読者のみなさんは、どんな“アダ名”をお持ちだろうか? 苗字や名前をもじったもの。身体的特徴に由来するもの。
一体ナゼ、そんなネーミングになったのか意味不明なもの……。ひと口にアダ名といっても、多種多様にある。

某バラエティ番組の企画で、ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断して人気者になった某芸人さん。現在は、他のタレントたちに絶妙なアダ名をつける“アダ名芸人”として再ブレイクを果たしている。この芸人さんにアダ名をつけてもらいたいと思う人も少なくないようだ。

思えば、筆者も子供の頃から友人たちには概ねアダ名で呼ばれてきた。
いや、大人になった今でも呼ばれることが多い。親しい間柄ほど、アダ名で呼んでくれる。こちらも、好きな相手はアダ名で呼んだりする。アダ名で呼ばれるのは悪い気はしないし、好意を抱く相手に対しては、アダ名で呼びたくなる衝動のようなものすら覚える。

キライな相手、苦手な人を、悪意を込めたアダ名で呼ぶこともある。この場合は、面と向かってではなく、カゲでこっそりと呼ぶわけだが。
このように、親しい人間だけでなく、憎い相手に対しても付けるアダ名。しかしコレ、「付けるぞ!」と意気込み、頭を悩ませて付けるようなものではない。多くのアダ名は、自然発生的に付けられるものではないだろうか。

アダ名を漢字で書くと、「渾名」もしくは「綽名」となる。ちなみに「渾」の字には「にごる」とか「まじりあう」といった意味があり、「綽」には「ゆったりしたさま」や「あからさまでない」といった意味がある。なるほど、漢字の“アダ名”には、「正式な名前ではない」という意味が込められていることがわかる。


ではこのアダ名、いったいいつの時代から使われるようになったのだろうか。歴史上の人物にも、アダ名がつけられている場合がある。たとえば、豊臣秀吉。彼のアダ名として広く知られているのは「猿」だが、実はこれは創作で、信長に付けられたアダ名は「ハゲネズミ」という説がある。「猿」よりもイヤなアダ名の気もするが……。

また、信長自身も「大うつけ」と決してありがたくないアダ名が付けられていたとされている。
他にも、明智光秀は「きんか頭」、伊達政宗は「独眼竜」、生類憐れみの令で知られる徳川綱吉は「犬公方」、などなど。様々な“歴史的アダ名”が存在する。

こちらは物語ではあるが、“世界最古の長編小説”ともいわれる「源氏物語」に登場する実在の人物たちは、すべてアダ名で表現されている。文献自体は長保3年=1001年頃に書かれたとものといわれる。つまり、少なく見積もっても今から1000年前には日本にアダ名が存在していたことになる。ちなみに、「源氏名」という言葉は、「源氏物語」に由来する。


アダ名は、日本特有の文化ではない。「nickname」という英語があるように、世界中でアダ名は使われている。筆者は、アダ名とは自然発生的に付けるものではないかと前述した。とりわけ、好意を抱いた相手、愛情を感じた相手には、なんというか、アダ名を付けたくて付けたくて仕方が無い衝動に駆られてしまう。のは、筆者だけだろうか。

アダ名を付けたくなるのは、人間の本能のようなものなのかもしれない。
と、するならば……。言葉を扱うようになった頃から、人類はアダ名で呼び合っていたとも考えられる。筆者が最近愛してやまないのは、生後5カ月になる我が子だ。誰に強制されるでもなく、我が子にアダ名を付けて呼んでいる。

……そういえば……。昔は、妻のこともアダ名で呼んでいたっけ。しかし、今はどうだ。アダ名で呼ぶなど、照れ死んでしまおう。いや、しかし、これって愛情が薄れてきたからアダ名で呼べなくなってきたともいえるかも。これではイカン。どれ、久しぶりに妻をアダ名で呼んでみるか。「●●●(←妻の昔のアダ名)♪」。ふむ。案の定だ。無視ですよ、無視。
(木村吉貴/studio woofoo)