※現在、緊急事態宣言発令中につきショールームが臨時休館。
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三菱自動車はダカールラリーに1983~2009年までに計26回出場し、通算12回の総合優勝を果たしている。当時の迫力のある写真パネルを展示しているほか、2002年の優勝車パジェロ(ドライバー増岡 浩氏 実車車両)を展示中。車両に残る戦いの痕跡からは、当時の熱闘ぶりがうかがえる。ぜひご自身で確認していただきたいと思う。
さて、今回のダカールラリー展を記念して、2002年・03年に日本人初の総合2連覇を果たした増岡 浩氏に、あまり知られていないダカールラリーのあれこれについて伺った。増岡氏(1960年・埼玉県生まれ)はパジェロを駆り、ダカールラリー出場通算21回の砂漠の王者である。
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朝は水を飲まない
ラリー当日の朝は、60錠から80錠ぐらいのサプリメントを飲みます。そうすると、物を食べなくてもビタミンとか、鉄分、マグネシウムなどの栄養が体に入ります。できれば、朝起きてパンとコーヒーで、フルーツを食べたいのは山々ですけれども、僕らはスタートが朝早いので、まず時間がないんです。あとノンストップでドライブしないといけない。要はね、走行中にトイレで止まりたくないんです。
もちろん、もしもの時のために、長距離の場合は紙おむつを着けます。だから朝起きてテントを畳んで、寝袋を丸めて、片付けるでしょ。サプリメントを飲むけれど、水はとにかく飲まない。水を飲むと生理現象が起きるでしょ。だから、もう錠剤だけを飲み込んで。
それで、走り出して身体が温まって、汗をかいてきたら、脱水症状を起こしてしまうので、水分をとる。クルマの中ってだいたい50度から60度ですね。エアコンは僕らが走っていたころは付いていなかったです。人間を冷やすより、クルマを冷やさなくてはいけないので。各所の冷却のために、ぜんぶクーラーだらけなんですよね。
ただ意外とね、気持ちが悪いのですが、レーシングスーツが汗でびっしょりになると気化熱を奪うからね、後はそんなに暑くない。ガマンできちゃう。でも、レーシングスーツは汗の結晶で縞々ですよ。クサいしね(笑)。汗が絞れるときがあるもんね。レーシングスーツは何日も着ると臭くなるから、1レース4枚。3枚を前半着まわして、途中でぜんぶ洗濯して、でまた後半で3枚着用。最終日は新品を着るようにしています。“優勝”したときのためにとっておかないといけない。
昼間は当然走っているので、水分だけ。走りながら水分を補給するキャメルバッグで1人2つずつだから、8リッターの水があります。まあ、スポーツドリンクだったりね。だいたい夕方、3時とか4時ぐらいにゴールして、毎日主催者から渡される非常食に手をつけます。タイム計測区間が終わって、そこからキャンプ地までの移動区間などに、果物とか乾パン、缶詰、チーズなどの保存食があるので、それをかじりながら、運転していきます。
1日走り終わると、体じゅう砂まみれになります。すごいですよ。キャンプ地だとちゃんとしたシャワーなんてないから、もう本当にバケツで行水ですよ。汚いクサい水でね、主催者側で水を用意してくれる所もありますが、ないときは現地で水を買うしかない。商魂たくましくて、売りに来るんだよね。
夕食は日本食のレトルト食品
晩飯は夜7時くらいから。食事もぜんぶ主催者から出ます。
食事の後、夜は次の日に走るロードブック(主催者が作成したコマ地図)をナビゲーターがだいたい解析し終わっているので、それを預かってテントのなかで次の日の予習。何km走ったら何度の方向とか、だいぶ明日は石が多い、砂が多いなとか。そうすると、燃料を何リッター積もうとか、4本積めるスペアタイヤを何本で行こうとか、タイヤの空気圧をいくつでスタートしようとか、それらをぜんぶロードブックから紐解いて作戦を練りますね。
GPSは主催者からのレンタル
GPS(全地球測位システム)についても、例えばメーカーチームもアマチュアチームも、ナビゲーションの機材は全チームが主催者からのレンタルで、同じものを使います。やっぱり機材にお金をかければ、当然、「点」が「線」になるわけで、公平を保つために、ぜんぶ主催者から同じ物が与えられるんですよ。
チームでGPSを持つのは規則違反。ですが、もちろん非常用として、車両には衛星電話を積んでいるんですよ。コックピット内に置いておくのは、外部と連絡を取れてしまうので違反ですけれどね。だから、後ろに置いてあります。例えばクラッシュしたり、クルマが壊れて動かなくてリタイヤしたときのために発信器が積んであります。コースミスしてケガをした場合など、発信器を押すと対象者とその位置がわかるので、ヘリとかで助けに来ます。人を守らなければいけないので。衛星電話の使用はペナルティにはならないんですけれども、そのためには停車してリヤドアを開けないといけないので、タイムロスになります。
事故と飛び石が怖い
ただ、怖いのはやっぱり事故ですよね。
レースは二輪車がぜんぶスタートした後、四輪の1号車からスタートしていきます。そうすると、四輪車はだいたい半分以上、100台以上の二輪車を抜いていくんですけれどね。なかには、速い二輪車になると、僕らが気をつけなければいけないのが、飛び石です。二輪車は飛び石がスゴいんですよ。機関銃のようにバンバン飛んできますからね。だいたいフロントガラスが割れちゃう。だから、僕らで期間中にだいたい4枚ぐらいフロントガラスを交換しますね。レース車の後ろにゴム製の大きめのマッドフラップ(泥よけ)があるのは、後ろを走る“相手”のことを思っているんだよね。あれで飛び石を防いでいます。
銃を突きつけられた!
あと、怖いのは政情不安です。2008年にテロ予告があって、スタート地点まで行っていたんですけれども、中止になった。ダカールラリーのゴールはセネガルの首都、ダカールですが、その北にある国がモーリタニアで、地中海にも面しているモロッコとモーリタニアの間に西サハラという国があるんです。そこはね、地雷がすごく埋まっていて、ロードブックに地雷原を通過するから気を付けてと書いてある。気を付けてといったって、見えないですからね。地雷が破裂したのは2回ありますね。
さらに、強盗に銃を突きつけられたこともあります。現金を渡しました。でも突きつけられたのは、僕だけなんだ。クルマで1番だったから。もうスタートの時に銃を持った人がきて。要するに「金出せ」なんだけど、国境なので名目は通行料を出せということなんですね。軍服を着ていて、いかにも国に関係している人を装って。僕は一文無しだけど、ナビゲーターが何かあったときのためにお金を持っていますね。
フランスでメカと語学修行
ラリーでは、車両整備に関するスキルも求められますね。サーキットではクルマの調子が悪ければピットインしてメカがみてくれますが、(ラリーでは)スタートしたら次のゴール地点まではドライバーとナビゲーターだけで何とかしなければならないわけ。僕が走り始めたころだから、1989年から91年まで3年間、フランスの修理工場で働いていたんです。ラリーのクルマを作ったり、直したりしていました。メカの能力を高めなければいけないので。あと、ダカールラリーは運営がフランス人ですから、ほぼフランス語です。次の日のコース説明とか、大事なブリーフィングを口頭でもやるんだけど、フランス語で10言って、英語だとそれを3ぐらいしか言わないですからね(笑)。メカに関する知識の習得とフランス語の語学能力の向上という2つの目的があって、フランスに住んで修理工場で働いたんです。やっぱりいつか頂点に立ってやるぞと思って。それから2002年のダカールラリーでの総合優勝まで、11年かかりました。
また、ダカールラリーではオーバーヒートでエンジンが壊れてしまい、メカニックの人が徹夜で修理してくれて、何とかゴールできたこともありました。やっぱり三菱チームの強さというのは、経験も積んでいたので、部品交換が楽にできるように作っていたんですよね。例えば僕らは昼間走って、ゴールすると、待ち構えているメカニックの人が、次の日の朝のスタートまで作業する時間があります。でも、人間疲れるとミスをおかすから、やっぱり彼らも休めてあげないといけない。だから、他のチームの半分ぐらいの時間でクルマの整備がぜんぶ終わってしまうぐらいでした。ネジを緩めたら外せるようにしてあって、整備性に重きを置いて設計してあったんですね。2002年の優勝車はクラッチ交換が10分で終わってしまうくらいでした。
〈文=ドライバーWeb編集部〉