TBSの特番はこの事故での生存者4名の一人である川上慶子さん(当時12歳)について兄・千春さんが取材に応じたものだ。ちょうど現在発売中の「文藝春秋」9月号にも、千春さんは手記を寄せている。事故で慶子さんと同乗していた両親と一番下の妹(当時7歳)を亡くした経験は、当時中学2年だった千春さんにも精神的なショックを与え、それを乗り越えるには長い時間がかかったという。

手記にはまた、事故後、病院から退院したころから慶子さんがマスコミの取材攻勢に頭を悩まされていたことも書かれている。
《自宅の周りには常に何人ものカメラマンがいましたし、中学校の通学路で記者に待ち伏せもされました。過酷な事故の経験に加えて、相当なストレスになっていたと思います》
日航ジャンボ機の事故が起きたのは、マスコミによる集団的過熱取材、いわゆるメディアスクラムが問題化していたころだった。同じく1985年には、詐欺で告発されて捜査中だった豊田商事会長の永野一男が、取材陣が集まるなか乱入した男二人組に刺殺されるという事件も起きている。このとき犯人を制止せず、撮影を続けたマスコミに対して批判が集まった。
メディアスクラムはなくなったのか?
あれから30年が経った。この間にも、1994年の松本サリン事件では第一通報者を犯人と決めつけるような報道がなされるなど、メディアスクラムによる報道被害はあいついだ。こうした反省から、2001年には日本新聞協会が「集団的過熱取材に関する見解」をとりまとめ、放送・出版の関係団体にも呼びかけている。
他方、ネットの普及により、マスコミではなく匿名の個人によって凶悪事件などの関係者のプライバシーが暴露されたり、さらにはまったく無関係な人物が犯人扱いされたりという事例もたびたび発生している。
マスコミによるメディアスクラムや報道被害にせよ、ネットでの暴露やデマにせよ、それらが生じる根本には、あらゆる事件について、その関係者を極悪人や悲劇の主人公などに仕立て上げ、わかりやすい物語として解釈しようという欲望があるのではないか。
昨年、私の近所に住んでいた人がある災害で亡くなったとき、うちにも新聞社や放送局の記者がその人の写真があれば提供してほしいと訪ねてきたことがあった。たしかに記事やニュースに犠牲者の写真があれば、読者や視聴者は感情移入しやすくなり、事の大きさを実感することができるかもしれない。しかしそれによって、細かな事情、大本となる背景などが見逃されてしまう懸念はある。
そもそも事故・事件の被害者や遺族の心中などそう簡単にわかるものではないだろう。問題なのは、安直に感情移入してわかった気になってしまうことだ。他人にできるのはせいぜい、そういう事件や事故があったのだと記憶にとどめることぐらいではないか。
今回の手記では、川上さん兄妹はいずれもそれぞれ家族をもって幸せに暮らしていると結ばれているのが救いだ。だからといって、よかったよかったで済ませるのではなく、事故の遺族が自分たちの思いを公表できるまでに30年もの時間を要したという、そのこと自体の重さをいま一度噛みしめたい。
(近藤正高)