■テキストサイトの全盛期
――ちなみに前川さんは、いつぐらいからネットを始められたんですか。
前川 96~97年ぐらいですかね。
――「スレッジハンマーウェブ」を始めたのもそれぐらい?
前川 あれはもう少しあとで、2000年からですね。
――2000年といえば、テキストサイトの全盛期ですよね。
前川 私、勝手に『ネット第2世代』と自称してるんですけど。第1世代は、『勝手邦題』の藤井(浩)さんとか、『やぎの目』の林(雄司)さんとか、あるいは『東京福袋』とか。そういうネットでも面白いことをやってる人間がいるんだっていうのが認知され出して、それで、『あ、こういう人たちがこんなことを発信するのが許されるんだったら、俺らもやっていいのかな』と思ったのが、たぶんわれわれの世代なんです。私と同じぐらいにネットを始めた人って、物書きになりたくてなれなかったとか、なるタイミングを失ったみたいな人間がやっぱり多いので。
――いまは誰でも彼でもネットで書いてますけど、当時は本当に書くのが好きでかつ文章の上手い人がネットをやっていたという印象がありますね。
前川 だから、それもよしあしだと思うんですけど、当時われわれは板の上にあがってるつもりで書いていたし、人に見せようと思って書くというプライドも多少はありましたから。
――お金はもらってないけど、プロ意識が高いっていうのはすごく感じました。
前川 それがブログの時代になって、さらにツイッターとかフェイスブックとか、ネットがコミュニケーションのツールになってくると、カラオケボックスじゃないですけど、みんなワイワイやってるんだけどけっきょく誰も聞いていない……みたいなことになってしまっていると。それは寂しいといえば寂しいですね。
――まあ、べつの楽しさはあるんでしょうけどね。
前川 そうなんでしょうけど、あのころのステージに上がってる感っていうのは、いまとはまたちょっと違う高揚感だったのかなーとは思いますけどね。
――前川さんの「スレッジハンマーウェブ」では色々と投稿企画もありましたよね。「けつだいら」(※松平健を「けつだいらまん」というように、並んでいる文字を一組だけ入れ替えることで語感におかしみが生まれる言葉を見つけようという企画)とか。私も毎回、うかつなものは出せないなと思いつつネタを送ってましたけど。
前川 いまのネットでも大喜利みたいなものはありますけど、私はお題を出して、面白い人が面白いことを言ってくるのを待つっていうのがあんまり好きじゃなくて。それよりは、普段全然面白いことを考えない人でも、面白いことが思いつくかもしれないお題じゃなきゃだめだろうなと思っていて。『けつだいら』はまさにそうでしたね。
それから、自分が本当に面白いと思うものだけを表に出すことは心がけていました。2ちゃんねるなんかは玉石混交じゃないですか。いや、いまではそのなかから面白いものだけを選ぶような人も現れていますけど、そういう作業をやらないとたぶん、パッと見て面白いものにはならないだろうと、そう偉そうに思ってたんですね、当時は。
■一時活動休止を経て「換気口」でネットに復帰
前川 そんなこんなで、(「スレッジハンマーウェブ」を)けっきょく5年ぐらいやったんですかね。
――え、そうなんですか!?
前川 まあ当時すでに、そねさん(テキストサイト『グレコローマンかたぎ』の元管理人)と本を出したりとか色々やってたので、もういいかなと。でもしばらく経って、やめたらやめたでやっぱり寂しい。何が寂しいって、いままではたとえば、私が何かどうでもいいことを書いても3、4000人、下手したら1万人ぐらいの人たちが見てくれていたのが、またまわりに丸の内OLの皆さんしかいなくなって、何を言っても薄い反応の生活になるわけですよ(笑)。かといって、大見得を切ってやめた以上、またやりまーすっていうのもかっこ悪い。
それに、単に思いついたことを思いついたままに書いても――いまのツイッターとかもそうかもしれないですけど――、ちょっと人の目には留まらないなと思って。やっぱりもう少し一歩踏み出したものを長くきわめていかないと、たぶん誰も認めてくれない、せいぜい広く浅い人間としか認めてもらえないだろうなというのがあって。それで、復活の第一歩として、換気口の鑑賞というのを始めたんです。といっても、わかります? こういうやつなんですけど……(と、ノートパソコンで換気口の画像を見せる)。
――ああ、普段何の気にもとめてなかったですけど、こんなにたくさんあるんだ。
前川 私が換気口に注目したのもやっぱり、この形に目が留まったことがきっかけなんです。これは、当然、空気を通さなきゃいけないから、雨風をしのぐために上にひさしがついているだけなんですよ。だから純粋に機能的な考えから生まれた形なんですけど、それにもかかわらず宇宙服とか、そういうレトロフューチャーっぽい雰囲気がありますよね。だから、これは無意識にデザインされたすばらしさだなと思って。
そもそも換気口じたいが、きれいに並べようとして並べられているわけじゃなくて、けっきょく、建物の容積によって換気をしなきゃいけない量というのが法律で決まってるんですね。それにしたがって配管して最終的に外に出した結果、ああなっているというだけで。
――でも、ちょっとネガティブな感じがあるけど、よく見たら意外と丸っとしてかわいいっていうのと、前半に出た八重歯の、本人としてはコンプレックスだけどそれがチャームポイントにもなっているっていう話と、じつは前川さんの好みのジャンルとして通じるものはあるような気がします。
前川 そういう屈折した部分はあると思います。それで(ネットに復帰する)リハビリとしてまず換気口について調べ始めて、そのうちに『タモリ倶楽部』に出たりもしたんですね。さらにそれと並行して、前のサイトでの『ちびせん』みたいな路線もコンセプトとしてきわめていくべきものがあるんじゃないかというふうに考えて。じつは八重歯の前に『フガブログ』というのをやってたんですよ。
――フガ?
前川 鼻がフガッと広がった感じの……。なかなか共感してもらえないんですけど、たとえば囲碁の梅沢(現・吉原)由香里とか、あとは、マナカナとかもそうですね。
――AKB48の秋元才加とか……?
前川 ああ……あの、ちょっと違うんですよ(笑)。秋元才加とか、あるいは勝間和代とかミシェル・クワンとかあそこまで行っちゃうとだめなんですよ。そうじゃなくて、適度な範囲で収まりつつフガッとなってる感じの鼻がいいよねえ、っていう。そういうコンセプトでブログをやってたんですけど、いかんせん伝わらねえなあと思って(笑)。
それで当時、『フガブログ』以外にもこういうものをいくつかつくろうと思って、八重歯もそのうちのひとつとして何の気なしに始めたんですね。逆にいえば八重歯は、さっきも言ったように当たり前のものだと思っていたので、とりたてて私がやらなくてもべつにいいだろうと思ってたんです。だけど、色々と検索してみても、八重歯についてまとめたサイトってなかったんですよ。だから、歴代の八重歯をちょっとまとめるだけでも面白いかなと思って始めたら、八重歯を取り巻くいまの背景っていうものも見えてきて。これはちょっとまとめるだけじゃもったいないんじゃないかというのと、乗りかかった船なので、ここは深くきわめていくしかないじゃないかというふうに思うようになって、そうこうしてるうちに4年ぐらい続いてますかね。いまは書籍の話もあったり、雑誌やテレビからお声がかかったりしています。
■“飽きの歴史”のなかで八重歯は唯一の例外
――2月には阿佐ヶ谷ロフトで「八重歯決起集会」というイベントも開かれました。
前川 そうですね、八重歯に関してはやっぱりイベントをやったのが大きかったかもしれませんね。それ以来、雑誌とかにお声がけいただくのも多くなったし。
――八重歯のイベントは今度またあるんですよね。
前川 そうなんです。8月8日、八重歯の日……って、われわれが勝手に決めてるだけですけど、新宿のネイキッドロフトで。いまゲストに出演を交渉したり、あと新しいネタもちょっと考えているところです。前回のイベントでは、私と、『例のK』というバンドの狩野葉蔵(かのうようぞう)さんという人と、八重歯についてゲストなしでずっと語ったんですけど。今回ももしゲストが呼べなければ、前回同様オッサン2人がしゃべる感じになります(笑)。あと今回は付け八重歯の実演なんかもやる予定です。
――ちなみに前川さんはいま、いくつブログを持ってるんですか。
前川 たぶん、10個ぐらいあると思います。
――それを統一しないで別々にしてるのはなぜでしょう。
前川 当然、同じブログのなかでカテゴリーを分けるっていう手もあるんですけど、そうするとやっぱり、深く入っていかない感じがするんですよね。広く浅くで終わっちゃう。たとえば、誰かがそれを見たとき、こういうこととこういうことに興味があるんだなーと思うかもしれませんけど、深く追究している人とは見られないところはあるでしょうから、そうならないようあえて分けてるというのはありますね。まあ、ちょっと手を出しては飽きるんですけど(笑)。私のネットの歴史は飽きの歴史なんで。もうちょっと飽きないで続けていれば、けっこうものになるものももっとあるはずなのに、やっぱりそれができない性分なんですよ。ある一定のところまで行ったら、もういいやって思っちゃう。そのなかで、八重歯は例外的に長く続いているんですね。そこは、単なる趣味以上の意義みたいなものを見出しているからなのかなと思いますけど。
このあと、八重歯以外に、前川さんが現在注目していて、今後掘り下げていくかもしれないものについてもたくさん話をうかがった。それはたとえば、「ファンシー」であったり「レトロデパート」であったり、「優等生」であったり「低視聴率ドラマ」であったり、はたまた「コンビーフ」であったりする。また、震災後のいまだからこそ、仙台四郎という仙台に実在した人物を東北出身者だけでドラマ化するべき、との提言もあった。どれもこれも魅力的なテーマでくわしく紹介したいところなのだが(というか、くわしく説明しないとその面白さが伝わらない)、スペースが尽きてしまったのが残念である。
ただ、今回のインタビューではもうひとつ大きなテーマとして、「剣道」についてくわしく話をうかがった。これについてはまた機会をあらためて掲載できればと思う。その日までどうぞお楽しみに。
なお、インタビュー中にも話が出た8月8日(月)の「第2回八重歯決起集会」についてくわしくは、こちらのページを参照されたい。
(近藤正高)