仕事の用事で、東京都文京区音羽の講談社を訪ねた。編集者と連れ立って道を歩いていると、見慣れた建物が無くなっている。

「あ、大塚警察署ですね。今建て替え中なんですよ」
いつもその前を通っていた建物がなくなると、なんだか落ち着かないものだ。すっぽり空いたその空間を見ながら、年配のその編集者はぽつりとこう言った。
「ね、うちから近いでしょ。だからあの日も、講談社から大塚警察署まで、行列みたいになってぞろぞろ歩いていったそうですよ、逮捕された後で」

あの日とは、1986年12月8日のことだ。この日、ビートたけしこと北野武が軍団員11名とともに写真週刊誌「FRIDAY」の編集部員と乱闘を繰り広げ、現行犯逮捕されたのである。たけしが「FRIDAY」に対して立腹した理由は、彼らの取材方法だった。自分はともかく、芸人ではない家族や友人まで無断で写真を撮るなどの取材対象にするのは行き過ぎではないか(パパラッチという言葉は当時まだなかった)との抗議のために講談社を訪れたものの、編集部員と感情的なやりとりになって暴発してしまった。行動に加わらなかった軍団員は、つまみ枝豆、井手らっきょ、ラッシャー板前の3名だけ。まだ携帯電話のないころで枝豆には連絡がつかず、井手はお姉ちゃんのところに行っていて不在(そのせいで奥さんに浮気がバレた)、板前は痔の手術のため入院中だった。
『我が愛と青春のたけし軍団』の中でガダルカナル・タカは、大塚署でのこんな光景を記憶している。

ーー取り調べ室に行く途中、大塚署の暗い廊下を歩いているとき、たけしさんはちょっと振り返るようにして俺らのほうをチラッと見ると、ボソッと小声で言った。

「悪かったな。お前らには感謝してるぜ…」
後にも先にもたけしさんから感謝してるなんて言われたのは、そのときだけだ。そして、たけしさんは続けて、
「お前らのことは一生、面倒見るからよ」
胸がジーンとなった。その言葉だけで俺らは全員、
「もう、どうなってもいい」
本気でそう思った。

たけし軍団は、総帥たけしを中心として鉄の結束を誓い、滅私奉公で「笑い」のために殉じる異能集団である。その活動の最盛期は1980年代中盤から90年代前半にかけてだろう。いわゆる「フライデー事件」の前にはアイドル並みの人気を誇っていた時期もあったのである。だが、その本分は「スーパーJOCKEY」の「THEガンバルマン」コーナーや「お笑いウルトラクイズ」における汚れ仕事にあった。いい年をした大人が公衆の面前で体を張って馬鹿なことをやる。その姿勢によって彼らは芸人の意地を見せようとしたのだ。
『我が愛と青春のたけし軍団』は、対談と回想記によってたけし軍団の往時を振り返る証言集である。まとめ役をつとめるのは、軍団の年長者であるガダルカナル・タカだ。
タカははじめ、ゆーとぴあや星セント・ルイスが所属していた芸能事務所で、同郷の友人(後のつまみ枝豆)とカージナルスというコント・コンビを結成していた。ある事件によって業界を干され、カラオケ・スナックを経営してくすぶっていたところを、たけしによって拾われ軍団入りしたのである。きっかけは、軍団の野球チームに助っ人として参加したことだった。そうした具合に、どこにも行き場のなくなった芸人たち、芸人をやらなければ人生を踏み外していたかもしれないくすぶり者たちを、たけしは何人も拾い上げ、若い衆として引き受けている。ラッシャー板前がボーヤとしてついているとき、たけしは「軍団さんはどうやって選ぶんですか?」と聞かれ、ラッシャーを指してこう答えたという。
ーー特にこいつ見て。かわいそうな気するでしょ。絶対ダメでしょ。生きていけないよね、世の中で。そういうヤツ集めるのが俺、大好きなんだ!
そのラッシャー板前は父親があることで警察のお世話になり、もう芸人を辞めるしかないと決意したことがある。たけしや軍団に迷惑をかけてしまうからだ。だが、思いつめてやってきたラッシャーには、たけしはこう言いはなった。

ーーガハハハハ! いいな、いいな、それいいな! 何もお前関係ないだろ? 親父の話だろ? 全部かぶれ! お前、それ全部かぶって生きろ。お前、間違いなくこれで一回りデカくなるぜ。テレビで言えないのが残念だけど。

だが優しいだけではないのがたけしという人物だ。外に出れば、第一線で活躍する芸人として他人から好奇の視線を向けられ続ける。そうした立場に完全に酔うことができず、常に一歩引いてしまう性格の持ち主でもあった。外では豪快に振る舞ってみせるが、家に帰れば常に芸人としての研鑽を続けていた。ボーヤとしてついていた軍団員たちは、深夜まで飲み歩いていたたけしが、帰宅後に読書に耽っていたらしい形跡を何度も目撃している。それだけの努力をしている人間であるゆえに、自分の周囲の人間には厳しさを要求する。いつもそばにいる軍団員は、理不尽な形で叱られることも多かった。しかし、それも教育であり、師匠ゆえの愛情表現である。

枝豆 (たけしを車で送っていく)帰り道でさ、たけしさんが言うのよ。
「俺もよ、もう疲れてきたから、お前ら売れてよ、俺を喰わせてくれよ」って。それで俺が「頑張りますけど、殿はまだまだ現役ですから抜けないです」って言ったら、「抜けないとか思っちゃいけないんだよ!抜けるように頑張りますとか抜きますとか心意気がなきゃ芸人やってらんないだろ!」って言うから、「わかりました! 頑張ります!」って言ったら、後ろから頭ガーン蹴っ飛ばされて、「抜けると思ってんのかよ!」って言われたときは「ふざけんな、コノヤロー!」と思った(笑)。

もちろんたけしは規格外の人間だが、その弟子になった軍団員も常識から大きく逸脱した人間の集まりだ。松尾伴内は“西城秀樹の弟役”でアイドルデビューを目論んだことがあるという。

松尾 “西城秀樹の妹”って触れ込みで、河合奈保子ちゃんが僕が高校のときにデビューしたんですよ。それ見て「妹がいるなら弟もいるんじゃないか?」ってことで応募したんです。
タカ この風貌で“西城秀樹の弟”って、どう見ても“お父さん”だろ。しかも募集かかっての応募じゃなくて、勝手に自分から応募したんだよな?
松尾 募集はなかったんですけど、素晴らしいプレゼンだと思って。
枝豆 キ○ガイだよ!

挙動不審な態度で出待ちをしていたため、グレート義太夫がたけしに「あいつは絶対、俺を刺しにきたから!」と怖がられたという話など、軍団員のエピソードも豊富に語られている。またダンカンが一時「ふんころがし」に改名したが結局元に戻したという後楽園球場電光掲示板事件の秘密なども。まあ、世の中にそれほどどうでもいい秘密はないとも思うが。

「こうしか生きられなかった自分」が気持ちのいい形で肯定された本だ。
立川流一門の落語家が家元・談志を語った本の数々のように、好ましい気分にさせてくれる。たけしという師匠に自分をゆだね、たけし軍団としての存在になりきるという人生のありようは、見方によっては主体性のないものとして映るかもしれない。しかし身をゆだねたくなるほどの偉大な存在があり、それをなんのてらいもなく素直に語れるということは素晴らしく、羨望さえ覚えるのである。自分の中にそうした柱があると断言できる人は、世の中に多くないはずだ。そりゃ出版社にだって殴り込みに行くだろうって話である。いや、殴り込みに行っちゃ駄目なんだけどね。
(杉江松恋)
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