昨シーズン、悲願のJ1初優勝を飾ったヴィッセル神戸。スタジオに登場した三木谷は、優勝したホーム最終戦について、「最後の最後まで本当に優勝できるかどうかわからない、スリリングな状況の中で最初に点が決まって、これはスムーズに行くのかなと思ってましたけど、やっぱり世の中、甘い話はそんなになくて」と苦笑。優勝の瞬間を振り返りながら、「本当に20年間ぐらいやってきたことが思い出されて、感無量でした」と、素直な胸の内を語った。
かつて神戸市が運営していたヴィッセル神戸は、赤字が42億円にも上り、2003年末に経営破綻。そんなクラブの危機を救ったのが、楽天を創業し、すでに経営者として成功を収めていた三木谷だった。神戸出身の三木谷は悩みながらも、“地元への恩返し”として、2004年にクラブの経営権を獲得し、会長に就任。
優勝にはほど遠くチームは低空飛行を続けたが、三木谷は亡き父の「負けたときほど前に出ろ」という言葉を胸に、選手やスタッフを鼓舞。常にチームの先頭に立ち続けた。下位でもがいていた2022年には、シーズン中にクラブハウスを訪れ、涙ながらに激励したこともあったという。
そのときの内容について、三木谷は「サッカーができる喜びを感じて、一球を大切にプレーしてほしいということですよね。いろんな人に支えられてるわけじゃないですか、トップチームは。
槙野は「そこから劇的に変わったっていうのもありましたから。そのタイミングだったり、その言葉だったりっていうのは、僕たち現場の選手もそうですし、スタッフにはものすごく刺さるものがありましたよね」と回顧。翌シーズンの優勝につながるクラブのターニングポイントだったと指摘した。
そんな三木谷とヴィッセル神戸の20年史を紐解く上で、世界的なスター選手の大型補強も外せない重要なポイントの一つ。
三木谷はこの大型補強について、「それまでは財政を均衡させて、大きな赤字を出さないようにということも考えつつやってたんですけど、流れを変えるために、単年度の支出よりも、投資に考え方を変えました」と、勝者としてのマインドセットで臨んだことだと告白。同時に、Jリーグ全体の起爆剤にする狙いがあったことを明かした。
スタープレーヤーと三木谷が直接交渉を行うこともあるそうで、イニエスタの場合は、元スペイン代表でビジネスパートナーでもあるジェラール・ピケから、“イニエスタ退団”の話を聞きつけ、次の日にはバルセロナに飛び、話をしたという。
三木谷は「彼の故郷ラ・マンチャの、彼のワイナリーまで行って、お父さんとも会い、3日~4日ですかね、話をして、そのまま飛行機に乗っけて連れ帰ってきました」と、驚きのエピソードを披露。イニエスタがJリーグにやってきたときの喜びが忘れられないという勝村は「電光石火ってすごいですよね。
大型補強でJリーグに旋風を巻き起こし、ヴィッセル神戸は観客動員数も大幅に増加。2020年には初タイトルとなる天皇杯を制すなど、確実に力をつけていった。クラブハウスの新設やグラウンドの充実、若手の育成など、20年をかけて数々の改革を進めてきた三木谷は、昨シーズンのJ1優勝について、「20年前に経営を引き継いだときは、補強すれば勝てるのかなって思ってたんですけど、やっぱりそんなことはなくて。トップチームがあって、そしてクラブ全体があるわけですけど、そういうものが総合的な仕組みとしてでき上がっていかないと優勝は難しい」と分析。
さらに、大迫勇也、武藤嘉紀、山口蛍、酒井高徳らの名前を挙げ、「経験豊富な選手たちが率先して、私が言うのもなんですけれども、そこまで走れるのかっていうくらい走っていたので。
最後に新シーズンの目標を聞かれた三木谷は「当然、上位で終わるということもあるんですけども、今年は秋からアジアチャンピオンズリーグに出場することができますので。(最高が)ベスト4で終わってますので、それ以上の成績が取れるように頑張ってほしいなというふうに思っています」と期待を込めた。