『ダウントン・アビー』は2010年から英国ITVで放映されている連続歴史ドラマだ。今年2015年、シーズン6で完結するらしい。

20世紀前半、グランサム伯爵家の邸宅ダウントン・アビーを舞台に、激動の転換期を生きる英国貴族の一家と、それを取り巻く人々を描く。

実在する大邸宅で撮影される100年前の貴族(と使用人たち)の生活は、重厚にして華麗、また奇妙に滑稽でもある。衣裳や家具・食器から犬や馬などの動物まで、ぬかりない演出がすみずみにまで行き届いている。
ストーリーは恋あり戦争ありホラーあり、またミステリとしては従者ベイツの妻殺し疑惑と、『犬神家の一族』で言う佐清(すけきよ)に相当する顔に大怪我を負った自称相続人の存在が魅力的だ。
そしてオースティン『ノーサンガー・アビー』からイヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』までの英国小説でおなじみ

「お金ネタ」
「結婚ネタ」
「悪趣味な皮肉」

の3点セットも各話特盛状態である。シーズン3では『回想のブライズヘッド』ばりの宗教ネタまで登場した。


ちょっと出てくる脇役に至るまで、濃いめのキャラクターばかりだ。毎回観終わったあとくたくたになってしまうくらい、視聴者の鼻面を引き廻すメロドラマなのだ。
この文章を書いている2015年4月現在、日本ではスターチャンネルが『ダウントン・アビー 貴族とメイドと相続人』の題でシーズン4まで放映している。
また地上波では、NHK総合が『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』の題で、シーズン3を放映中だ。僕はNHKで観ているので、シーズン4や5がおろか、シーズン3第7話以降どうなるのかはをまったく知らないまま、この文を書いている。
昨年NHKで放送が始まると評判となり、たちまち大人気ドラマとなった。
《ミステリマガジン》2015年2月号が特集『ダウントン・アビー 館をめぐるミステリ』を組んだのは記憶に新しい。

先ほど書いたとおり、このドラマはディテールの説得力が素晴らしく、それについては多くの人がたぶん書いていることと思う。ここでは敢えて、プロット(筋)のマクロ構造の魅力に目を向けてみたい。

巨視的な観点から論じるならば、このドラマは、作劇術(ドラマトゥルギー)や物語論(ナラトロジー)で言うところの「パラレリズム」(意味の並行現象)のお手本みたいな展開がじつに多いのだ。
パラレリズムとは、複数の人物が似た構造のできごとを経験することだ。あるキャラクターが、すでにべつのキャラクターによって経験されたのと似た事態に巻きこまれるとか、あるいは、複数のキャラクターが各自の文脈で、同時に同じような行動に出るようなパターンを言う。

「複数の人物が似た構造のできごとを経験する」パターンで有名なのは、高畑勲が『かぐや姫の物語』として映画化した『竹取物語』の中盤だ。姫が5人の求婚者に無理難題を出し、ひとりひとり失敗していくというもの。
ロシア民話をもとにしたトルストイの童話『イワンのばか』にもパラレリズムが見られる。この話では三人兄弟がひとりずつ試練にかけられる。こちらは『竹取物語』と違って、最後の三男イワンは無事試練をくぐり抜ける。
ちなみに3というのは民話では魔法の数字で、魔法使いは3つの願いをかけさせてくれるし、魔除けアイテムも3つくれるパターンが多い。


いっぽう文学理論家M.-L・ライアンが『可能世界・人工知能・物語理論』で「複数のキャラクターが各自の文脈で、同時に同じような行動に出る」パターンとして挙げているのが、O・ヘンリーの『賢者の贈りもの O・ヘンリー傑作選I』(小川高義訳、新潮文庫)の、貧しい夫と妻が、それぞれ自分の持っているものを犠牲にして相手のためにプレゼントを買いにいくという展開だ。

パラレリズムは、物語ではほとんどのばあい、同一主題の反復あるいは変奏としてあらわれる。とくにシェイクスピアやボーマルシェの喜劇で、複数のカップルがそれぞれモメる展開において、うまく使われてきた。
『ダウントン・アビー』はこのパラレリズムをうまく利用しつつ、ぱっと見には意識されないように、大きな図式のなかにうまく埋めこんでいる。
登場人物の多い、入り組んだ長尺のドラマであり、衣裳やちょっとした台詞の妙といった細部に気を取られていると、埋めこまれた柄が大きすぎて、つい見逃してしまいそうになる。けれど、あきらかにこの「パラレリズム」を意識した作劇術が随所にみられるのだ。


パラレリズム(1)「いい人だけど愛せない」相手との婚約


(a)1914年に戦争(第1次世界大戦)が勃発、第2シーズンで第2下僕ウィリアムが応召することに。ウィリアムは厨房メイドのデイジーに恋しているが、デイジーは彼に恋心を抱けない。
 料理長パットモアは戦地に赴く彼を落胆させないように、デイジーにはっきり断らせず、ウィリアムはデイジーが自分の好意を受け入れてくれたと誤解したまま、マシュー(次項参照)の従者として戦地にゆき、重傷を負って帰邸。
 はっきりノーと言えないデイジーは、周囲の圧力に抗せぬまま、愛ではなく同情から、病床にいる瀕死のウィリアムと結婚式を挙げる。
(b)シーズン1末尾で伯爵家長女メアリに求婚し、よい返事がもらえなかった遠縁の若き弁護士マシューは、気を取り直して同業者スワイヤー氏の娘ラヴィニアと婚約し出征、下半身に重傷を負って帰国。ラヴィニアは一生下半身不随だとしてもマシューを愛し続けると決意し、その献身的な介護もあってか、マシューの身体は奇跡的に回復する。
(c)伯爵家次女イーディスは男運が悪く、好きになった男はほかに好きな人がいたり、もう結婚していたりする。
シーズン2後半では、父と交友のあるストララン卿に惹かれていく。卿は現在独り身だが、イーディスとは親子ほども年が離れているうえに、片腕が不自由だ。それを理由に卿は彼女の求愛を避けつづける。
シーズン3にはいって、彼はようやく根負けしたように彼女を受け入れ、ふたりは婚約するが、結婚式のその場で、卿はやはりこの結婚はいけないと言いだし、一方的に婚約を破棄する。
この(1)(c)は、『イワンのばか』における「3番目のどんでん返し」に相当するだろう。

パラレリズム(2)その愛せない婚約(結婚)相手が死んで後悔→しかも相手が遺産を残してくれるのでさらに後悔


(a)ウィリアムは病床での結婚式の直後に、妻にキスもできぬまま息をひきとる。
 デイジーはウィリアムを騙したまま死なせてしまったことを悔やみ、彼の遺族年金(戦死あつかいのため好条件)を受け取ることにも抵抗を示す。さらにシーズン3では、ウィリアムの老父で農場経営者のメイソン氏が、息子の嫁であるデイジーに、自分の農場の後継者になってほしいと持ちかける。
(b)折しも1919年のインフルエンザ大流行(「スペイン風邪」)で邸内のだれかれが病に倒れるなか、屋敷に滞在中だったラヴィニアもこれに罹患。症状は軽いかに見えたが、結婚を控えたマシューの心がまだ伯爵家長女メアリに残っていることを知ったラヴィニアの病状は急変し、幸せになってほしいとマシューに言い残して世を去る。
それからさほど間を置かず、ラヴィニアの父スワイヤー氏も死去し、上位の遺産相続権保持者たちが揃いも揃って行方不明あるいは死亡済だったため、娘婿になるはずだった下位のマシューが、シーズン3では莫大な遺産の相続権を持つことになる。
マシューはそのときにはメアリとよりを戻し、結婚してしまっていた。ラヴィニアを裏切ったという後悔から、彼は遺産の受け取りに難色を示すが、あることがきっかけで遺産を最終的には継承し、傾きかけた伯爵家の財政を救う。
ちなみに、詳細は省くが、マシューの心変わりのきっかけとなったこの「あること」にはデイジーがかかわっていた! 粋なパラレリズムだ。
またシーズン3では、マシューが伯爵領農場の放漫経営の問題に取り組もうとする。彼が本気で農場経営にコミットすることになれば、デイジーとマシューの運命はますますパラレリズム的な相似を示すことになるだろう。

パラレリズム(3)身分違いの結びつき→身分が上の者が子どもを残して死亡→死者の両親は孤児となった孫をどうする?


(a)シーズン2で、邸宅は負傷兵の臨時病院となる。「いつまでも貴族の下で働いてなんかいられない」と考えている新入りメイドのエセルは、入院中の色男ブライアント少佐と邸内で逢い引きし、それが見つかってクビになる。
 少佐の息子を産んだエセルはシングルマザー生活に苦しみ、少佐を探すが、彼はすでに大陸戦線で戦死していた。慈善事業に携わるイザベル(マシューの母)の尽力で、少佐の両親が孫息子を引き取ることとなる。
(b)屋敷の運転手であるアイルランド人トム・ブランソンは、伯爵家三女シビルと恋に落ち、周囲が危惧するなか、身分違いの結婚に踏み切る。シビルは娘を出産するが、そのまま死亡。この文章を書いている現在、NHK放映版シーズン3第6話では、少佐の両親同様に伯爵夫妻が孫娘(亡母同様シビルと名づけられた)を引き取るかどうかが焦点となっている。

古典劇のようなパラレリズムは、探してみればほかにもあるかもしれない。ここに挙げた(1)(2)(3)のパラレリズムの最大の特徴は、

「まず使用人階級に起こったことが、そのあと伯爵家の人々に起こる」

ということなのだ。
こうなると、いろいろ勘ぐりたくなる。
使用人たちのあいだで起こった最大のできごとといえば、従者ベイツが妻殺しの容疑で服役したことだ。
たとえば使用人から伯爵家の仲間入りしたブランソンには、アイルランド独立運動にかかわり、テロ疑惑で追われたことがあるが、こんどは彼が逮捕されたりしないのだろうか? なにしろシーズン3第6話までしか観てないので、好き勝手に想像するばかりである。
またシーズン2の最後のほうで、使用人たちがプランシェット(こっくりさん)をやっていて、館にいるなにものかの霊(?)からメッセージを受け取る場面がある。
もしこの「霊」とやらが実在していたら? このときには三女シビルは存命だったから、作中において邸内で死んだのはウィリアムとラヴィニア、そしてシーズン1冒頭でとんでもない死にかたをしたイケメンでヤリチンのトルコ外交官パムク、の3人だ。さて、だれだろうか?
幽霊は、家具や美術骨董品と並ぶ、英国の屋敷の付属品のひとつだとも言う。登場人物に霊まで入れてしまえば、パラレリズムの可能性はさらに広がってしまうのではないか?
(千野帽子)