スペースインベーダーが列島を「侵略」して今年で36年、ファミリーコンピュータの発売から31年。決して少なくない年月が日本のゲーム業界でも流れましたが、「風雲児」と呼ばれたクリエイターは一人しかいません。
故・飯野賢治氏です。

『Dの食卓』『エネミー・ゼロ』などエッジの効いたタイトルもさることながら、その巨躯と風貌、歯に衣着せぬ言動などでメディアの注目を集め、1990年代後半のゲームシーンを語る上で欠かせぬ人物でした。2000年代に入って、表だった活動は影を潜めましたが、Wiiウェアのアクションパズル『きみとぼくと立体。』などで健在ぶりを披露。2013年に42歳の若さで急逝したのは、記憶に新しいところです。

そんな飯野氏の作品を一堂に集めた展覧会「飯野賢治とWarp 展 - ONE.D.K〜飯野賢治とWarp作品をプレイする14日間。
〜」
が、5月17日(土)まで渋谷の+SANOW LABs.(サノウラボプラス)で開催されています。会場で「ゲーム菩薩」めざしてホスト役をつとめるのは、飯野氏と同年代のゲームクリエイターで、『巨人のドシン』などで知られる飯田和敏氏。ホントに遅ればせながら、自分も行ってきました。

いや、ホントは行くつもりはなかったんですよ。ただ、どうにも寝覚めが悪いというか。しかも会場に自分の写真がデカデカと投影されていると聞きまして・・・。


もともと筆者は1990年代後半、「ゲーム批評」という雑誌の編集者として、飯野サンと親交がありました。当時、飯野サンは「エビスからの手紙」という人気連載を手がけていて、原稿を受け取りに行ったり、インタビューをさせてもらったり、毎回おかしな仮装をして写真を撮る「街で見かけた」というシリーズで写真に写ってもらったり、たいへんお世話になっておりまして・・・。

んでもって、古参ゲーマーなら良く知っている『エネミー・ゼロ』のレビュー事件。プレイステーションからセガサターンにプラットフォームを変更するなど、煽りに煽って出したゲームが「うーん・・・」。誌面で辛口レビューの結果、関係が自然消滅したわけですが、そのうちの1本を書いたのが筆者なんですよねーハッハッハ(誌面には「編集部」とだけクレジット)。それから飯野サンとはお会いしておらず、そのままになっちゃいました。


入り口では飯野サンのトレードマークだった、アルマーニのスーツがお出迎え。会場には初期のタイトルを集めた『ショートワープ』から、『Dの食卓』『エネミー・ゼロ』『リアルサウンド〜風のリグレット〜』『Dの食卓2』『きみとぼくと立体。』まで、手がけたゲームをプレイアブル展示。『エネミー・ゼロ』のモンスター設定画や、『リアルサウンド』分岐チャートなどの未公開資料など、興味深い展示も。他に飯野サンの愛読書や、飯野サンが生前に愛用されていた楽器類の展示もありました。

そして壁にはプロジェクターで投影された飯野サンのスナップ写真の数々。
その中に飯野サンと筆者のツーショットもありました。およそ18年前の写真で、筆者が26歳、飯野サンが27歳の頃(後から知って驚愕したんですが、実は飯野サンは筆者の1歳年上でした!)。写真の中では時が止まっています。別冊『飯野賢治の本』まで出版したのに、絶縁状態になってから、撮影した写真類をまとめて送付したんですよね確か。だからこそ、今ここで展覧会に使うことができている。なんというか、いろんな思いが駆け巡りました。


どこか寝覚めが悪いのは、会場に出ずっぱりの飯田サンも同じだったよう。『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』とアバンギャルドなゲームを連作し、飯野サンと共に新世代のゲームクリエイターとして注目を浴びた一人でした。そういえば『飯野賢治の本』で、お二人に対談をしてもらいましたっけ。しかし筆者と同じように、2000年代以降関係が薄まり、そうこうするうちに二度と会えなくなってしまいます。

そんな中、飯野サンがなくなる直前に温めていたスマホ向けアクションパズル『KAKEXUN(カケズン)』の企画書を知り、クラウドファウンディングでの資金調達を前提に、「自称ゴーストクリエイター」として開発に挑戦することに。伊達や酔狂では、ここまでできないですよ。
当日は会場に遊びに来た子供たちが、『きみとぼくと立体。』を遊んでいる様子をUstreamで配信しながら、飯野サンとの思い出についていろいろと語ってくれました。90年代後半はプレイステーションバブルと呼ばれ、家庭用ゲーム機の国内市場が一番大きかった頃。そしてみんな20代で、若かったんですよね。

んでもって終了後、さらに寝覚めが悪いクリエイターが登場。自分の分身と徒競走ができる『スポーツタイムマシーン』などの作品で知られる犬飼博士氏が、DJ機材のセッティングをはじめました。なんと犬飼サン、生前に一度だけ飯野サンにインタビューをしていて、その時の録音テープを音源に、DJプレイをするっていうんですね。十何年ぶりに聞いた飯野サンの生声がリフレインされ、さまざまな楽曲と共にリミックスされて、会場に響き渡る体験は強烈。まさに音楽と思想の融合というか、この訳の分からない圧倒さ加減がまさに飯野賢治というか。Ustreamで録画ビデオがあるので、よければ見てください。

行って初めて分かったんですが、要するにこれ、飯野サンについて寝覚めの悪い思いをしているクリエイターが、入れ替わり立ち替わり集まって供養する「ゲーム葬」でした。ゲーム業界はまだまだ歴史が浅く、そんなに鬼籍に入られた方はいないんですが、それでも故・横井軍平サンとか、やっぱり何人かいらっしゃいます。そういった人たちを、どうやって見送れば良いのか。もやもやとした思いと、どんな風に決着をつければいいのか。ゲームのレビューって何なのか(おいおい!)。僕らはまだその方法論を見つけていません。でも、だからこその試みだといえるでしょう。

ちなみに、最終日の夜はホントにホントのサヨナラということで、特別イベントも用意されているとのこと。14日の「籠城」を経て、飯田サンはゲーム菩薩になれるのか。奇しくも最終日を迎えるクラウドファウンディングは、ぶじ調達に成功するのか。ぜひ足を運んでみてください。
(小野憲史)