「洞窟物語」って、つくづく幸せなゲームだと思う。
ゲームを評価するのに「幸せなゲーム」というのも変だが、まあ細かいことはいいのだ。


「洞窟物語」は、かつて開発室Pixelの天谷大輔氏がたったひとりで開発したレトロ風アクションゲーム。2004年にPC用フリーゲームとして配信されたのが最初で、その後海外ではWiiウェア、ニンテンドー3DSなどに移植。11月22日には、ついに日本でもニンテンドーDSiウェア版が配信開始となった(ダウンロード専用/ニンテンドーDSi、DSiLL、ニンテンドー3DSでプレイ可能)。

物語はこんな感じだ。
主人公が目を覚ますと、そこは薄暗い洞窟の中。自分は誰で、そしてなぜこんなところにいるのか? プレイヤーは記憶を失った1台のロボットとなり、襲いかかる敵と戦いながら、広大な洞窟世界の謎に挑んでいく――。

ゲーム内容はファミコンの「メトロイド」に近く、洞窟内に置かれた武器やアイテムを手に入れることで主人公はパワーアップ。洞窟の中にはミミガーと呼ばれる生き物の村や、謎の研究施設、地底湖なんかもあり、進めば進むほど謎は深まっていく。まあ、このへんの情報は検索すればいくらでも出てくるので今回はすっ飛ばします。

で、ぼくがこのゲームを「つくづく幸せだなあ」と感じた理由、その1。
ひとつはやっぱり、「世界で認められている」という点だ。
もともと本作には日本語版しかなかったが、評判を聞きつけた海外のユーザーが英語パッチを作成し、さらには「Wiiウェアで販売したい」というパブリッシャーまでもが名乗りを上げ、ついには家庭用ゲームにも移植されるに至った。
日本のゲームが世界市場でオワコン化しつつある昨今、個人開発のインディーズゲームがここまで評価されたというのは異例中の異例だろう。ちなみにWiiウェア版は、海外メディアのレビューで平均89点という高得点を獲得している。

2番目の理由は、「シンプルなゲームは古びない」という点だ。
いくら技術とお金を注ぎ込んで、実写のようなグラフィックを追求しても、それらはいつか古びてしまう。しかしその点、ファミコン時代を思わせる「洞窟物語」のレトロなドット絵やサウンドは、いつまでも飽きることがない。
実は去る11月3日、ぼくは「洞窟物語のウラガワ」という「洞窟物語」ファンを招いたトークイベントに司会として出演していた。

そのとき驚いたのが、7年も前にリリースされたゲームのために、120人以上ものファンがチケット代を払い、わざわざお台場まで足を運んでくれたことだった。中にはファミコンなんか触ったこともないであろう、小学生の姉弟もいた。「スーパーマリオ」が今でも遊ばれ続けているように、きっと10年、100年という月日が経っても、きっと今と同じように「洞窟物語」は遊ばれ続けているだろう。

理由その3は、その難易度だ。
「洞窟物語」はアクションゲームだから、クリアするためにはある程度ゲームの腕前が必要になる。普通にクリアするだけでもそこそこの難易度だが、中でも「真のエンディング」に辿り着こうと思ったら、いくつかの条件をクリアし、さらに地獄のような難易度の隠しダンジョンをクリアしなければならない。
隠しダンジョンの難易度は、ファミコン時代の激ムズゲーと同等かそれ以上だろう。
ゲームの難易度は、プレイヤーとのつながりの深さを如実に表す。これほどの難易度でありながら、これほど多くの人に愛されている「洞窟物語」は本当に幸せなゲームだと思う。
余談だが、DSiウェア版で追加された難易度「むずかしい」は、“ちょっとゲームに自信がある”程度の腕前では軽く門前払いを食らう難しさである。お楽しみに。

理由その4は、ちょっと逆説的ではあるが、本作がたったひとりで開発されたという点だ。

今のゲームは、最低でも数十人、多ければ数百人のスタッフが関わるのが当たり前だ。反面、本作はゲームデザインも、グラフィックも、サウンドも、天谷氏がすべて一人で担当している。作り方としては、ゲーム黎明期の作品に近い。
最初に浮かんだのは、ゲーム終盤で流れる「つきのうた」という曲のイメージだそうだ。物悲しげなメロディと流れる雲をバックに、洞窟の外壁を登っていく主人公。ここでこの曲を流したらみんな感動するだろうな――。
そんな思いを出発点にして、天谷氏は「洞窟物語」を作っていったという。
ここにあるのは、天谷氏が描きたかった世界そのものであり、そこにはわずかな不純物さえも混ざっていない。「洞窟物語」を遊ぶということは、持てる感覚のすべてを動員して、天谷大輔という才能に触れるということだ。それはある意味、どんなにお金のかかったゲームでも味わうことができない、最高の贅沢だとは言えないだろうか。

5つめの理由は、その「妥協のなさ」だ。
これは有名なハナシだが、天谷氏は「洞窟物語」の完成までに5年もの歳月を費やしたという。しかもゲーム自体は4年目でほぼ完成していたが、当時“プログラムの師匠”にそれを遊ばせたところ、痛烈なダメ出しを食らい、1年かけてわざわざまた作り直したのだそうだ。
ひとつのゲームに5年もかけ、しかも一旦は完成していたものをまた作り直すなど、普通はまずあり得ない。納期や予算といった問題がつきまとう商業作品ではなおさらだ。どこかで妥協しないかぎり、いつまでたっても作品は完成しない。
しかし「洞窟物語」は違う。個人開発のインディーズゲームだからこそ、納期や予算にとらわれることなく、納得いくまで作品を作り込むことができた。ゲームにとって、それ以上の幸せはないだろう。

あ、ここまで書いて終わりにしようと思ったんだけど、もうひとつあった。
それは「洞窟物語」を支える大勢のファンたちの存在だ。
DSiウェア版の配信開始以降、ぼくはTwitterで「洞窟物語」についてのつぶやきをずっと追い続けてきた。で、それを見てると、PC版を遊んだことがあるのに、わざわざ買いなおして遊んでる人がものすごく多いんだよ!
天谷氏のポリシーで、DSiウェア版の配信開始後も、オリジナルのPC版は引き続き無料のまま配布されている。それに対して、DSiウェア版の価格は1000DSiポイント(=1000円)。PCで遊べば無料なのに、なぜか喜んでお金を出している人が大勢いるのだ。
みんなバカだなあ、と思いつつ、でもその気持ちはすごくよくわかる。だってぼくも、同じくDSiウェア版を喜んでダウンロードしているバカの一人なのだ。

残念ながら今のゲーム業界は、「洞窟物語」のように幸せなゲームばかりではない。膨大な予算と開発期間をかけて新作をリリースしても、半年後には誰もそのゲームのことを話題にしていない――そんなゲームがあまりにも多い。
だからリリースから7年が経ってもなお、こうしてお金を払ってくれるファンがいて、イベントを開けばお台場のイベントハウスが軽く満員になっちゃう「洞窟物語」は、本当に本当に幸せなゲームだと思う。
「洞窟物語」の知名度は今のところ、その評価ほどには高くはない。しかし今後もっと多くの人がこういう「幸せなゲーム」を知り、楽しんでくれるようになれば、きっとゲーム業界の未来は今よりずっと明るいものになっていくはずだ。
(池谷勇人)