目印は、高く空に伸びた煙突。寺社建築を思わせる建物に近づくと、カコーン、カコーンと、桶の音。番台で料金を支払う。「おいおい、そっちは女湯だよ。スケベなヤツだなあ」なんてお約束をかまして、番頭さんに叱られつつ、脱衣場で服を脱ぎ、いざ浴場へ。風呂の匂い。湯けむり。富士山のペンキ絵。浴槽の、熱いお湯。初めて会う人たちとも気軽に話し、笑い合う。体を洗ってサッパリしたら、もう一回浴槽で温まって、よし、出よう。服を着てしまう前に、コーヒー牛乳を一気飲み…。

日本人は、風呂好きだ。自宅に風呂があっても、温泉や銭湯に足を運ぶ。アカの他人と、裸で、同じ風呂へ入ることに、抵抗を感じない。そんなことより、自宅の風呂よりも広い浴槽にゆったりと浸かれることが嬉しい。だからであろう。いわゆる「スーパー銭湯」と呼ばれる入浴施設が、2000年代の頃から急速に増加してきた。

ところが、冒頭のような「銭湯」は、年々減少傾向にあるという。業界団体によると、一週間に一軒の割合で銭湯が廃業に追い込まれているそうだ。たしかに、健康ランドやスーパー銭湯はあっても、“普通の"銭湯はあまり見かけなくなった。

ちなみに、健康ランドやスーパー銭湯も、“普通の"銭湯も、同じ「風呂屋」ではあるが、厳密には別物である。「公衆浴場法」によって、“普通の"銭湯は「普通公衆浴場」、健康ランドやスーパー銭湯は「その他の公衆浴場」に分類されている。また、健康ランドでは入浴道具や館内用のガウンなどが貸し出され、食堂、ゲームコーナー、プール、ボウリング場等々が併設されており、利用料金は数千円する。

スーパー銭湯は、こういった健康ランドの「入浴以外の要素」を減らし、健康ランドより低価格で楽しめるものである。そして、“普通の"銭湯は、より入浴に特化した施設で、料金も数百円程度。この“普通の"銭湯の料金は、自治体から定められている。自由に料金を設定できる、健康ランドやスーパー銭湯との違いのひとつである。

健康ランドやスーパー銭湯が台頭したことも影響し、いまや廃れ行く一方の銭湯。しかし、料金が安いので毎日でも通えることや、そこで生まれる“銭湯コミュニケーション"は、銭湯ならではの大きな魅力である。このことを、いま一度、日本人に見直してもらいたい。そう考え、様々な活動に取り組んでいるのが、今回お話を伺った、医師の酒井太郎さんだ。

鎌倉で「さかい内科・胃腸科クリニック」の院長を務める酒井さんは、実家が銭湯だったという。「祖父母が鶴岡八幡宮の近くで『松の湯』という銭湯を営んでおり、私も子供の頃から毎日のようにそこで入浴を済ませていました」と酒井さん。「浴場で友達と騒いだり、浴槽のお湯を水で埋めたりする度、よく大人たちに怒られたものです。まったく知らない人にも(笑)」

知らない人に怒られる経験。今の時代では、なかなかできないことだろう。「銭湯には、地域のいろいろな人たちが集まっていました。そして、同じ風呂に入った者同士で様々な会話を交わしているうちに、年齢も職業も社会的地位なども一切関係なく、友達になれちゃうんですね。私も、銭湯で出会った見知らぬ大人たちに、怒られるだけでなく、休日には遊びに連れて行ってもらったりもしていました」と話す酒井さん。だが、物騒な現代においては、地域の住民といえども、他人に子供を預けることはなかなか難しい。

「けれど、地域の大人が信頼できる人たちであるとわかっていれば、親も子供も安心ですよね。地域の住民同士が日頃からコミュニケーションを取ることで、地域全体が子供を守るカギになっていきます。ところが、知らない地域住民同士が触れ合い、信頼関係を築き合う、昔の銭湯のような場所が減ってしまった。それが、“物騒な現代"を生み出す一因になっているのではないでしょうか」

酒井さんは、2001年~2005年までアメリカで医師の仕事をしていた。その後、地元・鎌倉に戻り開業したが、日々の診察や往診から、地域のつながりの無さを実感するようになったという。「昔は、銭湯に集まる人の誰かが来なくなると、みんなで心配して、その人の家を訪ねたりしたものです。だから、当時は孤独死なんてほとんど無かったと思います」と酒井さん。たしかに、近所の人たちの顔も名前も良く知らない現代では、その人を見かけなくなったかどうかにすら気づくことができない。「地域がつながっていないから、ご近所を想う心も持てない。だから、たとえば近所の学校で行われている運動会の音が大きいからと、近隣住民が文句をつけてしまうわけです」

地域住民が触れ合い、つながる場としての銭湯の役割を子供の頃から身をもって知ってきた酒井さんは、“銭湯コミュニケーション"の復活こそが、安心して暮らせる地域をもたらすと考えた。そして、阪神大震災時に公衆浴場をつくり、被災者に提供した牧師が、鎌倉へ移り住み、「鎌倉に震災銭湯をつくる会」を結成したことを知って、共同代表としてその会に加わることになった。

「それが2011年1月のことだったのですが、その二ヶ月後に、東日本大震災が起こったんです」と酒井さん。被災地の惨状に居てもたってもいられなくなった酒井さんは、震災から10日後には宮城県南三陸町に入る。避難所での診察に加えて行ったのは、寝たきりのため避難所へ行けず、高台の自宅で孤立する高齢者の往診だった。

「災害時には、なるべく早く避難することが重要です。けれど、それがままならない高齢者や障がい者の方がいます。どこに避難すればいいのか。誰に連絡をすれば、避難所へ行けるのか。地域のつながりが希薄だから、わからない。誰が避難をしていないのか。どこの誰が寝たきりのため、避難できずにいるのか。救う側も、わからない。そんな地域が、今の日本には少なくないと思います」と、真剣な面持ちで話す酒井さん。たしかに、そうだ。筆者も、今この瞬間に大地震が発生し、自分と家族は難を逃れられたとしても、近所にどんな人がいて、どんな声がけをすればいいのか、何をサポートすればいいのか、まるでわかっていない。まして、近所の人たちの体調や持病、寝たきりの家族がいるといった情報など、何一つ持ちえていない。

東日本大震災の被災地での経験もあり、より一層、日頃からの“銭湯コミュニケーション"が大切だと実感した酒井さん。そして、本格的に、「震災銭湯」づくりの実現へと動くようになった。

「『震災銭湯』といっても、基本的には一般的な銭湯です。平時には、地元住民はもちろん、鎌倉は観光地ですから、観光客の方々にも観光やハイキングでかいた汗を流せる場所として利用してもらう。そして、災害時には地域の高齢者や障がい者といった方々を中心に集まり、情報収集、入浴、トイレも済ませられる、防災の拠点として活用できる。救援機能を持つ、多目的公衆浴場。それが、私たちの考える『震災銭湯』です」と酒井さん。すでに、「震災銭湯」の具体的なイメージイラストも完成し、シンポジウムを主催するなどして、世間に知らせる活動にも取り組んでいる。

「市民からは約8200人の署名が集まり、『震災銭湯』の実現へ向けて鎌倉市や専門家と協力しながら、少しずつ動き出しています」と話す酒井さんが、この活動の最大のテーマとしているのは「ストップ・ザ・無関心」だという。

「他人への無関心。地域への無関心。こういった無関心を無くし、常に関心を寄せ合うことで、今の日本人が失いかけている『人を想う心』が取り戻せると思うんです。そして、近くの他人や地域を想う心は、いざというときに必ず大きな力を発揮します。希薄になりつつある、他人や地域とのつながりではありますが、まだ崩壊はしていません。他人や地域に常に関心を持ち、つながる。そのきっかけが、“銭湯コミュニケーション"にあると思っています」と話してくれた、酒井さん。

つながり。絆。東日本大震災が起きた後に、日本中の至る所で目にし、耳にした言葉だ。しかし、あれだけ世の中にあふれた、つながりと絆のはずなのに、近くの他人、ご近所さん、地域との、つながりや絆の希薄さは、何も変わっていない。といって、無理矢理にご近所とつながり、地域内の絆を生み出そう、というものでもないだろう。

大きな風呂に入る。体だけでなく、心の中もぽかぽかと温かくなる。気分が良くなる。同じように、気分良さそうにしている人たちがいる。話をしたくなる。話してみる。笑い合う。心まで、裸になる。そして、友達になる。そこから、ご近所さんとのつながりや、地域の絆は、自然と生まれる。

日本人は、風呂好きだ。そして、毎日のように通えて、たくさんの友達ができていく、銭湯が大好きだ。
銭湯を、日本から失ってはいけない。
(木村吉貴/studio woofoo)