何故、今日がレモンの日なのだろう?
昭和十三年のこの日、智恵子が亡くなったからだ。
明治四十四年。
智恵子は、高村光太郎と出会い、ふたりは恋を育む。大正三年に披露宴。
昭和八年。
智恵子、睡眠薬アダリンを飲んで自殺未遂。昭和六年に最初の徴候が現れたと言われている精神異常が、この日を境に悪化。
光太郎智恵子光太郎智恵子光太郎智恵子と一時間も叫びつづけたり、交番の前で「東京市民よ、集まれ!!」と大演説をぶったりするようになる。
昭和九年、高村光太郎は詩「人生遠視」を書く。
足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろになる
照尺距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる
智恵子の状態は回復せず、ゼームス坂病院に入院。
光太郎は手紙にこう書いている。
“看護につとめて居りましたが、遂に戸を釘づけにせねばならず、小生睡眠も取れぬ状態となり、万やむを得ず先月末脳病院へ入院させました、チエ子可哀相にて小生まで頭が狂いそうでした”
昭和十三年。
六年間の狂気の果て。
見舞いに来た高村光太郎が持っていたレモンを、智恵子はがりりと噛むのだ。
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
(高村光太郎「レモン哀歌」)
そして智恵子は永い眠りにつく。
昭和十三年の今日、10月5日だ。
だから、今日はレモンの日なのである。
ふたりの結婚は幸せだったのだろうか? 幸せではなかったのだろうか? そもそも幸せかどうかなどと他人が測ろうとすることが間違いなのだろうか。
『智恵子抄』の詩を読み、その愛の激しさを思うと、愛も非愛も、幸福も不幸も、なんだか同じことの両面にすぎないのじゃないかという気持ちになってくる。
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる
僕のいのちと あなたのいのちとが
よれ合ひ もつれ合ひ とけ合ひ
渾沌としたはじめにかへる
(高村光太郎「僕等」)
・高村光太郎と智恵子についてのオススメ本。
茨木のり子『智恵子と生きた―高村光太郎の生涯』
詩人の茨木のり子が、読みやすい平易な文章で高村光太郎の生涯を綴ったコンパクトな一冊。
“光太郎の五臓六腑からひきずりだしたうた、自分の内部の地下水から汲みあげたうた、心理の波動をなまなましく伝えた、詩の歴史上まったく新しい意義をもった詩集でした”
北川太一『智恵子相聞』
光太郎と智恵子の生涯を追いながら、ふたりの作品が共鳴することを描いた一冊。
“共に生きた一人の女性智恵子とのハジメの出会いから、その愛のたかまりと共棲、そして宿命のように智恵子を襲う狂気と死とを、生涯をかけて歌い上げた一冊の詩集があります。『智恵子抄』。”
・高村光太郎の詩集、たくさん出ている。
高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫)
高村光太郎『高村光太郎詩集』(新潮文庫)
高村光太郎『高村光太郎詩集』(岩波文庫)
・智恵子が病床で作った紙絵たち。
高村智恵子『智恵子紙絵』(ちくま文庫)
・レモンをそのまま囓ると酸っぱいです。
キレートレモン瓶
(米光一成)