あぶさんこと景浦安武の物語、小学館ビックコミックオリジナルで連載中の大河プロ野球漫画『あぶさん』、遂に100巻突破です。
2009年、あぶさん現役引退の際は数々のニュースでも取り上げられ話題になりましたが、現役引退後のあぶさんが何をしてるのか、見逃している方は多いのではないでしょうか。そもそも、あぶさんがどれだけ偉大なプレイヤーだったのか、今の若い読者はわからないかもしれません。
せっかくのゴールデンウィーク、100巻を一気読みするには絶好の機会。そこで、100巻に渡るこれまでの『あぶさん』の歴史を<あぶさん十大ニュース>として振り返ってみたいと思います。
【第10位:飲酒がバレて甲子園辞退。波乱の野球人生からスタート】
球聖といわれ、誰からも尊敬される偉大な男になってしまった今のあぶさん。でも、そもそもは泥酔しながらホームランを打ったことがバレて甲子園出場辞退になるというスキャンダルから始まり、会社も解雇されて「大虎」で飲んだくれていたのが初登場シーンでした(1巻「のんべ鷹」)。酒仙打者といわれ、当初酔う程に打ちまくる設定だったあぶさん。日頃どれくらい呑んでいるのか、29巻であぶさん自ら1日の飲酒タイムテーブルを告白していたのでここでおさらいしておきましょう。
<朝食の前に少し→球場入りして着替えの前に少し→練習終了後少し→代打の際、グリップにかける酒しぶきのあまりを少し→ゲームが終わって大虎でゆっくりと少し多めに→寝酒を少々>……こりゃむしろ呑んでないと正常を保てないと判断した方がいいですね。
【第9位:3度の4打席連続本累打、ほかドラマチック・ホームランの数々】
あぶさんと言えばホームラン。ホームランと言えばあぶさん。
【第8位:意外とモテモテ。あぶさんの華麗なる女性遍歴】
居酒屋「大虎」の看板娘・サチ子との結婚以前、独身時代には数々の女性たちとの色恋沙汰がありました。むしろそういった人間関係の妙が、『あぶさん』がただの野球漫画ではない、人間ドラマの宝庫であることを物語っています。
その中でも特に印象深いのが、2巻・14巻であぶさんが2度も結婚を決意した未亡人・山本麻衣子と、8巻でうっかり「結婚したい」と言ってしまった田中早苗。
【第7位:父・景浦安武、息子・景浦景虎。文字通りの「親子鷹」実現】
そんなモテモテあぶさんも21巻でサチ子と結婚。景虎、夏子という2人の子宝に恵まれます。60巻以降の『あぶさん』の見どころはこの景虎とあぶさんの親子の物語と言ってもいいでしょう。62巻で当時のダイエーホークスが中学生の景虎をドラフト指名して「親子鷹実現か」と思いきや、一転高校に進学。その後、甲子園優勝投手の肩書きを引っさげて景虎が近鉄に入団したことで球界初の親子対決が実現します。
【第6位:49歳あぶさん、ヘルニアを患いながらもホームラン】
個人的に特に思い出深いのがこのシーン、61巻「君は伝説の景浦を見たか」。椎間板ヘルニアで戦線離脱していたにも関わらず、オールスターファン投票で選んでくれたファンのため、そして球界のためにオールスターで打席に立ち、そして満塁ホームランをぶちかまします。打った後、歩くこともままならならずに牛歩のような速度で長い長いダイヤモンド一週をするあぶさん。あまりの感動的な展開と上記のタイトルに、ビッグコミックオリジナル誌上で読んだ時には「あぁ、あぶさん、これで引退しちゃうのかも」と本気で思ったものです。まさかその後13年も現役続けるとは思わなかったなぁ……。
【第5位:シーズン56本累打の日本新記録】
ここからはあぶさんだからこその偉大な記録の数々を振り返りましょう! まずは並ぶことはあってもまだ誰も抜いていない、王貞治・ローズ・カブレラの3人が打ち立てたシーズン55本塁打。この記録更新を47歳のシーズンに成し遂げます(56巻)。最後の56本目は今は亡き伊良部秀樹の160kmを打ち返してのランニングホームラン。56巻で56本塁打を達成、というのは水島先生狙っていたと思うのですが、その場面の解説に王貞治を起用し、そして翌年からその王さんがホークスの監督になるというのは、現実世界までも巻き込んでしまう水島神通力の怖さです。
【第4位:日本人初、打率4割(.401)達成】
60年を越える日本プロ野球史においてまだ誰も達成していない打率4割の壁。MLBの記録を見ても、1941年のテッド・ウィリアムズにまで遡らなければなりません。あぶさんの代名詞でもある「物干し竿バット」を負担の少ない普通のバットに持ち替えてこの夢の記録を達成したのが2007年、なんと60歳の時(91巻)。「漫画だから」と笑うのは簡単ですが、ここで注目したいのは「あぶさんの辞めさせ方」を水島先生自身が相当悩んでいたであろうということ。辞めさせる前の最後の花火として、そして「物干し竿」を普通のバットに持ち帰る理由としての4割達成だったのではないでしょうか。
【第3位:代打男から一転、3年連続三冠王】
あぶさんの全盛期はいつだったのか。物語の内容ではなく記録面からみれば間違いなく1991年~95年の5年間でしょう。その象徴が91年からの3年連続三冠王です。ちなみにその3年間の成績はというと……91年(49巻)<.327/43本/110打点>。92年(51巻)<.339/45本/103打点>。93年(53巻)<.340/46本/122打点>。
ここで注目なのは92年からホークスの本拠地が平和台球場からあの広い福岡ドームに変わっているということ。
【第2位:成績不振で自由契約になるも、入団テストを受けて再びホークスに入団】
長い連載を通して何度か引退の危機を迎えるあぶさん。その最初の危機が29巻・36歳の時です。シーズンを通して不調で過ごし、球団からは翌年の契約はせずコーチ就任を打診されます。しかし、現役にこだわるあぶさんはこれを拒否。巨人を含め他球団から数多くの誘いを受けます。しかしあぶさんが選んだのは入団テストを受けて再びホークスに入り直すというもの。年俸が1800万から600万に減っても、阪神から2000万のオファーを受けても、あぶさんが選んだのはホークス。あぶさんのプライドとホークス愛を象徴する出来事です。
【第1位:62歳まで現役。
南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス。3つの「ホークス」を渡り歩き、その間、野村→広瀬→ブレイザー→穴吹→杉浦→田淵→根本→王→秋山と9人の監督と共に戦いを繰り広げたあぶさん。96巻、62歳で現役にピリオドを打ちます。ともすればマンネリになりがちな長寿連載漫画において、ホークスという球団のほうが勝手に変わり、監督や周りの選手が入れ替わり、球界再編やルールの変更など野球界が変わることで次から次と新しい話題が飛び出します。この辺、パ・リーグの、しかもホークスに入団させた水島新司先生の先見の明はサスガです。
62歳までの現役がどれだけトンデモ記録か、なんて説明不要でしょうが、あぶさんの同級生を知るとその感慨もひとしおです。元ロッテ・有藤道世、元阪神・田淵幸一、元広島・山本浩二、元中日・星野仙一……プロ野球史上最高の黄金世代と言われる1946-47年組です。斉藤・田中世代、松阪世代など「どの世代が最強世代か」というのはファンの間でも意見が分かれる議論ですが、あぶさんがいるんじゃこの世代に決定です。
というわけで、上記の内容も含め、年表形式でもあぶさんHistoryをおさらいしておきましょう。
1946年 景浦安武、新潟で生まれる(12月17日生)
1973年 ドラフト外で南海ホークスに入団(26歳)
1979年 4打席連続本塁打(32歳)
1980年 代打本塁打日本記録更新(33歳) /サチ子と結婚
1981年 オールスター3試合全てでMVP(34歳) /長男・景虎誕生(あぶさんと同じ12月17日生)
1983年 南海を自由契約になるも入団テストを受けて再入団(36歳)
1984年 長女・夏子誕生
1986年 本塁打王・サイクルヒット達成(40歳)
1989年 南海ホークスから福岡ダイエーホークスに球団譲渡。あぶさん単身赴任スタート。
1991年 三冠王(44歳)
1992年 2年連続の三冠王(45歳)
1993年 3年連続の三冠王(46歳)
1994年 シーズン56本塁打達成・本塁打王・打点王(47歳)
1995年 本塁打王・打点王(48歳)
2000年 野村克也以来の通算3000試合出場(53歳)
2004年 福岡ダイエーホークスから福岡ソフトバンクホークスに球団譲渡
2007年 .401で首位打者(60歳)
2009年 現役引退(62歳)
さて、現役引退した後のあぶさんはというと、居酒屋「大虎」を継ぎたいという夢も果たせず、王貞治ホークス球団会長からの直々のお願いで、2軍助監督の職について物語は継続中です。100巻では東尾理子パパこと東尾修との思い出話、スカウトに転身した村松有人の物語など渋めの話題が満載。むしろ、これこそが忘れかけていた『あぶさん』の魅力だと思うのです。2軍という、輝かしいプロ野球世界における日陰だからこそ見えてくる野球界の問題点と魅力、そして人間ドラマの数々。
『あぶさん』の歴史はパ・リーグの歴史であり、そして日本プロ野球の歴史そのものなのです。
(オグマナオト)