こんにちは。豚を丸焼きにしたり、地下に入ったり、博霊神社例大祭に行ったりするライター、杉江松恋です。
博霊神社例大祭に行ったりするよ。なぜ2回言ったし。
五月である。新社会人の方はスーツの着こなしが板についてきて、そろそろ一人前っぽくふるまいたくなるころだと思う。でも、気をつけて。もしかするとあなたの心は、自分で思っているほど強くないのかもしれない。新しい環境で緊張している間はいいのだけど、それに慣れたと思った瞬間に反動がくるかもしれない。いわゆる五月病というやつだ。張りつめた糸は、ゆるんだときに切れるんです。ご用心。
今回ご紹介したいのは、そういうときに読んでほしい3冊の本だ。
「俺、もっとがんばれるはずなのに」
「こんな風になっちゃうなんて、自分で自分が情けない」
いえいえ。
それでいいんです。世の中にはがんばれないときだってある。がんばろうとしてがんばれなくて、辛いときだってある。そういうときは、がんばらないことをがんばったほうがいいのだ。今がんばらなくても、いつか、がんばればいい。「明日から本気出す」が正しいときだってあるのですよ。がんばるな!

1冊目に紹介するのは、立川キウイ『万年前座 僕と師匠・談志の16年』だ。「なるようになる」という真理を書いた本である。
立川キウイは立川流に属する落語家で、師匠はあの立川談志。関東の落語界には、前座→二つ目→真打という昇進システムがある(関西にはない)。前座というのは芸人としては半人前で、自分の噺をやることよりも、師匠や先輩の用をするほうが仕事の上では大事だと見なされる。また、自分の名前で落語会を開くことが認められないなど、さまざまな身分上の制約があるので、努力してなるべく早く二つ目に昇進してしまうのが普通である。
ところがキウイは、この前座を16年半にもわたってつとめてしまったのである。当然のことながら、その長い年月のあいだには、キウイよりも先に昇進してしまう後輩も出てくる。次々に追い抜かれ、師匠には「いい可限にしろ」と呆れられる。そうした長い長い雌伏の日々を、脱力系のユーモアとともに振り返ったのが、この本なのである。帯の文句に「桃栗3年 柿8年 キウイは前座を16年」。誰がうまいことを言えと。
そもそもキウイは入門の段階から異常に回り道をした男だった。高校を卒業してコピーライターの専門学校に入り、その1年目に談志の「芝浜」を聴いて衝撃を受ける。思い切って入門を志願し、談志から「100万円を貯めたらもう一度来い」と言われて、一旦帰された。そこからが長い。新宿・歌舞伎町のパチンコ屋でアルバイトを始めたのはいいものの、歓楽街で悪友と一緒にふらふら遊んで食らうのが楽しくなり、100万円を貯めるどころか、一時は借金までこしらえてしまったのだ。結局、金を作るのに4年間もかかってしまった。
意味のない遅刻である。
『万年前座』を読んでいてもっとも苦しく感じるのは、破門について触れられた箇所だ。早く二つ目になりたいと焦って行った「二つ目昇進キャンペーン」で失敗したキウイは、その後3回にわたって破門宣告を受ける。特に2002年に受けた3回目のものは重く、「二つ目昇進への意欲が感じられない」という理由で、キウイだけではなく当時の前座全員が破門された。昇進どころか復帰の目処さえ立たない、無為の毎日の始まりだ。後援者の中には見限って離れていく人も現れ、ネットでは散々中傷をされた。復帰のための壁は無情なほどに高く、将来への不安を酒で紛らわすしかない日々が続く。

――それにしても、いつ、師匠に復帰のお許しをもらうための唄や踊りを見てもらえるのかすら分らない。本当に自分は復帰できるのか。全く先は見えず、不安や孤独に負けそうになり、それでまた飲みました。
「エイドリアーン!」
地元の安い居酒屋を出て、ベロベロの僕はバンザイしながら大声で夜空に叫ぶ。お前はロッキーか。

わけわかんない。

結局キウイは復帰がかない、奇跡的に二つ目に昇進し、体験をこの『万年前座』にまとめることになる。そして驚くべきことに、本がよく書けていたから、という落語界でも前代未聞の理由で談志から真打昇進を認められるのだ(本年7月に昇進予定)。どん底から至福の日々へ。復活がなぜ成し遂げられたのかは、おそらくこの本を読んでもよく判らない(たぶん本人にもよく判っていない)。一つだけ言えるのは、本文中に書いてあるとおり「あきらめる」ことだけはしなかったということだ。あきらめなければ、そのうちどうにかなるのである。どうなるのかは知らないけど、とにかく何かにはなる。大丈夫だ!

次に挙げるのも「ひとやすみ」の大切さを教えてくれる本だ。マサ斎藤『プロレス監獄固め』である。
 プロレス人気が下火になった現在では、その名前を知らない人も多いだろう。マサ斎藤、本名・斎藤昌典は1942年、東京都生まれ。
高校のときにアマチュア・レスリングを始め、明治大学在学中の1964年には東京オリンピックに出場を果たしている。卒業後にはプロの道を選び日本プロレスに入団するのだが、そこは力道山によって持ち込まれた相撲流の旧い慣習がまかり通る世界だった。すっかり日本のプロレス界に失望したマサはアメリカで生きていくことを決意し、わずか200ドル(当時のレートで7万2千円)だけを持って旅立つのだ。そして新天地で悪役レスラーとしての才能を開花させ、全米にその名を轟かせた。マサの拠点の1つだったミネアポリスのホテルには、今でも特製カクテル〈ミスター・サイトー〉のレシピが残されている。

――ペパーミントの利いた口当たりのよさにまかせて飲むと、とたんに足もとがふらつくほど強い酒が入っている。
馴染みのバーテンダーが「酒には強いが女に甘いサイトー」をイメージして、俺の知らない間につくって店で売っていた。こいつは今でも店の定番らしい。

そのマサに転機が訪れたのは、1985年のことだった。ウィスコンシン州ワカシャという街で泊まっていたホテルの部屋に、突如警官隊が踏み込んできたのだ。有無を言わせず身柄を押さえようとする警官に危機を感じたマサは「わけがわからないまま、強引な警官どもに腹を立てて頭突きをかまし、拳を食らわせて大乱闘」「みるみるうちに警官の数が増え、最後は二〇人になった」ところで力尽き、同室のレスラー、ケン・パテラとともに逮捕されてしまったのである。
実はこの一件、パテラが閉店直後のマクドナルドで店員と喧嘩になり、石をウィンドウに叩きつけるという事件を起こしたのが原因だった。
いわば同室のパテラの巻き添えを食った形なのだが、マサには思いがけない重い結末が待っていた。公務執行妨害および暴力行為で、禁固2年の判決を下されたのである。明らかに黄色人種に対する差別意識が影響した裁判だ。やむをえずマサは服役することになる。
だが、これが結果としては吉と出た。刑務所生活はそれまでの連戦でたまった疲れと飲酒によるダメージを抜くのに役立った。所内にはトレーニングルームもあったから筋肉もしぼまず、服役前よりも格段にいいコンディションで現役復帰することができたのだ。

――裁判での俺に対する判決は今でも納得がいかない。しかし、あれは神様が俺に与えてくれた休息の時間だったんだと、今では思えるようになった。

その後マサは日本マット界に定着し、アントニオ猪木の好敵手として暴れまわることになる。監獄固めというフィニッシュホールドは、刑務所帰りという彼の経歴を最高の形で生かしたギミックだ。刑務所での「ひとやすみ」がマサ斎藤を甦生させたのである。

順風満帆に思える人生であっても、どこかに違和を感じることはある。そのときにはなおざりにせず、じっくりと自分自身に向き合ってみたほうがいい。人生を「たちどまる」ことの大切さを教えてくれるのが、北尾トロ『男の隠れ家を持ってみた』だ。
『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』などの裁判傍聴ルポで北尾の名を知っている読者は多いだろう。最近では下関マグロとの共著『昭和が終わる頃、僕らはライターになった』でライターとしての駆け出し時代を綴り、話題になった。その北尾がある日、都内の某所にアパートを借りたことから話は始まる。自宅や仕事場とは縁のない、まったくの未知の場所に部屋を借り、月の何日かをそこで過ごす。アパートではライター・北尾トロではなく、素顔の自分に戻る。北尾トロとして暮らしてきた年月の間、知らないうちに縛られるようになってきた人の縁や地縁から抜け出して、もう一度自分自身を見つめなおすのが目的だ。テレビがなく布団さえもない(寝袋を使用)部屋での、何をするでもない毎日が始まる。やがて北尾は、見知らぬ街の飲み屋を探索し始める。酒を飲むよりも、その店に集う常連客や店員とつながりを持つことが目的だ。そこで「友達」を作ることができるのか。四十男の、ささやかな冒険が始まる。
 社会に出たばかりという年齢の人には、ここで北尾がやっているような挑戦を切実なものとして受け止められることができないと思う。「おじさんがいい年をして自分探しかよ」と呆れるだけのはずだ。それでいい。でも、この本を読んだことはずっと頭の片隅で覚えておいてほしい。
 就職とは、「そこでしか生きられない人間になる」ということでもある。会社が居場所。職場が人生。同僚は運命共同体の仲間。だが、いつかそれを疑問に感じるときがくるはずだ。本当に自分の居場所はここでいいのか。ここではないどこかに本来の自分がいるべき場所があるのではないか。そうした疑問が芽生えてきたとき、ちょっとこの本のことを思い出してもらいたい。いつもとは違う自分の顔を見つけるためには「たちどまる」ことが必要だ。たちどまるためにはエネルギーが必要なのである(慣性の法則ってやつですね)。そのやりかたを知っている人はそう多くない。北尾だって知らなかったはずだ。だからこそ見知らぬ街でアパートを借りてみるような、大仰な実験が必要になったのである。人それぞれでやり方は違うだろう。正解はない。いろいろ試してみてほしい。

人生は「なんとかなる」。「ひとやすみ」をするために「たちどまろう」。
そんな、がんばらないがんばりかたを提案させてもらいました。空が青いね。
(杉江松恋)
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