ぼくらはバナナに種がないことを当たり前と思っているが、野生のバナナにはちゃんと種がある。現在商品として流通しているバナナは、突然変異で生まれた種なしバナナを、このほうが食べやすいということで人為的に増やしたものなのだ。種なしバナナは株分けによって増える。バナナの根を掘り起こすと、ひとつの株から何本ものバナナが株状になっており、これを株ごとに切り取って増やしている。
株分けによって増やされるバナナは、同じタイプの遺伝子を持ついわばクローンだ。動物のクローンをつくることは技術的に難しいが(他者の個体を拒絶する免疫システムを持つため)、植物では容易にできる。だが、ここに落とし穴があった。そのことがもっとも顕著に現れたのが、「グロス・ミシェル」というバナナの品種だ。
《種のある原生種のバナナからは、本来、さまざまな性質を持つバナナが生まれ、病気に打ち勝つ品種が自然に生まれるという「せめぎ合い」が起こるはず。その、せめぎ合いこそが生物多様性であり、生き物の長い歴史を豊かにしてきた原動力です。けれども、人間の都合である品種だけを大量に増やしたせいで、バナナの多様性は失われ、産業も壊滅的打撃を受けることになったのです》
その後ホンジュラスでは、パナマ病に強い新品種「キャベンディッシュ」がつくられるようになり、バナナの主要産地として復活した。しかしそれでも未来は磐石ではない。最近になってパナマ病の菌が変異した「新パナマ病」が発生、東南アジアを中心に大きな被害が出ている。世界に現存するバナナのほとんどがこの病気に勝てない品種であるという。その対処として、種なしバナナと原種の種ありバナナをかけ合わせて新たなバナナをつくろうという動きが出ている。種があると不便だからといままで回避していたのに、種なしバナナが危機を迎えると、種ありバナナに救いを求めるとはなんとも皮肉ではある。
前出の本のもととなる「いのちドラマチック」は昨春(2010年)より放送が始まった30分番組で、毎回ひとつの生き物にスポットを当て、その生き物と人間とのかかわりについて紹介している。書籍版によれば、同番組を企画したNHKエンタープライズ事業開発部・部長の諏訪雄一はこれまで、NHKスペシャル「生命・40億年はるかな旅」や「地球大進化」といった番組の制作に携わってきたという。これらの番組では壮大なスケールを持つ地球と生物進化の過程が描かれたわけだが、農耕と牧畜という“ゴッド・ハンド”を手に入れた人類は約1万年という、地球の歴史からすればはるかに短い時間のうちに、生物の姿かたち、性質までを変えてきた。そうすることで人類は繁栄をきわめ、豊かな生活を手に入れたわけだけれども、はたしてそこに問題はないのか。諏訪の言葉を借りるなら、《もはや地球はヒトが作り変えた「いのち」で溢れている。(中略)でも私たちは、その「いのち」の一つ一つが、いつ自然から隔離され、どのような努力と失敗の中で改良され、またどんな恩恵と被害をもたらしているのかをよく知らない。そんな思いから番組は企画された》という。
番組は、司会の中村慶子アナウンサー(昨年度の担当は、現在『ニュースウォッチ9』のキャスターを務める井上あさひアナ)に、劇団ひとりがからむ形で進行する。中村アナは毎回、地上波では見せないような大きなスカートと奇抜な髪型で登場して目を引く(見ていて気づいたのだが、中村アナの髪型はその回でとりあげる生物にちなんだ形になっているのだ。たとえばウーパールーパーの回では、あのエラの形を模した髪型だった)。劇団ひとりも妙に賢ぶったり出しゃばったりせず、適度に笑いをとっていてなかなかいい感じ。さらにこの2人に加えて、解説役で前出の福岡伸一が出演。
さて、「いのちドラマチック」でぼくがとくに印象に残っているのはブルドッグの回だ(この回は単行本にも収録されている)。名前に雄牛を意味するブルという語がつくとおり、ブルドッグはもともとは13世紀のイギリスで闘牛用に生み出されたイヌだった。その祖先といわれるマスティフは体重80キロもある大型犬種だったが、重心を低くすればウシの角に突き上げられにくいということで足が短くされる。さらに、ウシに噛みついたままでも呼吸ができるよう、低くて上を向いた鼻となった。19世紀前半にイギリスで「闘犬禁止法」が成立したのちも、当時勃興しつつあった中産階級のペットとして、強さよりも姿の美しさや可愛さ、あるいは面白さなど見た目を重視する方向で改良が進められる。
だが、改良の末にブルドッグはある宿命を負うようになった。それは、自然分娩ができず、帝王切開でしか出産ができなくなったということである。ブルドッグは産道が狭いにもかかわらず胎児の頭が大きく、肩幅も張っているために産道を通らない。だから人間が手術しなければ、産道のなかで胎児が腐ってしまうという。番組では、ブルドッグの子供はどのようにして生まれるのか、その出産現場にもカメラが入った。
この番組ではブルドッグのほか、柴犬、ラブラドール・レトリーバー、ニューファンドランド、プードルと、数ある動物のなかでもイヌがとりあげられることが多い。たしかにイヌは、愛玩用にとどまらず猟犬、牧羊犬、闘犬、警察犬、人命救助犬、盲導犬、介護犬など、その用途の多様さからして人間とのかかわりの深さがうかがえる。そもそも、ほとんどの家畜が農耕開始以降に人間に飼われるようになったのに対して、イヌはそれよりずっと前から人間とつきあってきた唯一の動物だ。この夏に放映された同番組の1時間半の拡大版では、「オオカミはこうしてイヌになった」と題して、オオカミを先祖とするイヌがどうやって家畜化されていったか、最新の生物学の見地から解き明かしていた。
これまで生物の進化は突然変異によってもたらされるものと考えられてきたが、近年の研究ではそれだけでなく、「エピジェネティックスな変化」が注目されているという。これはわかりやすくいえば、遺伝子の配列には変わりがないのに、従来の種とは異なる性質や形態が現れるというものだ。たとえば、オオカミとイヌとでは遺伝子の配列はほとんど同じだが、遺伝子のある部分が働くか働かないかによって、オオカミは人間への警戒心が強く、イヌは人間に馴れやすいという違いが生じた。ついでにいえば、人間とチンパンジーの遺伝子配列も98%は一致するものの、チンパンジーの学習期間がきわめて短いのに対し、人間はそれがずっと長い。
遺伝子の配列が変わってしまうような突然変異は、自然界ではめったに起こらない。しかしいまでは生物に対し人為的に突然変異を引き起こす試みも行なわれている。「いのちドラマチック」のトマトの回(単行本にも収録)では、ある成分の含有量を増やすため、トマトの種にガンマ線(放射線の一種)を当てることで遺伝子に突然変異をうながすという研究がとりあげられていた。ここまで来ると、もはや神の領域にすら達しているといえないか。遺伝子操作はいったいどこまで許されるのだろう。
テレビの生物番組というと、壮大な自然やそのなかで生きる野生動物をとりあげたものが目立つ。その手の番組もたしかに見ている分には面白いが、対象とのあいだにどこか距離感があって、たとえ自然保護などのメッセージをともなっていたとしても、ヨソゴトに終わってしまうきらいがある。その点、「いのちドラマチック」は、人間社会のなかの生き物にスポットを当てた点で異色であり、動植物に対する自分たちの責任というものに向き合わされることが多い。生物多様性や遺伝子組み換えなどといった大きなテーマも、こうした切り口ならとても身近に感じられる。ちなみに、ぼくはこの番組をもっぱらNHKオンデマンドで視聴しているのだが、あとから見返したくても視聴期限があってできないのが残念である。ここはひとつ、書籍の続刊、またDVD化もお願いしたい。