
1997年の神戸連続児童殺傷事件を起こした人物による手記だと書かれている。
この本は二部構成になっており、雰囲気ががらりと異なる。第一部は幼少期から事件前後について。客観的記述は少なく、思い入れの強い出来事などが、比喩を多用して書かれている。第二部はおもに社会復帰について。個別具体的な更生への段階、復帰にあたって就いた仕事についてなどが客観的な表現で書かれている。それぞれページ分量は同じぐらいだ。
最後には、事件の被害者遺族に無断で出版したことを謝罪する文章が付け加えられている。この本を本当に犯人が書いたとしても、書きたいことだけが書かれたものだ。非常に残酷な表現なども多い。
自分は彼と同じ年に生まれ、暮らしていた地域も近く、この事件に対する関心も大きかった。だけどそんなこととは関係なく、「自分にはほとんど何も分からないな」ということが本当によく分かった。
加害者や被害者やそれぞれの遺族のような、事件に近い「当事者」たちと、自分のような無関係の「それ以外の人」とは、遠く遠く離れた距離感がある。さらに、これだけ大きな事件だ。ただでさえ想像もできないことが多い上に、公表されておらず自分などには知ることができないことも多い。
「新聞やテレビ、数冊の本で事件について知っただけ」。ほとんどそんな状態でこういう物を読んでも、自分に考えられることは本当に少ないんだなと、改めて、強く理解できた。
その一方で自分は、「この事件が起こった社会に所属する人間」としては「当事者」だ。その当事者として考えたりしていくことは少なくないと思う。
(香山哲)