マンガ家で映像作家としても活躍する大友克洋が、1973年のデビュー以来描き続けてきた3000枚近いマンガやイラストの原画がまとめて見られる展覧会、その名も「大友克洋GENGA展」がこの春、東京の「3331 Arts Chiyoda」にて開催される(会期は4月9日から5月30日まで。入場は完全予約制だという)。
この発表と時期を同じくしてこの1月には、大友が自作をアニメ化した劇場版『AKIRA』(1988年)が、原作の雑誌連載開始30周年を記念し特製スチールケース入りの「Blu-ray 30th Anniversary Edition」としてリリースされた。さらに約20年ぶりとなる画集『OTOMO KATSUHIRO ARTWORKS KABA2』が刊行されたりと、ちょっとした祭り状態になっている。

「大友克洋GENGA展」は前出の画集の出版を記念するとともに、昨年の東日本大震災という事態を受けて企画されたものでもあるという。大友自身、被災地となった宮城県の出身だし、震災のチャリティーのためのCDジャケット用にイラストを描き下ろしてもいる(コンピレーションアルバム「BPM JAPAN CHARITY ALBUM」)。また、『AKIRA』をいま読み返すと、何度も破壊され廃墟となったネオ東京において、主人公の金田少年たちが独立国「大東京帝国」の建国を宣言するラストシーンは、どうしても被災地の現状と重ね合わせてしまう。

ともあれ本記事ではGENGA展の企画の発端である『OTOMO KATSUHIRO ARTWORKS KABA2』を中心に紹介したい。この画集は、1989年に刊行された画集『KABA』の続編であり、『KABA』では大友のデビュー前、1971年から1989年までの19年間に描かれた作品がまとめられていたのに対して、今回の『KABA2』は1990年前後から2011年まで20年余りの作品を収録している。

前作『KABA』は、マンガの扉絵、雑誌カット、カバーイラスト、単行本未収録作品、テレビ番組やCM関連の仕事など多様な作品が収められ180ページ近いボリュームがあった。それを上回り200ページ超ある今回の『KABA2』では、アニメーションの絵コンテや原画をはじめ映像に関する仕事にかなりの紙幅が割かれている。入手してさっそくパラパラめくってみると、「これ見たことあるけど、大友さんの作品だったのか」と初めて知ったものもちらほら。たとえば、1997年から翌年にかけて放映されたTBSテレビのステーションイメージキャンペーンのCM(大友は監督・絵コンテ・レイアウトを担当)。以前より機械や建物といった人工物の描写を得意とした大友は、このCMでも巨大な要塞というか戦艦のような放送局を空に飛ばしている。
その画像は一見CGっぽいが、実際にはCGはそれほど使われておらず、合成で作画をCGっぽく見せていたのだという。

これと前後して劇場用オムニバスアニメ「MEMORIES」(1995年。本書にはその一編「大砲の街 CANNON FODDER」の絵本版がボーナストラック的に収録されている)で大友は初めてコンピューターを導入、その後、前出のTBSテレビのCMを挟み、1998年に「機動戦士ガンダム」の放映開始20周年を記念して開催されたイベントのため制作されたオリジナルアニメ「GUNDAM:Mission To The Rise」(デザイン・絵コンテ・監督を担当)はフルCGだった。

ただし、大友は完全にコンピューターに切り替えたわけではない。監督を務めたアニメ映画「STEAMBOY」(2004年)も撮影や彩色はコンピューターを用いているものの、それ以前の段階である絵コンテや作画は手描きだったという。今回の画集の表紙に描かれた革ジャンも、その質感を出すためアクリル絵の具を3カ月くらい塗っていたそうだ。

大友は『AKIRA』の完結(1990年に雑誌連載が終了、その後93年に単行本最終巻が刊行)によりマンガではひとつの到達点を極めたといえる。これと前後して本格的に映像の世界に進出、年を追うごとに発達するCG技術を取りこみつつ彼自身もバージョンアップしていく。かつて手塚治虫が「カミソリ感覚」(『ユリイカ』1988年8月臨時増刊「総特集 大友克洋」)と表現したその絵柄はいまなお衰えるどころか進化し続けているのだ。この画集はその進化の過程のドキュメンタリーともいえるかもしれない。

もっとも、大友にとってこの20年間は、どちらかというとマンガ原作や映画のシナリオなど《イラスト集に載せられない仕事をいっぱいしていた時期》(『KABA2』)だという。『KABA2』の巻末には、「A Talk about Creating」と題して大友の談話が収録されているのだが、それを読んでいて何よりうれしかったのは、大友がマンガをまた書きたいと語っていたことだ。
そこには、最近のマンガの傾向としてやけに長い作品が多いことへの不満もあるようだ。

《最初に全体の話を考えてちゃんと終わらせると、その人は次にいい作品を描けるはずなんですけど、なかなか終わらない。どんどん長くなるんでマンガに緊張感がなくなるんじゃないでしょうか。定期的にちゃんと終わらせて、別の話にいくマンガ家は少ないですよね。
 厳しく描くと単行本1冊で映画1本分くらいの話が入れられるんじゃないですかね。また、入れられるぐらいじゃないとだめだと思います。
 [引用者注:手塚治虫の]「火の鳥」なんかは壮大な話を1巻か2巻で終わらせています。自分の作品では「童夢」は映画1本分くらいをかなり意識して描いていました。
 ぼくはマンガを卒業して他に行ったわけじゃなくて、根は同じ1本の木の枝にいろんな花が咲いているようなものなので、またやってみたいですね》


『童夢』もそうだが、ぼくがいちばん好きな大友作品である『気分はもう戦争』にしても、1巻で完結しているにもかかわらずそこに描きこまれた情報量は膨大だ。だからだろう何度読み返しても新たな発見がある。そんな体験をまたできるのであれば、大友ファン、とりわけそのマンガのファンとしてこれほどうれしいことはない。

で、ここからはまったくぼく個人の勝手な希望なのだが、せっかくなので書いておきたい。
かつて大友は故郷(宮城県登米市)と思しき東北のある町を舞台にした短編を2編ほど描いている。「SO WHAT」(1978年、『GOOD WEATHER』所収)と、「SPEED」(1983年、『SOS大東京探検隊』所収)がそれだ。「SO WHAT」の舞台はおそらく1970年代初め、新幹線建設のため土地を提供してかなりの補償金を得たらしい農家のボンボンが、高校の同級生たちとバンドやクルマに熱を上げていたかと思えば唐突に東京に向かうという話だった。その後日談としても読める「SPEED」は、20代後半の男たちが、親から勧められた見合いに戸惑ったり、離婚の危機に立たされていたりとそれぞれ事情を抱えつつバンド活動に明け暮れるという、能天気といえば能天気な青春群像を描いたものだ。

いずれの作品からも大友の田舎に対する嫌悪が垣間見える。事実、「SPEED」については《田舎の嫌いな部分を描いているというか、なんかウジウジしてる感じがして嫌いなんだよね》と単行本のあとがきで明言しているほどだ。しかしかつての青年たちが、50歳をすぎ、そして震災を経たいまあの土地でどんなふうにすごしているのか、ぜひ読んでみたいところである。(近藤正高)
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