「もも上げ」って、間違ってたの!?
「もも上げ」というのは、「もも上げ100回ッ!」とか先輩に言われて、「もっとちゃんと上げんかっ!」ってケツバットされて痛ってーっていうアレです。
ももを上げる動作をひたすら繰り返すトレーニング方法のひとつです。
『一流選手の動きはなぜ美しいのか』によると、この「もも上げ」って、間違って流布したトレーニングなのだそうです!
有名な外国コーチのゲラルド・マックが来日し、
短距離走において地面から離れた脚の動作を分解して説明したのです。
「引き付けドリル」「もも上げドリル」「膝下振り出しドリル」「膝下振り戻しドリル」の4段階です。
この4段階が「マック式ドリル」として日本で大流行。
もも上げドリルを中心として、これを熱心に反復するというトレーニングが広まります。
でも、“皮肉なことに、ももを上げても短距離走のスピードはまったく速くならなかった”。それどころか、マック式ドリルをやらないで、走る練習をしている人のほうが記録が伸びていったのです。
さらに、ゲラルド・マックが再来日して、驚く。
「そんなこと意識して練習しろと、誰が言ったのか」と!
マック氏は、脚の動きを、単なる観察結果として分解説明したにもかかわらず、日本では、それが「ももを高く上げれば速くなる」と間違って解釈されてしまった。
“マック氏は再度講習会を開いて、動作は「そうなる」のであって、「そうする」のではないということを叫んだのですが、ときすでに遅く、意識して動作をつくるという風潮はなかなか消えませんでした”。
『一流選手の動きはなぜ美しいのか』は、このような「主観と客観のずれ」を軸にして、よいトレーニング方法やスポーツ科学について考察していきます。
たとえば、こんな例が紹介されます。
遠投の練習をしている学生に、何を意識しているのかと尋ねる。
すると、下半身でつくったエネルギーを体幹・腕・指・ボールの順に伝えていく「運動連鎖」をちゃんと意識していることが分かる。
これは、客観的には正しい。
著者は、こうアドバイスする。
「君、それは理論だよ。遠くまで投げるための理屈だよ。何か感覚を変えるんだ。たとえば、イメージとして、前に踏み込んだ足が着地したと同時に球をリリースする。このような同時感覚で投げてみて。まあ、だまされたと思って一回やってみて」
投げた。遠投距離が伸びた。
いままでやってはいけないと思っていた動作で、10メートル以上も伸びたのだ。
投げるといった一瞬の動作、ビデオでスロー再生すれば身体部分の動く速度のピークは少しずつずれている。
ビデオで観察できる客観的な事実をそのまま意識しても、ベストな状態には近づけない。客観的な事実を実現するために、どういうふうに捉えるか、その主観的感覚は、ひとによってそれぞれ違う。
観察して分解して、それを意識するだけでは、間違ってしまうのだ。
「20分未知ラン」という興味深い実験も紹介される。
ざっくりと概要を説明しよう。
16人のランナーに、一定の速度で、20分間走ってもらう。
そのとき、ランナー自身が感じるキツさと、酸素消費の2つを測定する。
一回目の実験は、20分間走ってくれと告げて、実際に走ってもらう(20分ラン)。
別の日に、まず10分走ってもらい、10分終了直前に「もう10分!」と告げて走ってもらう(10分追加ラン)。
また別の日は、何分走らせるか知らせずに、走ってもらう(20分未知ラン)。
さて、これらの実験で、酸素消費(生理指標)と、ランナーのキツさ(主観指標)はどういう変化を見せるか?
生理指標の酸素消費が少なかったのは、どれだろうか?
ふつうに考えると、計画が立てられる20分ランが一番少ない気がしてしまう。
ところが、一番低かったのは、20分未知ラン。
何分走るのか知らないほうが、生理的に楽に走ることができてしまう。。
さらに10分追加ランでは、突然走る時間を追加された瞬間に、主観指標はキツさがアップするのですが、酸素消費量が下がる。
“怒りや不安を感じた脳は、生理的にからだを危険から守ろうとするのかもしれません”。
このように生理指標と心理指標の間にはずれがみられる。主観と客観のずれが生じる。
“大切なのは、駅の間を往復する列車のように、主観と客観の両方へたえず動くことです。どちらかの駅に固執するのは、こだわりと言います。スランプのときは、大概このどちらかの駅に留まったままになっているときです。主観と客観の間を往復する列車を、一度走り出したら止めないことです。”
これは、おそらくスポーツ科学だけのことではない。
『一流選手の動きはなぜ美しいのか』は、全4章。
第1章 主観と客観のずれ
第2章 筋力に対する誤解
第3章 手足、体幹の使い方
第4章 走り方を考える
という構成になっている。
科学と感覚の双方を捉えながら、体の動きについて、はっと目の覚めるような指摘が何度も登場する目からウロコ落ちまくりの一冊。(米光一成)