「松井秀を清原氏が激励」

こんな見出しを一般紙、スポーツ紙などでときどき見かけるが、こうした記述に、ふと違和感を覚えたことはないだろうか。

違和感の理由はおそらく、一方が呼び捨てで、一方には「氏」がついていること。

タレント・俳優・スポーツ選手など、「公の人」は報道で呼び捨てとなるのが常だが、すでに野球選手を引退している以上、尊称が必要となるのだろう。
それでも、「清原氏」とするのなら、「松井秀選手を清原氏が激励」としても良さそうなもの。
あるいは、高校時代からずっと有名人だった清原は、プロ野球選手を引退し、野球評論家・解説者となった今でも、やはり「公の人」として、「松井秀を清原が激励」ではいけないのか。

これについて、ある週刊誌記者は言う。
「桑田も報道ではやはり『桑田氏』ですよね。たとえば、どこかに所属してコーチや監督になれば、『桑田投手コーチ』『清原監督』といった役職名がつきますが、評論家・解説者などの場合は、『清原野球評論家』とは言わず、『野球評論家の清原さん(氏)』といった呼び方になりますよね。それ以外では、KONISHIKIみたいにタレントとして活動しないと、呼び捨てにはならないのでは?」

さらに、ある新聞社の記者に聞いてみたところ、こんな回答をもらった。
「確かに、清原さん、清原氏は違和感ありますね。
KKコンビの片割れ、桑田真澄も、『桑田さん、卒論MVP』と報じられています。ご指摘のように、スポーツ紙、一般紙問わず現役スポーツ選手は、『○○選手』とするか、名字や登録名だけの呼び捨てが通例です。何十年もそれで新聞の世界は違和感なくやってきたのでしょう。それが、最近はネットで簡単に記事が読まれる中で、新聞を読まなくなった人たちが、簡単に『おかしくね?』と違和感を覚えるようになったのでは?」

加えて、彼らの経歴による部分もあるという指摘があった。

「同時に、キヨハラ、クワタというのは20~30歳代にもそれなりにインパクトのある選手で、呼び捨てでいる期間が長かったのに、急に『さん』『氏』をつけるのに、読む側が居心地の悪さを覚える、ということじゃないですか。かといって、KKコンビだけを呼び捨てにはできないし、タレントではなく評論家として球界で活動している以上は、『さん』は付けざるを得ない。まあ、ユニホームより背広を見慣れれば、彼らへの尊称もいずれ『慣れる』話じゃないですかね」

ちなみに、まだ慣れないが、一部報道では「朝青龍氏」という言葉も見るようになったし、長嶋一家の場合は「長嶋茂雄氏」「長嶋一茂氏(呼び捨てと両方あり)」「長嶋三奈」とされていることが多いよう。

尊称の有無は「公」の線引きによって決まってくるということだろうけれど、そこで面白い例を1つ。
野村夫妻の場合、「前楽天監督の野村克也氏」などとしながら、奥さんのほうは「タレントの」が一般的。そのため、こんな記述も見られた。

「タレントの野村沙知代が(中略)野村克也氏を支えてきた妻として」

なんとなく不思議な感じはしませんか。
(田幸和歌子)
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