メジャーで奮闘している川崎宗則を見ると、とても陽気で明るいというポジティブな印象を受ける。ヒーローインタビューで不慣れながら英語を元気に話す姿や、ダンスを披露している姿を何度か目にしたことがある人も少なくないだろう。

だが、川崎が昨年書いた著書「逆境を笑え」(著:川崎宗則/文藝春秋)を読むと、彼自身の性格はとてもネガティブであり、それを見せないためにも明るく振る舞っている姿を知ることができる。

【1人でいるのが好き】


川崎は幼少時代から1人でいるのが好きだったと語る。そのため、人を巻き込むことは嫌いらしい。これは彼が皆を巻き込んでインタビューなどを受けている姿からはまったく想像できない事実だろう。
さらには、1人で練習することも好きだとも言っている。もちろん野球は9人いなければできない競技であるが、川崎は1人でカベ当てをし、1人で素振りをするのが中学時代からの日課であった。

【ドラフト指名、その時の心境は】


そんな幼少からの努力が実り、川崎はダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)から指名されることとなる。だが、そんな快挙にも川崎はまったく喜びを見せることはできなかったという。
指名される前には、「期待していると痛い目にあう」と考えて期待しなかったし、むしろ自分は4年後のプロテストを目指して努力しているのだから邪魔をするなと思ったらしい。
そのため、晴れて指名された後も自信がなく、9割は不安の気持ちを抱き、焦りや怖さが募ったという。インタビューでも嬉しい顔ができず、「1軍で試合に出ることは約束できない」とかなり弱気な発言をするほどだった。

【「死にたい」】


そんな川崎は案の定、プロ野球選手になった後も弱気だった。
アマチュアと比べ、プロは実力が違いすぎるため頑張れなかったと語る。不安に勝てない地獄のような毎日であったため、母親に対して「死にたい」と漏らしてしまったほどであった。だが、次第に練習の成果が試合でも表れ始めると、死にたいと口走ることもなくひたむきに野球の練習ができるようになったという。


【アメリカでの苦悩】


日本で実績を残した川崎はアメリカへの渡ることへとなるが、そこでも語学面などの環境の違いに苦しんだ。精神的におかしく、怖くて眠れなかったこともあり、普段の自分とは違っていたと本書内で語っている。
また、メジャー2年目はマイナーリーグからのスタートであったが、そこでの環境は地獄であったらしい。というもの、もちろん環境的にも長距離のバス移動などキツイ面があるが、なによりも通訳をつけていないために言葉が分からず、どの練習をするかも分からない。
こうしてみると、通訳をつければいいのではないかとも思う。実際、川崎自身は通訳を雇うのに充分なお金を持っているし、雇っても何らおかしくない立場もある。
だが、川崎のこの姿勢こそ、ネガティブな気持ちを持っていながらもポジティブに振舞うことができる理由が隠されている。

【大事なのは前に出ること】


川崎は通訳をつけなかった理由を「確かにいれば楽だが、いなければ無理ということはないはず。」「もちろんやってみると恥をかくし、痛みも味わう。でもやらないことが一番ダメ。」と語っている。
川崎はどんなに自身が辛い立場に置かれても「前に出る」ことで乗り越えてきたのだ。
彼の考えによると、人生において失敗とか成功とかはなく大事なのは前に出ること、前に出れば後ろ向き(マイナス)の気持ちもプラスに変えることができるのだ。
とはいえ前に出れば痛い思いだったり辛い思いだったりをすることも多い。そんな時、川崎は強がってやせ我慢をするらしい。
本書では「日本人は強がるんだ」と語っている。

そういえば、この本のタイトルは「逆境を笑え」であるが、とあるテレビ番組では、情熱の源流となるワンフレーズを聞かれたときに「逆境を笑え、苦笑いで」と語っていた。この言葉には、どんなに辛くて本当は笑えないような状況でも、たとえ強がりでも笑って前に進もうという川崎のメッセージが込められているように感じる。
辛い状況でも笑顔を絶やさずに努力を怠らず、インタビューなどもひたむきに答える姿勢だからこそ、川崎は多くの人に好かれるのだろう。
そんな川崎の姿勢からは私たちも多くの学ぶところがあるのではないだろうか。
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