山崎邦正って、面白いと思います? ……ここで、大多数の人からは「えっ、つまんないよ(笑)」って答えが返ってくるんですよ。でも、一方で「めっちゃ、面白い!」と言ってくれる人もいて。
ただ、話を掘り下げると、このようなエクスキューズを付けられることも多い。「面白いよ、違う意味で」。

笑いの好みは人それぞれだから、色々な意見があるのは正常。でも、どうにも彼に関しての場合「つまらない」という評価が圧倒的な気がしてならないのです。
いや、人気の度合いは多数決で判断される側面もあるから、そこにどうこう言うのはお門違いかもしれません、が。

話は変わって、日曜夜の長寿番組『ガキの使いやあらへんで!!』。
私の中で彼の役割は、問答無用で“不動の4番バッター”。山崎邦正がいるからこそ、笑える。誰の冠番組かとかそういう位置関係は置いといて、笑い(記者からの)を根こそぎ持ってってるのは紛れもなく山崎氏。
“リアクション芸”に関してだってあの人やその人より上手だし、“スベり芸”のクオリティと言ったら筆舌に尽くしがたい。
そして何と言っても、話術が素敵。ここで、「はぁ~!?」とか言われちゃったりするんですが。
もう、こっちから「はぁ~!?」って言い返してやりたいよ! 「違う意味」とかそんなんじゃなく、正当な意味で面白い。

そんな彼が重大な決意を元に、新たな道を歩み出したらしいのです。2013年の山崎邦正は、芸人としてまたしても一皮剥けている。月亭方正による著書『僕が落語家になった理由』を、私は読んでしまいました。

長年、私は彼を買っていましたが、山ちゃん自身は漠然とした不安を長年抱えていた模様。
「ときどき営業で“山崎邦正”として呼ばれるんですけど、結局やることがないんです」
「お客さんの前に出て『マー』とか『やったじゃ~ん』などのギャグをやっても一分も持ちません」
営業が終わると、彼はいつも落ち込んでしまう。
「俺の二十年は一体何やったんや」と。そうですか、芸歴もいつしか二十年を超えていましたか……。

ここで、腹をくくる山崎邦正。まず始めに、彼は吉本新喜劇の座長を志した。そこからは、新喜劇や藤山寛美のDVDを観て学ぶ毎日。
「でも、ふと気づいたんです。
『よし! 勉強になった。やってみよう!』と家で思っても、何もできないんです」
それは、道理である。なぜなら、新喜劇は大勢の役者と共に演じる喜劇なのだから。一人で稽古に励むことはできなかった。

ここで現れるは、山崎にとってのキーマン・東野幸治。
「『感情がない』とか『もっと心を入れてしゃべれや』ってイジられるんですけど、いつでも的確な答えをくれるので、人の上に立つ人なのかなって思ったりします」
山崎は、同い年である東野に絶大な信頼を寄せているらしい。
当然、自身の進む道についても相談を持ちかけた。

「落語を聴いてみたら?」(東野)
「……東野さんすみません、古典芸能は違うんです。僕がやりたいことと違うんです」(山崎)
「でも面白いから。とりあえず、桂枝雀さんの落語、聴いてみたら」(東野)

「東野さんが言うなら……」と、レンタル屋で枝雀のCDを借りた山崎。初めて聴いたのは『高津の富』だったそうだ。
「え? うそ? 何これ? こんなに面白いの!? こんなに笑えるの!?」
そこからは、もう虜。
DVDを全部購入し、CDを聴きまくり、枝雀漬けの半年を過ごしたという。

そして、早くも噺家気分。高座に上がったこともないのに……。
「噺家っていえば何やろな……破天荒や! そうや、噺家は破天荒や!」
ここからは、愛すべき展開が。まず日本酒をニ升飲み、結果、腸を壊して入院してしまったのだ。まさに、“俺たちの山崎邦正”。

だが、そろそろ次の段階に向かわなければならない。勉強して、体を壊し、後は演るだけではないのか? いや、本来はそんな簡単な話じゃないのだろうけど……。
しかし、並外れた行動力を持つ山崎邦正。手始めに、レギュラー番組で共演していた月亭八光に話を持ちかける。
「あれ? そういうたら八光って落語に興味あるとか、落語演ってるとか言ってたな」(山崎)
「すみません邦正さん、僕、落語家ですよ!」(八光)
どうやら、八光が落語家だと知らなかったようなのだ。しかし紆余曲折を乗り越え、八光の父・月亭八方が主催する勉強会に出させてもらえることとなった。演じたのは『阿弥陀池』。
「最後にサゲの『阿弥陀が行けと言うた』って言ったら、太鼓がドドンって鳴って、拍手をワーッともらったんです。それが本当に気持ちよくて、演り終えた時の充実感がすごいんです」
営業の帰り、いつも肩を落としてヘコんでいた山崎邦正が!

その夜、山崎は月亭八方に申し出る。
「師匠、月亭下さい」
「ええよ、やる」
拍子抜けするほどの快諾。「八方」の「方」の字を受け継いだ「月亭方正」の誕生である。

しかし、これは八方師匠が山崎を“お客さん”と捉えていたからこそのやり取りである。
でも、次第に伝わる。次の月も、その次の月も、方正は勉強会への出演を申し出たのだ。その真意を確かめるよう、ある時、八方から念が押された。
「どうや? 本気でやるのか? 本気でやるんやったら、もう辞められへんで。お前が噺家辞める時は、この世界辞めなアカンで」
二つ返事で「はい、本気です」と答える方正。
本気ならば、弟子がすべき仕事を怠るわけにはいかない。師匠の鞄は持つ、着物は畳む、太鼓の練習をする。しかし、それこそが喜びだった。
「『これで落語をやっていけるんや、人生賭けてやっていけるんや』と思った瞬間でした」

ただ、そこでスッと行かないのが芸能界。人生を賭けるのなら、避けられない問題が浮上するだろう。それまで、彼が出る落語会では、出演者の欄に「月亭方正(山崎邦正)」と書かれていたらしい。
「両方書いてあるの、何かおかしないか? どっちかにせえへんか」(八方)
当然、その点は本人も気にしていた。しかし、「山崎邦正」の名前で二十年以上活動してきた事実がある。特に、レギュラー番組『ガキの使いやあらへんで!!』に迷惑をかけないだろうか? 「月亭方正」に改名することで、番組の空気感は変わらないだろうか? 
「意を決して松本さんに訊いてみたら、こう言って下さいました。『それはオレの言うことじゃない。お前の人生やから、お前が決めたらいい』」

一方の、浜田雅功は……?
「両方でやったらええんと違うの? 山崎で名前通ってるのに、もったいないやん」(浜田)
「でも、師匠にも言われまして、僕も月亭でやって行きたいなって思ってるんです」(方正)
「ふーん、決心してるんや。ええやん、面白いやん」(浜田)
結局、皆がこの決意について背中を押してくれている。2013年1月1日、正式に山崎邦正は「月亭方正」に改名した。

もう、遮るものは何もない。昨年夏には東京から大阪へ引越しを済ませ、大阪「繁昌亭」での楽屋番も志願。
「落語のことを考えない日はありません。休みをもらって家族で旅行に行っても、落語のことは必ず考えています」
それはもう、ネタ以外のことに関しても。例えばお寺が目に入ると「これってあの噺に出て来る、あのお寺かな?」とか、街でケンカを目撃すると「これ、新作の落語に使われへんかな」とか。お祈りすることも「家族が幸せでありますように」と「立派な噺家になれますように」の二点しかないという。

そういえば方正、30歳で一人コントライブを敢行しているらしい。
「でもぶっちゃけ、単独ライブはやりたくなかったんです」(方正)
「芸人としてやらなければいけない」とか「周りがやってるから」と、腰が引けつつのチャレンジだったようだ。
「今はやりたいことがはっきりした上で舞台に立つから、『こんなんできるんや』、『こんなん見せたいんや』っていう気持ちになってウキウキします」(方正)

ここで一つ、手前味噌ですが……。私、知人からチケットを譲り受け、月亭方正と月亭八光による落語会『全国行脚、月亭二人旅』をたまたま目撃したことがあるんです。これは、方正と八光が「精進のために全国津々浦々、47都道府県を回ろう!」と起ち上げた会。
ちなみに私が観に行ったのは、2011年1月15日に開催された二人会。記念すべき一回目で、場所は浅草でした。「好き」という感情もあるのだろうけど、応援する気持ちもあるのだろうけど、私は面白いとしか思えなかった。しかも、全国行脚の記念すべきスタートに立ち会えたのなら光栄である。

ウキウキの「月亭方正」のこれからは、見ものなんです!
(寺西ジャジューカ)