漫画家の中崎タツヤ氏の仕事場には、机と椅子以外、なーんにもないらしい……という噂は聞いていた。

とは言ってもね、仮にも複数の週刊誌で連載を持っている漫画家さんなんだし、資料を納めた本棚とか、パソコンとか、ファックスとか、気分転換で見るDVDとか、マッサージチェアとか、なんかそういうもんぐらいあるんでしょ? と思っていた。
ところが、そういうものは一切ないんだという。じゃあ、コーヒーメーカーは? ないの? 冷蔵庫ならあるでしょ? これもないの? まさか、電話機ぐらいは……? それもないのー!?

中崎氏の仕事場にどれだけ物がないか。その様子は「週刊ビッグコミックスピリッツ」の公式サイト「スピネット」内に設けられた氏のブログで、見ることができる。普段は他愛もない雑談のような内容の日記が多いのだが、ときどき、仕事場の様子を写真付きで紹介してくれている。それを見ると、本当になんにもないのだ。がっらーんとした部屋の中に、中学校のような机と椅子だけがポツンとある。
椅子は単なる木製の丸椅子で、背もたれすらない。壁にかかっていたカレンダーも、手元を照らすライトも、ひとたび「いらないんじゃなかろうか」と思ってしまったが最後、あっさりと捨てられてしまう。


◎2007年08月11日「8月7日の仕事場」

そう、中崎タツヤにとって、この「いらないんじゃなかろうか?」という自分への問いかけが、ものすごく大きな意味を持つ。そのすべてを明らかにしたのが、この度、発売されたエッセイ『もたない男』(飛鳥新社)だ。

巻頭のカラーページを開くと、ブログの写真で想像していた以上に荒涼としたアパートの室内が紹介されていて、いきなりノックアウトされる。本当~~~~~に、何もない。
机と椅子と、枕しかない。押し入れの中も空っぽで、その隅っこにはキッチンから取り外したガスコンロだけが置いてある。本当はこのガスコンロも捨ててしまいたいらしいのだが、これはアパートに最初から取り付けられていた備品なので勝手に捨てるわけにもいかず、中崎氏を悩ませているらしい。

いきなり見せられた写真のインパクトで、中崎氏の“物の持たないっぷり”をすべて知ったような気になるが、本文をよく読んでいくと、それどころではないことがわかってくる。彼は、物を買わないわけではない。人並みに物欲もあり、興味を持ったり、生活に必要そうだと思ったものは、わりと躊躇なく買っている。
「むしろものをほしいという気持ちは、人一倍強いのかもしれません」とさえ言っている。ところが、物欲はあっても、所有欲がないために、手に入れた物をあっという間に捨ててしまうのだ。これを本人は「スッキリ病」と呼んでいる。

本は、読み終えたそばからどんどん捨てる。ボールペンは、インクをすべて使いきるのを待たずに、インクが減った分だけ本体ごと切り落として短くしていく。以前は持っていたパソコンも、必要ないなと思った瞬間に捨てる。
自分の著書さえも全部燃やしてしまう。そして驚くべきことに、出版社から返却されてくる生原稿も、自分の手でシュレッダーにかけて捨てているという! まんだらけ方面の人が聞いたら歯軋りしすぎて歯茎から血を流すんじゃないのか……。

わたしは根っからのコレクター気質なので、部屋の中が物であふれ返っている。読みもしない本や、聴きもしないレコードが山積みで、足の踏み場もない。まさに、中崎氏の仕事場とは正反対の状態だ。だけど、中崎氏の気持ちもよくわかる。
捨てたくてたまらない気持ちと、集めたくてたまらない気持ちは、正反対のようでいて、実はその根っこにある部分は同じもののような気がするのだ。

ある日、いきなりわたしの仕事場から物が一切消え失せても、それはそれでなんとなく納得して、もたないライフを送っていけるような気がしている。その逆の状態に中崎氏が耐えられるかどうかはわからないけどね。(とみさわ昭仁)