神田明神の鳥居脇の天野屋さん。
甘酒がとみに名高く、東京の老舗としてメディアや数多くのブログに、取り上げられることも多い。


天野屋さんのご創業は1846年。天璋院篤姫にとっては舅にあたる、徳川家第十二代将軍家慶公の御世であり、篤姫の養子となった第十四代将軍家茂公の生まれ年だ。
明治維新、関東大震災、世界第二次大戦を経て、未だに都心で老舗ののれんを守り続け、今に至るまでのご苦労はいかばかりかと、六代目当主の天野博光さんに、お話を伺ってみた。

大正期の震災の折りは倒壊の被害こそ当時90坪ほどの広さだった地下の土室(つちむろ)の煉瓦が一部崩れたくらいですんだが、家屋が類焼し、また東京大空襲の折りには、工場、店舗、ご自宅が全焼してしまっている。

「創業当時はどぶろくの商いが主流でしたが、明治になってから酒造法が厳しくなったのでやめてしまいました」と、明治初期のことを、ご当主は淡々と語られた。
もしもご維新がなかったのなら、まだ天野屋さんのどぶろくが頂けたのかも? とはいえ、天野屋さんの屋台骨は、どぶろくがないからさあ大変という訳ではなかったようだ。

神田明神とのご縁から、創業当時から芝崎納豆や甘酒なども作り、糀も自前の工場で醸していた。それに、大豆や糀があれば、味噌も作れる……。

実際、今でも天野屋さんの店頭には、甘酒に、芝崎納豆、ぶどう豆、久方味噌(なめ味噌)、江戸味噌と、300坪の敷地内にある、戦後まもなく再建した工場で作られた商品が、ずらりと並んでいる。
その中の1つに、糀であえた納豆に醤油やみりんで味付けしたものもあると伺い「醤油もお造りになれるのでは?」という疑問が出てきた。
その気になれば造れないことはないだろうけど、と一言おかれた後、「醤油は仕入れています。国産のいいものを、です」と言い切られた。

そう天野屋製の商品の原材料は全て国産。元々国産の食材は高かったので、昨今の原料高騰の影響は、食品自体にはそれほどないのだが、段ボール、包装紙、石油が原料のプラスチック製品などの値上がりが、売り上げに及ぼす影響が厳しいそう。
ちなみに長年都心での商いを続けていく中で、一番きついのは、「相続税」。
土地が高騰したバブルの頃も色々とご苦労がおありだったのでは、と思うが、その当時、お店を畳んでバブル大尽に成り上がるというお考えは端から無かったという。

ほかにも、漬物や沢庵、飴(冬季には店頭に並ぶ飴の種類が増える)も店頭に並んでいる。最近の人気商品といえば、天野屋さんの神輿装束を着た限定キューピー(!!)を忘れてはいけない。
去年(2007)の神田明神の本祭の女神輿の担ぎ手に引き出物として配って噂になったのが商品化のきっかけだったとか。

ここまでお話を伺ううち、戦火で、製法の覚え書きなどの資料が失われたのではとふと思ったのだが、そういったものは体で覚えるので無いと伺い安堵した。疎開させるなどした土室などの資料は、3年前に江戸東京博物館へ、また今年になって千代田区へも、寄贈した由。

天野屋さんの工場には昔からの井戸もあるのだが、残念ながらビルの乱立のせいか、水脈が変化してしまったそう。今では水道水を使っておいでだが、水は沸騰させてから使うので、天然水にこだわらずともよいようだ。

インタビューの後、地下6mにある土室も見せて頂いた。
半分以上が天野屋さんの地所からはみ出ていた為、その部分を失い、現在は20坪ほどの大きさ。土室の壁や天井をおおう煉瓦には、所々にかびが厚くついている。今でも冬季に、糀を醸し、甘酒を造る大事な場所だ。
ここで糀や甘酒を造らねばない冬が一番お忙しいとご当主が教えて下さった。無論、初詣でなどのイベントで参詣客が増え、湯島天神の花見客も立ち寄るせいもあるのは間違いない。
(いぬい亨)

・神田明神前 株式会社天野屋
住所:東京都千代田区外神田二丁目18番15号
開店時間:平日、9時~18時。
日曜日、祝日、9時から17時。
定休日:4月3週目~12月1週目の期間の日曜日。8月10~17日。海の日。
*店舗サイト(オンラインショップ有り):http://www.amanoya.jp/
*六代目ご当主のブログ:http://kaiwai.amanoya.jp/