『アシュラ』(上巻下巻)は、「少年マガジン」に1970年に連載されたジョージ秋山、最大の問題作。いや、少年漫画最大の問題作といっても過言ではないだろう。

冒頭からショッキングだ。
泣く子の尻を喰う男。ギャーギャー。
村は餓死した人たちでいっぱい。ギャーギャーというカラスの泣き声。
死者の口からはウジがあふれでる。

次々と描かれる死者。やせ細り座ってる男の眼球をカラスがつつく。
投げられた斧。ギャーギャー。
半裸の男の背中に刺さる。
影から女が現れ、殺した男の肉を喰らう。

10数ページ、台詞もなく、地獄絵図と化した世界が描かれる。
屍肉を喰い生きる女は妊娠している。
生まれてくる子が、このマンガの主人公アシュラだ。

半狂乱の状態でありながら、赤ん坊を育てようとする。が、餓える。屍肉すらも食うものがなくなる。

「死ぬ 食べられるのはおまえだけ…………」
自分の子を、火の中に放り込む。
「生まれてこないほうがよかったのに」
連載開始すぐに大批難をあびる。

どれほどの衝撃であったか。
「封印漫画大全」(iOSアプリ)に詳しく書かれている。

“神奈川県では「残忍、不道徳のうえに犯罪性がある。非常識であると同時に青少年に悪影響を与える」として掲載誌の『週刊少年マガジン』を有害図書に指定し、未成年への販売を禁止。
北海道ほか各自治体もそれに追随し、社会問題に発展した。”

これを受けて、「新連載まんが『アシュラ』の企画意図について」が掲載される。
“人間が人間として生きられるギリギリの環境下に誕生し、成長していく過程をとおして、宗教的世界にめざめ、人生のよりどころを確立させていくことをテーマにした”
第一回目で描かれた地獄絵図的世界は、主人公らの精神的成長の中で否定される、という構成だという釈明だ。

だが、マンガ『アシュラ』本編は構想通りには展開しない。
作者ジョージ秋山が、アシュラの怒り嘆き苦しみ苦悩に真正面から向き合い、傷つきながら、描き進めたからだ。
何度も描かれる“神なるもの、仏なるものへのひたむきな希求”は、「境地」ではなく、いつまでも「希求」だ。

人間の苦悩煩悩、生きるギリギリの環境、アシュラの心情、物語が抱えてしまった真実を裏切らないために、物語はどう展開するかまったく予想がつかない。目が離せない。
脚本学校で教えられるような整然さを物語は失い、マンガそのものが迷い苦悩する。
作者自身もどう展開していいのか判らなかったのではないか。
「アシュラ」の、そしてジョージ秋山作品の魅力の巨大さは、そこにある。
読後も、簡単に分かった気にならない。
読んだ体験そのものが答えであり、答えのない問いであるように感じるのだ。

だからこそ、大人は、この作品を恐れたのだ。
タブーをやぶったからだけではない。
自分たちの構え、当たり前だと思っていた世界構成を突き破るいいしれぬ不気味さ。
自分たちが疑わず頼ってきた世界観を、疑い悩んでいるその真摯な姿を、恐れたのだ。

「アシュラ」が映像不可能だと言われる理由は、残虐な描写のせいだけではない。
迷い傷ついたまま進展していく物語のライブ感は、この時、この作者だからこそできたと思わせる唯一感がある。そこが他のメディアに移し替えることができないと感じさせるのだろう。

その不可能に果敢にいどんだアニメ「アシュラ」はどうだったのか。
ポイントの1つめ。
残虐さを何か丸くして、「これアシュラじゃないよー」って作品になってないか?
だいじょうぶ。
がんばっている。
特に前半は、原作に忠実な展開で、強烈なインパクトを与える。
なんといっても、すごいのが、アシュラの声。
声優は、野沢雅子
すごい。
恐ろしいほどの美しさで、人と獣の間の存在を演じた。
その人間性の移り変わりを表現した。
声を聞くだけでも、劇場に足を運んでも損はない。

もう1つのポイント。物語を突き破るほどの苦悩を晒して作っているか。
残念ながら、こちらは、ない。
いや、だが、原作マンガ「アシュラ」に衝撃を受けたファン以外には、そのほうが良かったのかもしれない。
エンタテインメント作品として、上手に成立させた。
アシュラと、ものすごい数の村人との大乱闘をクライマックスにして、カッコいいアクション作品に仕上げている。
アシュラちゃん人形とか、マグカップが出ても、いい。
キャラ萌えして、「アシュラちゃんに耳かじってもらいたーい(はあと)」とか言うても、だいじょうぶOKな、ノリだ。
絵も魅力的だ。和の世界に、水彩画にリキテックスを使って描いたよう彩色がマッチする。ちゃんと「汚れ」ているのだ。
背景は2D、キャラクターは3Dで制作されている。
アシュラのキャラクターがしっかりと背景に馴染んでいる。
アニメーションも、モーションキャプチャではなく手付けで行われているらしく、アニメーションらしい躍動感にあふれている。
物語の構成も、わかりやすいエンタテインメントになった。
後半は、原作を大きく改編している。特に、ヒロイン若狭はまったく逆の印象を与えるキャラクターに変わっている。
エンディングも、すっきりと復興への希望につながるものに改変された(『アシュラ完結編』に近い展開だ)。
うまくまとめた。
苦悩よりも、しっかりとしたエンタテインメント作品にしあげるのだ、というプロフェッショナルな力量が勝ったのだろう。このツクリなら、大人から批難をあびたり、発禁になることはない。
(米光一成)