秋も深まってきたが、まだまだ熊出没の季節。

ところで、熊にあったときの対処法として、近年は「死んだフリは逆効果」というのが、常識として知られるようになっている。


理由は、「熊もビックリして襲う」とか、「死んだフリをしていると、確認のために熊が噛みついたりする」など言われており、予防法としては、「突然あわないように、ラジオなどをかけて歩く、笛、鈴などで自分の存在を知らせる」ということ。であってしまったら、「騒がない」「そっと下がる」「背中を見せて逃げない」「熊撃退スプレーを使う」などの方法が指摘されている。

では、ここでちょっと不思議に思うこと。なぜかつては「死んだフリをしろ」といわれていたのか。迷信が広まった理由とは?
「昔は死んだフリでもある程度良かったが、今は森林伐採などによって、熊が人里におりてきてしまっているから、通用しなくなった」という声もあるけど……。
NPO日本ツキノワグマ研究所代表の米田一彦さんに聞いてみたところ、「なかなか良い質問です」として、その回答があるという『生かして防ぐ クマの害』(農山漁村文化協会)を紹介してくれた。


本書によると、熊による殺傷事件は北海道の開拓時代にはたくさんあり、そのうち、歴史上で日本最大の事件が、大正4年に起こった北海道の苫前村で起こったものだという。
これは、一頭のヒグマが、2晩のうちに、胎児を含めて7人を殺し、3人に重軽傷を負わせ、しかも、犠牲者の多くを食ったという事件だ。
ヒグマが何度も襲ってくるなか、6日目でようやく射殺されたのだというが、気になるのは、この事件で、無傷で生き残った11歳の男の子と、6歳の女の子がいたということ。
それについて、こんな記述がある。
「男の子は積んであった俵の間に潜って難を逃れたが、女の子は布団の中で、事件を知らずに眠っていたのだ。小さな女の子に命を残したのは、神の気まぐれだったのだろうか。
クマに敵愾心もいだかず恐怖心も与えず、身動きしなかったことが、女の子が助かった理由だろうか」
「熊には、自分が倒した自分の獲物に執着し、その獲物を妨げる者を『排除』しようとする習性が強い。そのことが犠牲者を追跡したり、遺骸から離れない執拗さとなって現れるのだ」
つまり、たまたま何の抵抗もなく眠っていた女の子が、熊の被害から逃れたというエピソードが広まり、迷信を生むきっかけの1つになったということは十分考えられるよう。
実はこれに近い事件が、明治から昭和初期まで数多くあったともいう。

歴史的には、「眠っていて助かった子がいた」という記録は確かにあった。とはいえ、やはり「死んだフリ」は有効手段でないのは紛れもない事実。

改めて、「死んだフリ」は危険なので、絶対にやめましょう。

(田幸和歌子)