吉田沙保里選手らが署名運動を訴えたり、スポーツ大国アメリカ・ロシアでも議論が巻き起こっている様子が各メディアでも報じられているのは皆さんご存知のとおり。
今回、特に議論の的になっているのが2点。
1)なぜ、レスリングが除外されたのか?
2)当初、除外候補と言われていた近代五種、テコンドーは残ったのはなぜか?
これに関しては、近代五種、テコンドー関係者が積極的なロビー活動を実施して残留につなげたのに対し、レスリングサイドは全くロビー活動をしてこなかったことが既に伝わってきている。
さて、ここでいう「ロビー活動」とは何か。「どんな内容を?」というのも大きな関心事だが、ブラックボックスになっている部分が大きく議論が展開しにくい。であれば、「誰に対して?」という部分を今一度突き詰めた方が、問題の本質が見てくるように思う。
誰、とは当然、国際オリンピック委員会(IOC)になる。IOCといえば、ソルトレークシティ冬季五輪の招致スキャンダルも記憶に新しい。ここから、今回の問題も金銭的な裏取引があったのでは?と勘ぐる人も多い。
IOCとはいったいどんな組織なのか。なぜ、「オリンピックと金」の問題が毎度毎度ささやかれてしまうのか。このことを考察するうえで最適の書が『オリンピックと商業主義』だ。本書では、五輪における商業主義がいつから始まり、どのような変遷を遂げていったのかを、五輪礼賛でも金権批判でもないスタンスで冷静に分析していく。
そもそも、実施競技を入れ替える理由は「大会を活性化させるため」だとされている。
だが、すでに活性化など不要なほど、五輪が世界最大のイベントであることに疑いの余地はない。むしろ、際限なく膨らんでいく五輪の開催経費が、さらなる活性化を求めるという悪循環を作り出しているようにも思えてくる。
昨年のロンドン五輪は、実に「3度目」のロンドン開催であった(1908年、1948年、2012年)のだが、1908年に行われたロンドン五輪にかかった経費が1万5214ポンドだったのに対して、2012年大会でかかった経費は運営費だけで20億ポンド(約2500億円)。物価指数を換算して比較すると、104年の間に6385倍も金のかかる巨大イベントになってしまったことがその証左であるだろう。
本書ではこのように、第一回のアテネ五輪から直近のロンドン五輪まで、どのように五輪の開催経費が変遷し、増大していったのかを記していく。
《現在のオリンピックにおける「商業化」の弊害とは、突きつめて考えると、営利団体ではないはずのIOCが、収入を極大化しようとしているところにある》という指摘は、スポーツが誰のものか、という点からも非常に興味深く、また、この増大していく収入が、IOCの権力をまた違った形に歪めていく様子も明らかにする。
例えば、IOCは2008年時点、スポンサー企業からの協賛金だけで86億円を得ていたのだが、この巨額の分配金を何に使ったのかの公開義務がなく、詳細は不明だという。
《どの政府に対しても報告義務はないのだ。きわめて秘密主義が強く、会議からマスコミを締め出し、年次報告書の公表さえしない。(略)そんなわずかな説明責任しかない組織が、ある程度の収賄を隠していたからといって驚くには当たらない》
この発言は、ソルトレークシティ招致スキャンダルに言及したスポンサーサイドからの発言として紹介されているのだが、この秘密主義も今回のレスリング問題の一端を担っているように思えてくる。
他にも本書では、オリンピックの舞台裏にある莫大な放映権料やスポンサー料がIOCの懐を潤し、競技のルールや実施方法にまで影響を及ぼす実態に迫っていく。
IOCという組織の意義、役割、問題点を知ることは、今回のレスリングだけでなく、東京都も立候補している2020年五輪の開催地決定(今年9月に決戦帳票)においても重要な観点であるだろう。五輪招致に賛成・反対の立場はあれど、日本という国が国際的にスポーツでどう伍していくか、という課題にも関わってくるからだ。
IOCや五輪のマネタイズに関する書は今回紹介した『オリンピックと商業主義』の他にも多数あり(『黒い輪―権力・金・クスリ オリンピックの内幕』、『オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか』などが代表例)、いずれも「スポーツがかかえる問題点」「スポーツとお金の関係性」を考える上で大きなヒントがある。また今月末には新潮社から『IOC:オリンピックを動かす巨大組織』という、まさにIOCのそのものに迫る本も刊行される予定だ。こちらに関しても改めて機会を設け、紹介していきたい。
(オグマナオト)