ロジャー・コーマンというのは、アメリカの映画監督。御年85歳。
大ヒットは狙わずとも、確実に客の入る映画ばかりを撮ることで知られる、職人的映画監督兼プロデューサー。そのあたりの方法論は自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』(1992/早川書房)に詳しい。

そんなコーマン先生の映画人生を追いかけた良質なドキュメンタリーが、本作『コーマン帝国』だ。どうして「帝国」なの? という疑問を持たれる方もいると思うが、たとえば勝新太郎の作ってきた映画とその本人自身によって構成された世界を“勝新大陸”と呼ぶように(命名:根本敬)、強力な磁場をもつ存在には「大陸」とか「帝国」といった俺様国家的な呼称こそが相応しいものなのだ。

ところで、はっきり言ってコーマン先生の作ってきた映画1本1本は、そんなに質の高いものではない。いや、だからといって質が低いわけでもない。低いのは“格調”なのね。だからアカデミー賞のような権威的なものとはまず縁がない。
だけど、観客を楽しませるということにかけては超一流で、映画にそれほど詳しくないひとでも、『ワイルド・エンジェル』『X線の眼を持つ男』『血のバケツ』『原子怪獣と裸女』などなど、題名をあげていけば聞き覚えのあるものが……やっぱり無理か。

それでも、海からモンスターがズババーンの、血のりがブシューの、ダイナマイトがドカーンの、クルマがドンガラガッシャーンの、おっぱいがポロリーンという具合で、とにかく娯楽としての映画のおもしろさにかけては、誰にも負けない。また、観客というのはひとが死ぬところを見たがるもので、コーマン先生は、映画の中でひとが死ぬ場面の配分にも一家言ある。
製作をつとめた三流サメ映画『ディノシャーク』の撮影中に、こんなことを言っていた。


「とにかく早めにモンスターが誰かを殺すべきで、あとは適度な間隔で殺していけ!」

適度な間隔(笑)。ここが秘伝の塩加減。そこいらの凡庸な監督の口からは出てこない、とても含蓄のある言葉だ。

低級な娯楽作品を大量生産してきたコーマン先生だが、その一方で、優れた映画監督や俳優たちを数多く輩出したことでも知られている。
その筆頭にあげられるのが、名優ジャック・ニコルソンと、ただいま『ヒューゴの不思議な発明』が話題のマーティン・スコセッシ監督の二人だろう。

まだ無名だったジャック・ニコルソンは、出世作『イージーライダー』に出演するより9年も前に、コーマン監督作『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960)で歯医者に来るマゾな患者役を演じている。以後、『古城の亡霊』、『忍者と悪女 』などコーマン映画に出演しながら、着実に俳優としてのキャリアを積んでいった。
本作『コーマン帝国』でもフィルムの合間合間に登場しては、恩師の人柄を淡々と、ときには感極まって涙を流しながら語っている。

マーティン・スコセッシは、ニューヨークで映画監督としてデビューした後にハリウッドへ移住。そこでコーマン先生と出会って『明日に処刑を…』を撮る。このときに、コーマン流の“低予算でも娯楽性の高い映画作りはできるのだ”ということを学び、以後、『タクシードライバー』、『レイジング・ブル』といった大傑作をモノにする。映画監督のランクとして一般的にはスコセッシの方が圧倒的に大物だけど、ニコルソン同様、スコセッシもやはりコーマンを師と仰ぎ、その恩を忘れてはいないのだ。


この二人以外にも、ハリウッドにコーマン門下生は数えきれないほど存在する。
ロン・ハワード、デヴィッド・キャラダイン、ピーター・ボグダノヴィッチ、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ゲイル・アン・ハード、ロバート・デ・ニーロ……。数多くの優れた映画人たちが、本作のなかで師匠から受けた恩を語り、その功績を讃えている。
しかし、教え子たちが次から次へとハリウッドで出世していくのとは対照的に、コーマン自身は長い映画人生のあいだ、賞らしきものとは無縁でいた。

そんなコーマンに2009年、ようやくアカデミー名誉賞が贈られた、本作ではその授賞式での様子も見ることができる。

「ハリウッドが感謝している。アカデミーが感謝している。インディペンデント映画界が感謝している。なにより地球の映画ファンが感謝している」

プレゼンターのクエンティン・タランティーノはそう讃えた。

「犬は吠えてもキャラバンは進む」(The dogs bark but the caravan moves on.)というアラビアのことわざがあるが、映画プロデューサーのゲイル・アン・ハードは、コーマンの映画作りはまさしくこのことわざ通りのものだと言う。

何があっても映画を作るという信念は、誰にも邪魔のできるものではない。1971年に監督業を引退するまで、ロジャー・コーマンは50本もの映画を撮った。
プロデュース作品を数えれば400本を楽に越える。どれもデコボコ道だ。だが、コーマンのキャラバンが通ったあとの轍(わだち)からは、たくさんの草が生えた。
(とみさわ昭仁)
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