当然、優勝を目指しての準備も通常のマラソンとは異なってきます。
「コースの平均標高が3000m程あるため酸素が薄く血中酸素濃度が下がりやすいんです。下がりすぎると体が決定的なダメージを受けてしまうので(血中酸素濃度が)
90以下に落ちないようにして走る訓練を積みました」(黒澤さん)
またスタートラインに立つ前から戦いは始まっています。主催者が出場者の安全を確保するため詳細な必携品リストを用意しており、ランナーはそれらをすべて持ったまま全行程を走らなければなりません。寝袋を含めて10kg近くになる荷物を1グラムでも軽量化しつつ、厳しい環境を乗り切るだけの装備を揃えるかというのも腕の見せどころです。にも関わらず、チームKIZUNAは二つのユニフォームを持っていったとのです。
一つは日の丸を想起させるたくさんのピンクの水玉がデザインされたウェア。チームKIZUNAの3人が所属するトライアスロンチーム・イオマーレのユニフォームであるこのウェアへの3人の特別な思いを黒澤さんは語ってくれました。
「デザインしたのは世界で活躍するデザイナーであり、チームメイトでもあった嶋田俊彦さんでした。しかし嶋田さんはガンとの闘病の末、残念ながら僕たちがアタカマに出発する朝に亡くなられてしまいました。最期の挨拶をしたときに交わした握手は本当に力強く、それまで気丈にしていた嶋田さんの無念が感じられました」
チームのアニキ的存在だった嶋田さんに対する思いはメンバーの小野裕史さんのブログに詳しく記されていますが、彼の快復を祈るメンバーにとってこのユニフォームは特別な意味を持つものでした。機能的には必ずしも最適とはいえないバイクウェアながら、このユニフォーム以外で大一番に臨むことはありえなかったと言います。
しかしそんな大切なユニフォームの他に、もう一つ別のユニフォームも用意していたのです。それはなんと着ぐるみです。それぞれキリン、ダイコン、バナナの着ぐるみを持参して、優勝が決定的になった第5ステージのゴール前に着込んで走ったのです。
「荷物をグラム単位で軽量化するためにウェアのタグまで切る程だったのに、9.3kgの荷物の中、着ぐるみだけで711gありました(笑)」(黒澤さん)
優勝を狙うチームとしては致命的な負担になりかねないにも関わらず、なぜ着ぐるみを持って行くリスクを犯したのでしょうか。
「僕たちは世界一になることができましたが、その結果だけがすべてではありません。中には全盲にも関わらず完走した方もいましたし、その彼を日韓親善のために伴走してサポートし続けた在日韓国人ランナーの方もいました。他にも生まれつき糖尿病を患っており、インシュリンを打ちながら完走した大学生もいました」
優勝した自分たちよりも、それらのランナーの方がよほど貴い存在だと言わんばかりに黒澤さんは熱く語ってくれました。
「彼らが乗り越えたチャレンジが与えてくれた感動と比べると、僕らの成したことはある意味大したことありません。僕らはせめて苦しい中でもアホなことをやって笑いを起こし、そのことによって生まれるポジティブなエネルギーをみんなで分け合いたかったんです」
過酷で苦しいレースを乗り越えたからこそ、笑うことによって生まれる絆の尊さを、世界一の男たちは誰よりもよく知っているのかも知れません。
(鶴賀太郎)