場」で働くアルバイトの採用倍率は約9倍。つまり9人に1にしか採用されない狭き門だ。人気の秘訣は、アルバイトのアイデアを積極的に採用したり、接客の裁量権を与えたりするなど、創意工夫の機会が多分にあり、楽しく仕事ができるからだという。筆者が飲み会で受けたサービスも、アルバイトの女性が独自に考えたもの。
シフトは強要せず、全国のアルバイトを集めた感謝祭も開催するなど、人材を大切にする文化も根付く。「塚田農場のアルバイトは楽しい」と口コミが広がり、働きたいという若者たちが後を絶たない。店舗では社員とともにミーティングに参加し、本社で本格的な研修も受け、さらに現場でのOJTで接客術を磨く。こうして育つ質の高いアルバイトに塚田農場は支えられている。
そして、もう一つ、塚田農場では他店には見られないアルバイト向けのサポートがある。それは就職活動を控えた大学生のアルバイトに対し、会社独自の就活支援プロジェクト「塚田農場キャリアラボ(通称ツカラボ)」を提供していることだ。
大学の就活支援は不要なほど充実したサポートを提供する
ツカラボが提供する就活支援の対象は、塚田農場で働く大学3年、4年を中心としたアルバイト就活生だ。2011年にスタートし、毎年7月~翌年3月頃まで、毎月のセミナーや合同企業説明会を無料で開催する。
セミナーでは塚田農場を運営するエー・ピーカンパニーの取締役副社長兼人材開発本部長、大久保伸隆氏(32)などが登壇。就活の目的や意義、構造の理解に始まり、自己分析や価値観発見などの自己理解、業界、企業分析などの企業研究といったテーマについて、具体的なノウハウと実践の場を提供する。また、セミナーには著名な企業の人事担当者が特別ゲストとして招かれ、講演する。
実際に筆者もセミナーに参加してみたが、大久保氏の講義は、採用市場の実態や裏話、内定獲得のための必須ポイントなどを具体的に教えるものだった。合わせて、陰陽五行論を用いた自己分析や価値観発見のためのワークショップなども提供され、質量ともに非常に内容が濃かった。
今回の特別ゲスト講演ではライフネット生命の人事責任者が出演し、就職や仕事の本質的な意味を熱心に説いていた。その日に参加した約100人の学生にとって、就活を進める上で有益な時間になったことは間違いない。
一方、合同企業説明会では、エー・ピーカンパニーが優良企業であると太鼓判を押す中小企業10社余りを集め、アルバイト学生とのマッチングを図る。企業側は飲食業や小売業、不動産業、広告代理業、介護福祉業など。塚田農場で働くコミュニケーション力に長けた学生アルバイトを採用したいと、幅広い業種の会社が意欲的に参加していた。
ツカラボが提供する支援はこれだけに留まらない。プロのキャリアカウンセラーと契約し、個別にエントリーシートや履歴書の添削、面接の練習やマナーチェック、就職先相談なども行っている。ツカラボに参加すれば、大学のキャリア支援など不要なほど、まさに至れり尽くせりのサポートを受けられるのだ。
アルバイトを続けながら次々と内定を勝ち取る学生たち
なぜこれほどの手厚い就活支援を提供するのか。それは講師を務める大久保氏の過去の体験が出発点になっている。
実際に就活の内幕を調べてみると、学生が持つ情報の質と量があまりにも乏しく、企業と対等な立場で就活ができていない実態が見えてきた。その結果、マッチングがうまく噛み合わず、学生、企業の双方に過剰な時間とコストがかかってしまっている。情報不足の中で無理やりマッチングさせるため、新卒の早期離職につながるリスクもはらむ。
非効率で問題も多い就活を何とか改善できないか。最初は個別に就活の相談に乗っていた大久保氏だが、その後もっと体系的に就活支援を展開したいと考えるようになる。そんな想いからスタートさせたのがツカラボだ。現在、大久保氏とともにツカラボの運営を中心となって担う人材開発本部の平野知実氏はこう話す。
「本来であれば自分でやり方を調べなければならない自己分析や企業研究も、ツカラボに参加すればその場で実践できます。特別ゲストの人事担当者と知り合えたり、合同企業説明会で企業を紹介してもらえたりもする。プロのカウンセラーが相談にも乗ってくれます。
就活時期でもアルバイトのシフト率が落ちないことは店にとって大きなメリットだ。加えて、目に見える数字としての成果も現れている。15年7月1日時点で、一般的な大学4年・大学院2年の就職内定率約50%に対し、ツカラボ参加学生は約80%とかなり高くなった(選考解禁は8月だが、その前に多くが内定を得ているのが実態)。10月には、ほぼ毎年100%になるという。アルバイトを続けながら就活の内定率も高くなることは評判となり、塚田農場のアルバイト希望者は今後、より増えていくのではないか。
15年からは、大学1年、2年のアルバイトを対象に、養鶏や漁業、酒蔵、野菜農家など一次産業の現場でフィールドワークを行う「塚田農場体験ラボ」と、一流企業からサービス産業の接客やコミュニケーション方法を学ぶ公開ゼミ「おもてなしラボ」もスタートさせた。この取り組みによって、学生生活の早い段階から、働くことの意味や生き方を見つめ直したり、就活や仕事に必要なコミュニケーション力を磨いたりすることができる。
「アルバイトを通じて塚田農場と接点を持ってくれた学生を育成し、社会に役立つ人材として輩出していくことは、私たちの大切なミッション。ツカラボは、参加する学生や企業にとっても、エー・ピーカンパニーにとっても、社会にとっても有益な試みなのです」(平野氏)
“ブラックバイト”という言葉が飛び交い、「こき使われる」といった負のイメージもあるアルバイトだが、それとは対極に塚田農場はある。居酒屋自らがアルバイト学生の就活支援やキャリア形成を買って出るかつてない取り組みは、業界や世の中のソーシャルイシュー(社会的課題)を解決する新たな糸口として、高く評価されるべきだろう。
(大来 俊/5時から作家塾(R))