あの瀬名秀明がドラえもんを書いた!?
ということでこのエキレビでも話題になっていた『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』だが、実は瀬名は知る人ぞ知る、筋金入りのドラえもんマニアだったのだ。本日から3回にわたり、そのドラえもん愛とノベライズ創作秘話について語ってもらう。

ファンには説明するまでもないことだが、瀬名のこの作品は、藤子・F・不二雄が雑誌「コロコロコミック」に連載した漫画、〈大長編ドラえもん〉シリーズの一作『ドラえもん のび太と鉄人兵団』を原作に忠実に小説化したものだ。小説を読むときには、併せて原作を読み、そして2本の映画化作品も観れば楽しさ倍増は請け合いである。(小説版のレビューはコチラ
それでは瀬名さん、存分にどうぞ!

――今のエキレビ読者はほとんど知らないと思いますが、瀬名さんは1998年に雑誌「鳩よ!」のドラえもん特集に登場されて、インタビューで熱烈にドラ愛を語られているんですよね。

瀬名 このとき既にドラ好きだということが皆に知られていたのかなあ。全然覚えてないんですよ、どういう経緯だったのか。

――読み直してみて驚いたのは、瀬名さんが「コロコロコミック」のドラえもん関連読者企画に応募していて、入賞を果たされていたということです。意外な原点(笑)。

瀬名 『大長編ドラえもんのび太の海底奇岩城』連載時の「チャレンジ!ザ ドラえもん」企画ですね。その前に「ドラえもんカラー新聞」の「ドラえもんなんでも情報コーナー」というのがあって、そこへ自作の「ころばし屋」の写真を勝手に送って採用していただいたのが最初です。父親の名前も書いて送ったら、間違いで連名で載ってしまった(笑)。

――「チャレンジ!ザドラえもん」の第4回に入賞したんでしたっけ?

瀬名 そうです。第1回はストーリーアイディアコンテストで、それは藤子・F・不二雄全集の『大長編ドラえもん』の2巻目に再録されているんです。
第4回も再録してほしかった(笑)!

――もったいない(笑)。瀬名さんは生まれて初めて買った漫画本が、てんとう虫コミックス『ドラえもん』の6巻だったとか、あの「さようなら、ドラえもん」の回が収録されている。

瀬名 あまりお小遣いをもらっていなかったので、単行本を買えなかったのね。小学校4年生のときに創刊された「コロコロ」や、小学館の学年誌は買っていましたが。それで正月に初めてドラえもんの6巻を、お年玉で買ったんですよ。でも、お餅に醤油をつけて食べながら読んでいたら、せっかくの本にこぼしちゃった。

――ああ、お醤油を。

瀬名 僕は1968年生まれですから、ドラえもん世代でもあると同時にガンダム世代でもあるはずなんですよ。福井晴敏さんが、そうですね。でも僕は、小学校を卒業してから1年間、親の都合でアメリカに行っていたんです。そのときがちょうどガンダムブームだったので、その影響を受けずに大人になった。帰国したらみんな、ガンダムがどうホワイトベースがどうとか言っていてですね。
慌てて富野さんの、朝日ソノラマのノベライズを読んだと。そういう感じだったんです。

――瀬名さんが小学生のときに、平日の帯枠でドラえもんはアニメが始まりましたね。

瀬名 小学6年生の春からですね。午後6時50分から10分間。ただ、僕は静岡に住んでいたので、帯枠が10月まで始まらなかったんですよ。日曜日の朝に30分枠があって、最初はそれを見ていました。それが4月に始まって、1週間に3本やるんです。1ヶ月に12本でしょ。で、10月から1週間に5本ずつ、1ヶ月20本やるわけです。えーと、帯枠が最初のエピソードから始まったのかちょっとよく憶えていませんが、とにかく10月からの帯枠と日曜日枠では放送にずれがあったわけね。それで段々一方が追いついてきて、ついに他方を追い抜いた日は結構感動しました(笑)。


――なんだかわからないレベルの愛です(笑)。「コロコロ」の創刊は何年生のときですか?

瀬名 小学4年生だったと思いますね。

――そうすると、どの時点でドラえもんファンであるということを自覚したんでしょうか。

瀬名 さっきも言ったように、初めて買った漫画がドラえもんの6巻だったでしょう。当時、他に漫画を買うという選択肢が僕の中になかったんだと思います。とにかく6巻を買って、コミックスってこういうものなんだっていうことが初めてわかった。だから藤子先生以外のコミックスを買うのってすごく遅いですよ。6年生くらいにならないと他の漫画家さんの漫画は買わなかった。

――その次は何を買ったんですか?

瀬名 永井豪さんの『キューティーハニー』。でも、いきなり2巻買ったのでよくわからなくて、中を見て、俺はヤバいもの買ってしまったって(笑)。

――小学生としては(笑)。

瀬名 その後はてんとう虫コミックス以外でも藤子先生が単行本を出されているということが判って、そういうものを集めて買っていました。
中学生になってゴールデンコミックスの異色短篇集を初めて本屋に注文するということをやって。あれ、福田隆義さんのリアリスティックな、ちょっと怖い表紙なんですよ。そういう感じですね。

――そのときの関心は「漫画」に向いていたんですか? それとも「藤子不二雄」という作家ですか?

瀬名 藤子不二雄に対する関心のほうが強かったですね。中学1年生のときにアメリカに行ったとき、船便で「コロコロ」を送ってもらってたんですよ。で、本屋さんが「コロコロ」だけじゃなんだからといって、「マンガ少年」をつけてくれたんですね。

――おお! またいい趣味の本屋ですね(笑)。

瀬名 朝日ソノラマが出していた、『火の鳥』の連載があったやつですね。あと御厨さと美さんとか、高橋葉介さんとか。あれも僕の中ではかなり心に刺さった雑誌でした。だから、「コロコロ」と「マンガ少年」を併読する中学1年生だったんです。

――すごい趣味ですよね、それは。
実験室で純粋培養されたセンスというか。

瀬名 だから僕は、ジャンプとかサンデーって一回も買ったことがないのね。『ドラゴンボール』もよく内容を知らないんですよ。『キン肉マン』とかも知らない。マンガ少年のあとは、「コミックトム」にいってしまいましたから。『T・Pぼん』を読むために。

――それはかなり特殊な漫画体験だと思います。活字と漫画が趣味の中で併存していた時期というのもあるんですか?

瀬名 小学校のときは〈シャーロック・ホームズ〉、〈アルセーヌ・ルパン〉、〈少年探偵団〉といったシリーズを読んでいました。中学生で日本に帰ってきてから、眉村卓ブームというのがありまして。『ねらわれた学園』とかですね。そこで眉村さんにハマリまくりました。それとエラリー・クイーンのミステリとか海外ものを文庫で読んでいた感じです。
あとアメリカにいたとき英語で本を読もうと思って、日本でも昔翻訳が出てたんですけど、ロバート・アーサーの〈カリフォルニア少年探偵団〉というシリーズを読んでいたんです。ペイパーバックで30冊くらい出ていましたが、あれをコツコツ買って第1巻から英語で読むっていうのをやりました。小学生のとき『マガーク探偵団』とか読んでいたから、その延長で読んでいたんです。『大どろぼうホッツェンプロッツ』とかああいう路線ですね。

――ドラえもんから離れた時期はないんですか?

瀬名 中学校のときも、高校のときもずっとコロコロを買ってたんですよ。ひたすら、延々と。でも100号までいって、潮時だと思って止めたんです。

――それはまたどうして?

瀬名 本屋さんで、僕と同じくらいの年齢の高校生が雑誌コーナーでコロコロを立ち読みしていたのを見たんです。それがすごいオタクっぽく感じられて(笑)。それで、傷心しながらも、100号で止めようと決心したわけです。

――100号まで買うと創刊から9年ちょっとくらいですね。コミックスのほうはまだ買われていたんですか?

瀬名 そうですね。高校生のころには「藤子不二雄ランド」が中央公論新社で始まっていましたし、『エスパー魔美』も出ていました。そのころには古本屋めぐりをやるようになっていて、藤子先生の昔のコミックスとか、手塚治虫さんの漫画はそれで買い漁りました。

――テレビアニメのほうはご覧になってました?

瀬名 アニメはずっと藤子先生の枠がありましたね。「藤子不二雄ワイド」でしたっけ。火曜7時からの。あれは頑固に見てましたね。

――コロコロを買うのは止めてもそれは止めない(笑)。

瀬名 『キテレツ大百科』は見なかったかな、何故か。『モジャ公』とかはテレ東だからそもそもやってなかった。『ポコニャン』もやってなかったです。そういえば『チンプイ』は、DVD-BOX買っちゃいましたよ。

――映画版のほうはいかがですか?

瀬名 映画も毎年、一人で見に行ってたんですよ。『鉄人兵団』が86年だから大学入った春かな?そこまではいいんだけど、たぶん大学入って次の年の『竜の騎士』のときだったと思いますが、仙台で、僕初日に朝から並んで行ったんですよね。そうしたら、前にいた子供が「ママ、あのひと大人なのに一人で並んでる」って。

――残酷だなあ(笑)

瀬名 それでグサッときてですね……『パラレル西遊記』以降映画館に行かなくなったんです。テレビで見るだけで。

――子供に大きいお兄ちゃんあつかいされちゃうから。そのへんが暗黒期なわけですね。

瀬名 そうですね。今はむしろ子供と一緒に見たいですね、ドラえもんって。試写会よりは日曜日の昼間とかに親子連れのお客さんと一緒に見たい。でもやっぱり大学生にとってはキツかったですね。1986年くらいになると、大人向けのアニメも結構出てたじゃないですか。だから押井(守)さんや宮崎(駿)さんの作品も結構あったので、そういうものも見に行きたくなっていたんですよね。

――押井監督でいうと、『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』が1984年です。

瀬名 そうですよね。だからあのへんで大人向けのアニメに気が向いてしまって。

――浮気をしてしまった(笑)。(つづく)
(杉江松恋)

part2はこちら
編集部おすすめ