ただしこの曲には、西日暮里(にしにっぽり)・新大久保・浜松町の3駅が出てこない。このうち新大久保と浜松町が出てこないのはいい語呂合わせが思いつかなかったからなのか理由は不明だが、西日暮里についてはあきらかだ。同曲がつくられた当時(1964年)、同駅はまだ開業してなかったからである。
山手線の西日暮里駅が開業したのは1971年のこと。地下鉄千代田線の開通にともない、その乗り換え駅として新設されたのだった。これ以後、山手線には新駅は誕生していない……のだけれども、この年明け、JR東日本が、品川と田町のあいだに2020年頃をめどに新駅の開設を検討しているとのニュースが新聞各紙に掲載された(もっともあくまでもまだ検討段階であり、正式発表はされていないことに留意したいが)。目標どおり完成すれば約50年ぶり、30番目の山手線新駅ということになる。
それにしても、どうしてここへ来て新駅なのか。鉄道会社は基本的に、新たに駅をつくることに消極的である。停車駅が増えればその分、所要時間が長くなってしまうというのがその大きな理由だ。新しい駅をつくろうという動きが出てくるのは、つくることによるデメリットをはるかに上回るメリットが見込めるからにほかならない。
最近、メディアファクトリー新書の一冊として刊行された、その名もずばり『山手線に新駅ができる本当の理由』には、なぜいま山手線に新駅構想が持ち上がっているのかその理由と、新駅がつくられることでどんな効果が期待できるのかがくわしく説明されている。著者の市川宏雄は都市政策の専門家であり、現在明治大学専門職大学院長や公共政策大学院ガバナンス研究科長を務める人物だ。それだけに、大きな構想を語りながらも十分にリアリティを感じさせる。
山手線の新駅構想は、現在建設中の「東北縦貫線」と切っても切れない関係にある。「東北縦貫線」は、現在は上野駅発着の宇都宮線・高崎線・常磐線を東京駅まで延伸させ、東海道線との直通運転も可能にしようというものだ。このため目下、神田駅付近では東北新幹線の高架の上にさらに高架を建設するという工事が行なわれている。完成のあかつき(2014年度を予定している)には、この高架に敷かれた線路を列車が走ることになる。そのスケールからしても、JR東日本にとっては戦災で焼けた東京駅丸の内赤レンガ駅舎の復元工事(いよいよ来月1日にグランドオープンする)と並ぶビッグプロジェクトといえよう。
「東北縦貫線」建設の目的はまず山手線の混雑緩和にある。現在、宇都宮線・高崎線・常磐線を使って東京都心に向かう乗客は上野駅で山手線か京浜東北線に乗り換えなければいけない。山手線のすべての駅間のなかでもっとも朝の通勤ラッシュ時の混雑率が高いのが上野~御徒町間というのも納得がゆく。しかし「東北縦貫線」ができれば、上野駅での乗り換え客が少なくなる分、山手線の混雑緩和が期待できる。
「東北縦貫線」による効果はそればかりではない。現在、品川~田町間にある品川車両基地に留置されている東京駅発着の列車を、田端車両基地(東京都北区)に移すことができるので、品川車両基地の大部分のスペースが不要になる。……と、ここでようやく例の山手線新駅の話が出てくるわけだ。もっとも、品川車両基地は西側を山手線・京浜東北線・東海道線、東側を東海道新幹線に取り囲まれている。車両基地の移転後にその跡地を利用しようとしても、このままではかなりの制約を受けることになってしまう。そこで、山手線・京浜東北線を新幹線に沿う形で約200メートル移設することで、車両基地の跡地をそっくりそのまま新駅建設にあてるという妙案が打ち出された。
隣りの駅である品川には2003年に東海道新幹線の新駅が開業、東海地方以西から上京するばあい東京南西部や臨海部へのアクセスが格段によくなった。また羽田空港にも近く、京急電鉄を利用すれば最短17分(国内線ターミナルまでの所要時間)でアクセスが可能だ。加えてJR東海が2027年に東京~名古屋間での開業をめざすリニア中央新幹線のターミナルが品川に決まったことから、今後ますます東京の玄関口としての役割は大きくなろうとしている。それだけに山手線の新駅が駅ビルや駅ナカとの複合施設として建設されたのなら、品川周辺の再開発の象徴となることはまちがいない。
本書ではさらに、新駅が検討されている品川駅・田町駅周辺地域が、将来の日本、あるいは国際競争のなかでどのような意味を持ってくるのかが論じられている。
すでに東京都や国は、東京と世界の各都市との競争を見据え、その拠点となるべき特区のひとつとして品川駅・田町駅地域を指定、海外企業の誘致などに乗り出している。山手線の新駅構想と再開発にとってはまさに追い風だし、再国際化の進む羽田空港とも近いことから、新しくできる街は国内のみならず海外からの玄関口という役割をも担うことが期待される。
ただ、著者がひとつだけ懸念することがある。それは、品川がもともとポテンシャルの高い地域だけに、再開発が底の浅い中途半端なものになってしまうことだ。《極端な話、再開発予定地を区画整理して切り売りするだけでも、アクセスのよい土地柄だけにすぐ買い手がつくだろうし、それなりに便利でかっこいい街並みがつくれてしまうだろう》という一文は、従来の日本の都市再開発の問題をずばり指摘している。
一例として東海道新幹線の新駅開業前後に進められた品川駅東口の再開発があげられる。旧国鉄用地を利用したこの再開発では、かつての貨物ヤード跡地に品川インターシティが、新幹線車両基地・保守基地跡地に品川グランドコモンズが誕生した。
山手線の新駅を中心とする再開発がそうなってしまうのはあまりにもったいない。著者は《品川の再開発計画を練りに練って、東京再生のために本当にベストなプランを実現すれば、その都市の完成度と先進性において、世界の追随を許さなくなるだろう》と理想を語っている。「ベストなプランを実現」するには、広い土地を一括して再開発できるだけの大きな理想と強い力を持った存在が必要だとわたしは考える。思えば六本木ヒルズは、森ヒルズの社長だった森稔の強力なリーダーシップのもと、さまざまな施設が複雑に共存し、全体でひとつの街が構成されているというスタイルが実現した。山手線新駅についても、JR東日本ならJR東日本がきちんとリードして進めるという、いわば“顔の見える再開発”が目指されるべきではないだろうか。(近藤正高)