それは「何か面白い事を言ってとせがまれた」と言う言葉。
確かに突然「さあ今すぐ笑わせてみて」、と言われても困ってしまう。大阪在住だからと言って誰しも持ちネタがあるわけではないのだ。
「会話のテンポが早いので、普通に話をしているだけで面白い」と言う声も確かにあるが、それも相手があってこそ。
誰でも彼でも面白いことを言えると勘違いされてしまうのは、大阪に漫才師が多いからだろう。
が。お笑い芸人さんは何も関西の人ばかりではない。
実際、夜の町に出れば流しの歌手ならぬ流しの漫才師がネタを披露しているが、話を聞いてみれば他府県から来た人間が案外多いのだ。
なぜ大阪でネタを披露するのか。「大阪で鍛えられたい」と、皆一様に言う。ここが登龍門だ、と意気込んで出てくる人も多いそう。
大阪の人=お笑い、なぜそう言われるのか、お笑いの源流である落語を探ってみることにした。
そもそも落語とは江戸時代から続く歴史ある伝統芸能で、大阪では上方落語が、関東では江戸落語が発達した。
上方落語協会の方に伺ってみると、上方落語は落ちで笑わせる滑稽話が多く、江戸落語は人情話で客を惹きつけるのが多いそう。
それに上方はハメモノと言うお囃子などの効果音を入れて派手に。逆に江戸落語は語りで聞かせる……などの違いも。
そもそも上方落語は神社の境内や道端などの野外に小屋をたてて、道行く人に面白い話を聞かせたのがはじまり。
腰を落ちつけて聞くのではなく、ぱっと耳目を楽しませる派手さが大阪の落語にはある。逆に言えば、そうしなければ客入りに関わると言うわけだ。
現代のプロの落語家さんも関西で公演する際には、「上方ではお客さんから強い期待が感じられますね。爆笑を取らないと……と言う気持ちはあります」と、観客の視線に多少のプレッシャーを感じるそうだ。
大阪は“お笑いの聖地”と呼ばれて久しい。豊潤なお笑い文化に教化され、お笑いに厳しい目線を自ら育ててしまったのかもしれない。
しかし味にうるさい人が必ずしも料理上手と言うわけではないように、大阪の人とはいえ、誰しもすぐにボケて突っ込めるわけではないのだ。
ノリ突っ込みは学校の必須科目だの大阪の町を歩く人の半分以上が芸人だ、などの言葉は全て都市伝説。
「面白いことを言わなければ」と張りきる人が多いのも確かだが、中には「面白いことを言ってとお願いされ、なんとかひねり出したネタで滑ったことがいまだにトラウマです」と言う人も多いので、どうぞあまりせがまないであげてください。
(のなかなおみ)