韓国でのデビュー、極端なリリースブランクなど、特異な経歴を歩むそのバンドと新しい音源について、佐藤さんに話をお聞きした。
まず、コプチャンチョンゴルという普通ではないバンドを紹介したい。90年代に韓国を訪れた佐藤さんが、日本のグループサウンズにそっくりな、70年代初頭の大韓ロックに衝撃を受けたのがことの始まり。
「GSって日本独自のものだと思ってたんですよ。ビートルズサウンドやアメリカのガレージロックとも違うじゃない。その独特の匂いが好きだったんだけど、韓国に同じものがあると知ってびっくり」
1995年、そんな佐藤さんを中心に、日本人ミュージシャンが集まり結成されたコプチャンチョンゴルは、「申重鉉(シン・ジュンヒョン)&ヨプチョンドゥル」「サヌリム」といった、懐かしの大韓ロックバンドの名曲をカバーすることから始まった。1999年に韓国でのデビューを果たし、同年、それらのカバー曲を集めたファーストアルバム「アンニョンハシむニカ」を発表。日本語で歌うどころか、舞台の上で日本語を話すことすら禁じられていた時代に、日本人バンドが韓国でデビューするということは、前代未聞の快挙だったという。
待望のセカンドアルバムが発表されたのは今年8月末、12年の時を経てのことだ。今回のアルバムでは、作詞作曲を佐藤さんが担当。全篇にファズギターサウンドが炸裂する、ビンテージ・サイケデリック・ロックアルバムとなっている。
「21世紀に蘇る懐かしの大韓ロックを、日本人の俺たちがどこまでつくれるかというのがコンセプト。
大韓ロックの要であるという韓国語のボーカルをレコーディングするのに、最も苦労したという。
「(大韓ロックは)言葉の響きがメロディーに複雑に絡んで、独特の匂いをかもし出している。それを強く実感しました」
ちゃんと意味が伝わる正確な発音にはとにかく苦労したが、それでも大韓ロックの父と言われる申重鉉先生に「佐藤さんのボーカルスタイルは、日本語よりも韓国語が合っている」とお墨付きをもらうことができたという。
この12年間、韓国に拠点を置く佐藤さんのもとに、日本に拠点を置くメンバーたちが時々訪れる形で、活動を続けた。途中メンバーチェンジはあったが、2003年からベースの柴藤耕一郎さん、ドラムの伊藤孝喜さんが固定メンバーとなる。
セカンドアルバム発表まで、「いろんなことがあった」と佐藤さん。レコード会社やスケジュール、資金、韓国で活動する上でのビザの問題などがあり、レコーディングの機会に恵まれなかった。
実は録音自体は2年前に終えていたのだが、ベースの柴藤さん、バンドマネージャーのホン・ジョンスーさんがガンで亡くなるという不幸を受け、作業が中断していたという。
「そのふたりのためにも、このアルバムは出さなきゃと思いました」
セカンドアルバムには時間がかかったものの、サードアルバムは新しいメンバーと既にレコーディングに入っており、早ければ来年にも発表できるかもしれないと佐藤さんは話す。
「3集はもうちょっとメッセージ色の強いアルバムにしようかなと。ひょっとすると完全にインディーでしか発売できないものになるかもしれない。
佐藤さんはコプチャンチョンゴルだけでなく、フォークギターによるソロ活動や、実験音楽の分野でも、韓国の音楽界では既に知られた存在であり、韓国のミュージシャンたちとの交流も深い。日本の実力派ミュージシャンを韓国に紹介する役割でも活躍している。
コプチャンチョンゴルの3枚目のアルバム、そして佐藤さんの韓国に根を下ろしたディープな活躍は、今後も新たな伝説を作り続けていくに違いない。これからの活躍も、ぜひとも追い続けたい。
(清水2000)