二人は3/5からヒューマントラストシネマ渋谷で公開される「コリン LOVE OF THE DEAD」の監督と主演俳優だ。「コリン」は2008年にイギリスでインディーズ映画として制作されたが、劇場公開されて大ヒット。2009年のカンヌ映画祭にも招待され、低予算(45ポンド = 約5800円)なのに凄いゾンビ映画があると話題になった。カンヌでゾンビ映画が話題ってだけですごくワクワクしたのを覚えている。
で、実際観てみたらウワサ以上の名作だった。バイオレンス、コミカル、グロテスク、悲しさ。「ゾンビ映画だったらコレは観たい」が全部乗せ。低予算とは思えないどころか観ているうちに予算とかは忘れてしまう。ちなみに予算はほとんど撮影道具や小道具に使われているらしい。出演者はみんなボランティア。エキストラはfacebookやmyspaceで募ったそうだ。
「グロテスクな部分、コミカルな部分も大事だよね。でもそれに加えてゾンビ映画ではあまり見ない感情面を描きたかったんだ」
感情面! でも主人公のコリンは泣いたり笑ったりできないし、言葉も話せない。なぜか? ゾンビだからだ。コリンはストーリーの序盤でゾンビになる。普通のゾンビ映画ならカメラが切り替わって、生き残った人間を映すだろう。でも「コリン」はゾンビになったコリンの視点で、そのままストーリーが進んでいく。マーク監督は怒りやおびえなどごく原始的な感情しかないゾンビで、観客の感情を揺さぶりかけてくる。
「観客が共感できるようなキャラクターにしようと、アラステアと二人で知恵を絞ったよ。ゾンビになったコリンはちょっとよちよちした繊細な動作で、自分の手の届くところを手当たり次第に触ろうとする。まるで赤ちゃんが世界に初めて触れるようにね。この部分は「死霊のえじき」のバブを参考にしたよ」
ジョージ・A・ロメロ監督の「死霊のえじき」は、超有名なゾンビ映画「ゾンビ」の続編にあたる。
「でも、バブはあくまで参考だよ。その上にアラステアのアイデアを加えて、ゾンビのキャラクターを作り上げていったんだ」
確かにアラステアさん演じるコリンは、バブより数段イケメンだ。
「マークからのリクエストだった子どもらしさに加えて、動物的な要素を取り入れました。何も無いときには穏やかな表情で歩いているけど、獲物を見つけたり敵に捕らえらそうになったら、キバを剥いて威嚇するんです」
このキバを剥いて威嚇しているシーンが、パッケージや予告編にも使われている。それまではとぼとぼと歩いていて他のゾンビに吠えかかられたら逃げてしまうくらいに頼りなかったコリンが、内側から沸き上がる獰猛さで上書きされる瞬間。不思議な美しさに心が震えた。
「アラステアからは役者の最大の武器であるセリフと感情表現を奪って、それでも観客の心を動かす演技を要求した。とても難しい注文だったと思う。だけど、見事にやりきってくれたよ。主演には最初から彼しか考えてなかったんだ。
出演を快諾したアラステアさんも、最初は驚いたそうだ。
「アパートの中で人間がゾンビの大群と戦うシーン、あれは撮影初日に撮っていました。私の出番は無かったけど、現場の様子を知るために見学にいったんです。そうしたらアパートの外でゾンビがお茶飲んだりお菓子食べたりタバコ吸って休憩している。中は中でたくさんのゾンビがうろつきまわっていて、正直『とんでもない作品に出演することになったなー』と思いました」
監督とアラステアさんの二人だけで撮ったシーンもあるという。
「最初にコリンが街を歩き始めたシーンは、ぼくとアラステアだけで撮ったんだ。このカメラを持って街をフラフラと歩きながらね。コリンを捉えるカメラの動きは、もう一人のキャラクターといえるくらいに重要だから、いろいろ試行錯誤したよ」
ちなみにそのとき使っていた監督のカメラはNV-DS15という機種。なんと実際に撮影に使ったカメラを触らせてもらえた(写真参照)!
「ゾンビになったコリンが鳩を追いかけるところ、あれはアラステアの即興だった。いきなりだったからカメラワークに心残りもあるけど、いいシーンだったから本編にも使ったよ。あのときは周りがうるさくて鳩がはばたく音は録れなかったから、こうやって作ったんだ!」(紙の束をバタバタバタ! とあおぐ)
予算ではなくアイデアで解決した問題は他にもある。
「たくさん人数が出ているように見えたでしょ? でも実際は15人くらいなんだ。顔がはっきり見えないようにカメラの前を走り抜けてもらって、行きが終わったら洋服を着替えてまた帰り。何度も何度も繰り返して、たくさんの暴徒が走り回っているように見せたんだ。あとは撮影を見学してた近所の子供も「ちょっと出ない?」って誘ったりもしたよ」
実際は 15 人とはいえ、手製の爆弾で爆破したり、鈍器でぶんなぐったり、パチンコで飛ばしたカミソリが目に刺さって血が噴き出したり、道で見かけたら即交番に逃げ込むくらいにバイオレンスだった。通行人に誤解されなかったのだろうか?
「ほんとうの暴動じゃないかって心配した人がいたみたいで、通報されちゃったよ。でも警察も半信半疑だったらしくて、警官がたった一人でやってきた。で、実際到着してみると、道に顔が剥がれ落ちて血だらけの人とか腕とか足とかが転がっている。マジで暴動に出くわしたと思ったみたいで、すっかり固まっちゃってたよ。急いで「大丈夫、映画の撮影です」って説明して安心してもらった。最後は「記念に写真撮ってっていい?」って自分の携帯で写メ撮って帰ってったよ」
この暴動シーンでは、たまたま近くを歩いていたコリンも巻き込まれる。他にも、ひったくりに靴を取られそうになったりいきなり拉致されたり、困難は次から次へと降りかかる。
「そこは観客が自分なりに解釈できるように、できるだけあいまいに描いている。観客が自由な解釈ができることが映画の醍醐味だと思っているから、その点はすごくこだわったよ。だからどのように解釈したとしても、それが正しいと思ってほしい」
なるほど……。では、テーマの解釈はどうだろう? ゾンビ映画の楽しさは飛び散る血や手足や襲いかかるゾンビを眺めるだけではなくて、ゾンビが何を象徴しているか考える楽しみもある。ちなみにロメロ監督は「ゾンビ」でショッピングモールに集まってくるゾンビの群れは、消費社会でCMに洗脳されたアメリカ人を象徴していると語っていた。「コリン」は一人で街を歩いているシーンがとても印象的だけど、何を象徴しているのだろう。
「ぼくはスタインベックの『疑わしき戦い』が好きで、その影響を受けている。労働者が団結してストライキを起こす話なんだけど、人間が一つの群れになったとき、ひとりひとりの個性は失われてしまうんだ。
思ったより難しい話になってうろたえていたら、アラステアさんが助け舟を出してくれた。
「都会の中で一人で暮らす寂しさや孤独感は描かれていると思いますね」
ひとりで街を歩くコリンにも、友達や家族や恋人がいた。だけど死人が生き返って人を襲う世界では大事な人が側にいるからこそ、かえって生き残ることが難しくなる。そしてコリンは生き残ることをやめて、孤独に街をさまようことになった。マーク監督も思い出したように笑う。
「ああ、そういえば、一緒に映画を作っていた友達がカナダに帰っちゃって、急にさびしくなった時期でもあったなあ」
「唯一残った友達が私だけだったから、撮影中の18ヶ月はマークに何かとべったりされて正直うんざりでしたよ。いまでもスキをみては逃げようとしてるんですけどね(笑)」
といいながら、二人は既に次回作でも一緒に仕事することが決まっている。次回作の「Thunderchild」は第二次世界大戦のヨーロッパが舞台のモンスター映画。若い父親が事故死した小さな息子を棺桶ごと盗んで走るロードムービー「Magpie」の制作も同時に進んでいて、アラステアさんはどちらの映画でも重要な役どころで出演するそうだ。
オシャレゾンビ映画「28日後…」の後「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー賞8部門を制覇したダニー・ボイル、スタイリッシュゾンビ映画「ドーン・オブ・ザ・デッド」の後「300」「ウォッチメン」「エンジェル・ウォーズ」とのびのび好きなものを撮ってる(ようにみえる)ザック・スナイダーと良いゾンビ映画を撮った人はその後もヒットを飛ばして有名になっているから、マーク・プライス監督もきっとそうなると思う。今から注目しておこう!(tk_zombie)