テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」が、今年も日本PTA全国協議会の「子供に見せたくない番組」の調査でワースト3(2位)にランクインした。「しんちゃん」は放映開始の翌年、1993年に初めて名前が上って以来、同調査ではじつに19年連続でワースト3入りし続けている。
ここまで来るともはや不名誉などころか、むしろ勲章といってもいいのではないだろうか。それだけ、子供への影響力が認められたということなんだから。

「しんちゃん」のアニメの影響力といえばとりわけ、主人公である野原しんのすけ役の声優・矢島晶子の編み出したしゃべり方には強力なものがあった。ぼくのまわりでも、当時幼稚園ぐらいの子供たちがことごとく、しんのすけの口調でしゃべっていたのを思い出す。考えてみれば、あの子たちもいまでは大学を出て社会に出ているぐらいの年齢だ。自分も歳を食うわけである(涙)。


さて、「クレヨンしんちゃん」の原作マンガが、1990年に青年誌「Weekly漫画アクション」で連載が開始(その後2000年に掲載誌は「月刊まんがタウン」へ移行)されてから20周年を迎えたのを記念して、先頃『クレヨンしんちゃん大全』(大山くまお・林信行・リベロスタイル編著、双葉社)という本が刊行された。この本では、原作やテレビアニメに登場する全キャラクターや名エピソード、さらに劇場版、ゲーム、各種グッズなどなど「しんちゃん」に関するあらゆる事物が、多くの関係者の証言や詳細なデータを交えながら紹介されている。

この本で初めて知ったのだが、「クレヨンしんちゃん」には原型ともいうべき作品があった。それは原作者・臼井儀人のデビュー作「だらくやストア物語」(1987年)である。この作品のなかで臼井は、スーパー「だらくや」の創業者・二階堂信之助の少年時代から社長になるまでのエピソードを描いている(「しんのすけ伝説」と題するこれら一連のエピソードは、のちに『臼井儀人こねくしょん』第1巻に収録された)。当時の担当編集者はこの話を読んで、「このキャラクターを独立させてひとつのマンガにしたら面白いものになるのではないか」と提案、ここからやがて「クレヨンしんちゃん」が生まれることになる。


「しんちゃん」のストーリーは、幼稚園児らしからぬしんのすけの言動に周囲が振り回されたり、次々と個性的なキャラクターが登場することで展開されるだけに、やはりハチャメチャなイメージが強い。だが、意外にもそこに貫かれているのは、ある種のリアリティだった。

たとえば、しんのすけの父・ひろしの頭が坊主になっても、従来のギャグマンガのように次の週には元に戻っているということはない。現実の時間の流れを考えれば、髪の毛がそんなにすぐに伸びるということはありえないからだ。あるいは、しんのすけの自宅が爆発して、一家でボロアパート「またずれ荘」に引っ越すという展開もいかにもムチャクチャだが、ここにもちゃんと、「家が燃えたら保険が出るし、家を建て直しているあいだはアパートに住むだろう」というリアリティにもとづく発想があった。

もともと「しんちゃん」の掲載誌である「漫画アクション」では、家庭を舞台にしたリアルなギャグマンガとして『じゃりン子チエ』をヒットさせた実績があった。
初期の「しんちゃん」はスラプスティック色が強かったものの、歴代の編集者たちは「じゃりン子チエ」がそうであったように、基本的には地に足のついたリアルな作品になるよう臼井とともに試行錯誤を繰り返したという。

その後、毎回基本4ページのショートギャグマンガから、ストーリー的な要素を大きく取り入れていく方向へと転じるなかで、臼井はひとつの冒険に挑むことになる。それは、しんのすけの通う幼稚園の先生のひとり、まつざか先生の恋人の徳郎が死んでしまうというエピソードだ。日常を描くギャグマンガでレギュラーのキャラクターが死ぬなんてことはあまりなく、ギャグマンガの枠から外れてしまうのではないか……編集側にはそんな懸念もあったものの、臼井は「現実としてこういうこともある」と確信をもってこの結末を選んだ。心配された読者の反応もほとんどが好意的な意見だったという。

原作の持つリアリティはアニメ化に際しても引き継がれた。
《『しんちゃん』は簡略化した絵の表現を使いつつ、起きている事象は大きな省略がほとんどありません。作品のなかでの時間の使い方やテンポ感がリアルなんですよ》とは、テレビシリーズの立ち上げにかかわり劇場版でも初期4作品などの監督を務めた本郷みつるの発言だ。同じくテレビ・劇場版と「しんちゃん」の演出を手がけた原恵一は、劇場版第9作「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年)、第10作「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」(2002年)で死というテーマを真正面からとりあげ、従来のファンだけでなく幅広い層から高い評価を得た。

「しんちゃん」は本来ホームドラマのはずなのに、劇場版ではアクションあり、SFあり、時代劇あり、西部劇ありとどんな設定にも対応してしまう。こんなことは同じく家庭を舞台にした作品でも「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」ではありえないだろう。ここにこそ「しんちゃん」の最大の特長があるような気がする。
このあたりについて「しんちゃん」の新旧プロデューサーは、次のように説明している。

《『しんちゃん』の場合、やっぱりキャラクターの力、魅力に尽きると思いますね。映画もそうなんですが、しんちゃんがしんちゃんらしくあれば、どんなシチュエーションでも話が動いていく。それを外すと違和感があるんですよね。面白いけど、これはしんちゃんの世界じゃないな、と》(テレビ朝日の元プロデューサー・太田賢司の発言)

《[引用者注:劇場版で]大事にしたいと思っているのは、毎週放送しているTVシリーズとの“地続き感”ですね。TVと映画で、あまりに野原一家の様子が違う、しんのすけのキャラクターも違う、ということはないようにしたい。
映画のエンディングで帰ってきた場所が、TVでいつも見ている野原家でありたい、ということは考えています》(シンエイ動画のプロデューサー・和田泰の発言)

ようするに、しんちゃんのキャラクターにブレさえなければ、その世界はどんどん広げられる、ということだろうか。作品中の世界ばかりか「しんちゃん」は現実世界でも、コミックは14カ国語で出版され、アニメにいたっては50カ国以上で放映されている。こうして見ていくと、世界中の人々を惹きつけるキャラクターをつくった臼井儀人という作家の偉大さをあらためて思い知らされる。(近藤正高)