最近のプロ野球はデータを使った分析がかなり進歩している。例えば、日本ハムは選手能力を数値化した独自システムを開発しているし、楽天も先日にデータ分析を行なう「チーム戦略室」にネットで著名なやまもといちろう氏を招き、大きな話題となった。

メジャーリーグでは映画「マネーボール」で描かれていたように、日本よりもかなりデータ分析が進んでいる。

しかし、日本でも「マネーボール」が話題になる以前にデータをもとにして多くの勝利をもたらした名将がいた。野球ファンであればすぐに誰であるか分かるだろう。「野村克也」である。
現在主流の統計学的データとは少々違うが、スコアラーが記録した配球などのデータなどを参考に、経験や勘に頼らないID野球を確立した人物だ。
この話だけを聞くと野村という人物がデータのみを信じるという合理主義的な側面を持っていると思われがちだが、関係者の話を聞くと必ずしもそうでないことが分かる。

それでは、『読む野球』(読む野球-9回勝負-No.3―野村克也を読む:主婦の友社)をもとに野村ID野球の別の側面を観ていこう。

【個人的な心情で人を選ぶ?】


野村は合理的イメージがあるが、選手に対しての好き嫌いがはっきりしている。本書で語られているのは、杉浦亨が語るエピソードだ。当時ヤクルトの監督だった野村から「寿司を食べないか」と誘われた杉浦は、「今年は減量して追い込んでいるから」と断った。それに対して野村は、「いいんだよ、オマエに食わせる寿司なんてねぇから」と怒りを露わにしたという。
杉浦は、野村監督は自分に服従しない人に対して、このような冷たいことを言う人だと話す。

また、その一方で野村は意外にも天才型の選手を好んだ。
本来、"ID野球"を信条とする野村にとって、データに関係なく勘でプレー出来てしまう天才は相容れない印象があるにもかかわらずだ。
例えば、「試合中に眠くなったこともある」と語るなど天才(天然?)エピソードに事欠かない石井一久に対しても、野村はヤクルト監督時代にエースとして扱うなど相性が良かった。そして、数々の仰天行動をして"宇宙人"と呼ばれた新庄剛志に対しても4番を打たせるなど優遇し、新庄のメジャー移籍時には「たったひとりのレギュラー選手がいなくなってしまった」と語ったほどだ。
さらに、ヤクルトで活躍した飯田哲也も野村に天才と呼ばれ、ミーティングの免除すら認められていたことを明かしている。

【情をかける一面も?】


そんな感情で動く側面を持つ野村は、選手に対して情をかける一面も見せる。
野村の楽天監督時代に4番を担った山崎武司はこう語る。「野村監督は冷酷、非情と思われがちだが、ピッチャー交代のときに"ここで代えたらくさるかなぁ"と漏らしたり、代打を出された選手に"悪かったなぁ"と一声かけたりする」

このような情深い一面は選手の記録がかかっている時にも表れる。

例えば、伊藤智仁が奪三振の日本記録に後ひとつ足りなかったとき、ベンチで誰も気付かなかった。後にその事実を聞かされた野村はヘッドコーチに「なぜ、言わなかったのだ! 教えてくれれば伊藤に新記録を狙っていいぞと教えられたじゃないか」と怒ったという。

【ID野球の真の姿】


ここまで意外ともいえる合理的ではない野村の側面を見てきた。では、そんな野村が信条とし続てきた"ID野球"の実態とはどんなものだろう。

かつて南海でともにプレーした江本孟紀は「自分たちは最新のデータ野球を学んでいるという自信はついたが、ピンチになればデータとかは忘れる。そもそもアウトコースを投げろとデータで言われても必ずしも投げられない。
つまりデータが直接役にたつことはない」さらには、「ID野球は実は中身は大したことない。あの野村がやるからと相手が必要以上に警戒しただけ」と語る。
また、楽天時代は野村のブレーンとして知られた橋上秀樹もこう語る。「野村さんの野球は決してデータで選手をがんじがらめに縛るものではない。むしろ選手本位、選手の自主性を大事にする野球だ」

これらの発言から考えると、「データ通り緻密に、勘に頼らない野球をする」という従来のID野球のイメージが崩れる。つまり、本来のID野球とはデータを選手たちに伝えはするが、必ずしもデータに捉われてプレーしろというものではないのだ。


それを象徴するこんなエピソードがある。
93年、野村率いるヤクルトは当時最強だった西武を日本シリーズで見事に下し、日本一に輝いた。このシリーズでは、先述の飯田が第4戦に日本シリーズ史上に残る大ファインプレーをし、さらには古田敦也は第7戦に優勝を決定づける好走塁をみせた。

しかし、この2つのプレーはどちらもベンチの、つまり野村の指示を「無視」して生まれたものだ。
飯田はベンチの指示を無視して"直感"で前進守備をし、見事なファインプレーにつなげた。また、古田もベンチの「待て」のサインに背いたことで決勝点を生みだした。

まさに「野村野球は選手本位」という橋上の言葉通りではないだろうか。ちなみにベンチの命に背いた2人であったが、野村からは特に何も言われなかったらしい。ここからも自主性を大事にするという野村の考えが分かるだろう。

確かにデータのみを追って考える野球も面白い。しかし、データで表せない選手たちの本能や人間ドラマなどといった面白さがあるのもまた野球ではないだろうか。
(さのゆう)