私は、やたらと問題発言の多い知事がいる自治体に住んでいる。その知事が最近目のかたきにしているのが、パチンコ業界だ。
なんだか社会の敵みたいに言っているのね(そのせいなのか、近所のパチンコ屋は週に1回の節電休業というのをするようになった)。しかし、そうしたバッシングがなくても、パチンコは下り坂の業界である。
そこで気になるのが「パチプロ」の存在だ。かつて世の中にはパチプロという職業が存在した。文字通り、一日パチンコだけをして金を稼ぐ職業だ。1990年代の前半ぐらいまでは私もパチンコ屋に出入りしていたので、パチプロらしき人を実際に目撃していた。
おぼろげな知識で言うと、そのころのパチプロというのは大きく2種類に分かれていた。1つの店に通い続けるジグマと、出玉のいい新装開店の店を探して渡り歩く開店プロだ。それとは別に攻略プロというのがいて、これはパチンコ台の癖や台なんかに着目して攻略法を考えるひと。1992年に雑誌「パチンコ必勝ガイド」が創刊されたころから、データ重視の考え方が普及するようになって攻略プロは増えたように思う。この攻略プロが自分の傘下に打ち子と言われる人を集め、集団で荒稼ぎをしている――というような情報を90年代のどこかで聞いた記憶がある。そのあたりでパチンコのゲーム性がうるさく規制されるようになって、私は出入りを止めてしまった。
以上、私の知っているパチンコ業界のすべて。それ以降の業界については詳しくない。
ヒロシ・ヤング『パチンコで生きていく技術』という本を、最初はあまり期待をせずに読んだ。「パチンコで生きていく」なんて甘いことを言うなんて無責任だな、とも思った。だが、違ったのである。そんな楽観的な本ではなかった。
ただパチンコで生きていく、のではない。パチンコで生き延びる、のである。パチプロというのは安定した職業ではない。明日のことなどわからない浮き草の稼業であり、世間に誇れる社会的地位とは無縁だ。そんな生き方を選んだ人は、何かの事情を抱えている。そして、スーツを着て毎日会社に行くことができない、素質の欠落がどこかにある。
そうした「パチンコでしか生きられなかった」ひとびとの人生を描いた本なのだ。
パチンコでしか生きられない。
しかしパチンコ業界に明るい未来があるようにも見えない。
そんな現状の中で、不安と闘いながら、とりあえず自分にできることだけを追究して生きている人がこの世にいる。そうした厳しい世間のありようを切り取って読者に示す本だったのである、この『パチンコで生きていく技術』という本は。
なんだよ、それじゃすごくおもしろそうじゃん!

著者のヒロシ・ヤングは、パチプロ生活を経験してパチンコ雑誌の編集部に入り、パチンコ・ライターになったという経歴の持ち主である。その彼が、自身のパチプロ時代のことを語るのが第1章、続く5章では、それぞれタイプの異なるパチプロにインタビューを行い、彼らの越し方、今のありよう、未来の展望について訊ねている。
最初にわかったのは、今やパチプロは完全な技術主導の世界だということだ。規制によって連チャンが封じられた現在のパチンコ台では、粘って勝つということは不可能に近い。最初から勝つ方法を知っている、攻略プロだけが収支計算を黒字にもっていけるのである。第5章には天才的な攻略プロのマコトという人物が登場するのだが、ヒロシ・ヤングと彼のこういうやりとりが私は印象に残った。

(ヒロシ・ヤング)(前略)でもメーカーにしてみたら、そんなとこ狙うヤツはいないって思って作ってるんじゃない。
それがメーカーの考えが甘いところだと思うし、こんな○○○○(伏字は引用者)じみた攻略をするヤツがいるってことを、メーカーはちゃんと知っとくべきだよ(笑)。義務として。
(マコト)だって、パチプロは、少なくとも俺は24時間パチンコのこと考えてるんですよ。でもメーカーは考えてないと思いません?

第4章に出てくる桜井ジュンは、前出の打ち子を雇い、集団で打つことによってトータルの収支を黒字にするという生き方をしているプロだ。技術力ではなく、効率面の改革によって生き残りを図っているわけである。打ち子の技術を一定の水準以上に保つために、彼は自宅にパチンコ台を備え、講習も行うのだという。インターネット勃興期以前から「じゃマール」などの紙媒体を使って人を集めることを思いついていた桜井は、パチンコというメディアが変質していくことについて先見の明を持っていたといえる。彼と打ち子との付き合い方は、完全に企業経営者のものである(グループ内では、その日の「日報」の提出さえ義務付けられているほどだ)。彼の談話は、ベンチャー企業のトップのものと錯覚しそうなほど、しっかりとした経営理念が貫かれている。おそらく、もともと雇われる立場よりも雇う立場のほうに適性があったのだ。彼が頻繁に口にする単語は「改善」である。おお、日本生まれの技術用語!

しかし、こうした形で時代に適合している人間は一握りなのだと思う。
第3章の主役である内田玉吉の談話は、パチプロという職業を選んだひとびとの現在を如実に表している。内田は普通に勤めるよりも稼げるという理由からパチプロの道を選び、それで妻と二児を養えるほどの収入を得るに至る。しかし彼は、35歳のときに再び就職をするのだ。

(内田)(子供のことが)大きいですね。それに3年後ぐらいまではなんとかなるかなっていうのはあっても、果たして10年後はどうだろう、とか、自分の10年後を考えた時に、怖くなっちゃって。(中略)パチプロでも70くらいまでやれるかもしれないですけど、その先を考えると…。例えば地域の人との付き合い方とか…。

一年発起して正業について内田だったが、35歳からの転職は甘くはなかった。収入はパチプロ時代を下回り、毎月貯金を切り崩す羽目になる。そしてある日妻から、パチプロに戻らないならば家を出て行ってくれと言われてしまうのだ。一旦「外」に出た者を温かく迎えるほど、現実は甘くなかった。進むも戻るも茨の道となったパチプロ人生の中で、今日も内田は希望の光を探し続ける日々を送っているのだろうか。


巻末には「パチンコ必勝ガイド」の産みの親である末井昭とヒロシ・ヤングとの対談が収録されている。その中で名前の出てくる田山幸憲さんは、かつて「パチンコ必勝ガイド」に連載を持っていたジグマのパチプロだった(惜しくも2001年に癌のため早世)。彼の綴る日記には、パチンコという曖昧なもので遊ぶことについての含羞が美しく表現されており、私は大好きだった。パチプロという、世の中にあってもなくてもいい職業で生きているという恥じらいが田山さんにはあったのである。
いや、世間の人は、この世にパチプロなどいないほうがいい、という見方をするかもしれない。つまり社会の外にあるといわれても仕方のない生き方だ。だが、パチプロが仕事のために流した汗を否定することは私にはできない。ライターという職業には、パチプロと共通するところも多い。根無し草、浮き草なのはまったく他人事ではないのである。
第6章の終わりでヒロシ・ヤングがパチプロという生き方について書いた以下の文章が、読後心に残った。

――(前略)働くって何だろう? 自分が喰うための金を得るための手段と考えれば、もちろんパチプロも立派な労働だし、立派な仕事です。一生そのスタンスを貫き通せれば、それはそれでスゴく格好いいとは思うけど、どこかでつまづいたり立ち止まってしまうのも、人としてとてもまともなことだと思うし、ボクはそっちのほうが素敵だと思います。

(杉江松恋)
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