【長嶋・イチローも プロ野球から生まれた流行語】
■1994年 イチロー(効果)
1994年はまさにイチローの年になりました。現在ではメジャーでもレジェンドの扱いを受けているイチローですが、彼がブレイクしたのは1994年でした。この年に登録名を鈴木一朗からイチローに変えて大ブレイク。シーズン200本安打、打率.385を残しました。このときはカタカナの登録名が珍しかったこともあり、大きなインパクトを残して流行語となりました。
■1995年 NOMO・がんばろうKOBE
この年はメジャーとプロ野球の両方で流行語が誕生しました。メジャーではこの年から海を渡った野茂英雄が大活躍。日本人選手のパイオニアとして13勝、最多奪三振、オールスター先発などの実績を残しました。トルネード投法と呼ばれる変わったフォームで好投する彼の姿に日米の野球ファンが熱狂し、「NOMO」という言葉が世にあふれました。
そして日本では「がんばろうKOBE」。この言葉は1月に起きた阪神淡路大震災からの復興をテーマに掲げたものです。
■1996年 メークドラマ
1996年のセリーグはドラマチックなものでした。前半戦に首位を独走していたのは広島東洋カープ。巨人は広島と最大11.5ゲーム差をつけられてしまいます。しかし、ここから脅威の追い上げを見せて最終的には見事巨人が逆転優勝を果たしました。ちなみにこの「メークドラマ」という言葉は長嶋茂雄の造語であり、改めて長嶋さんの天性の言語センスがうかがえます。
■1998年 ハマの大魔神
この年は横浜ベイスターズが38年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝いたこともあり、プロ野球はこの話題で一色でした。その横浜ベイスターズの中でも特に印象的だった選手が「ハマの大魔神」こと佐々木主浩です。150km/hを超えるストレートと魔球と呼ばれたフォークボールを武器に絶対的なクローザーとして君臨し、この年は45セーブ(当時の最多記録)をマークしました。
■1999年 雑草魂・リベンジ
1999年は2人の新人がプロ野球を沸かせました。1人目は巨人の上原浩治。
そしてもう1人は松坂大輔。西武に入団した彼は高卒ルーキーながら16勝をマークして最多勝を獲得します。松坂は4月のロッテ戦で黒木知宏と投げ合って惜敗します。この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、次のロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録して有言実行しました。上原と松坂を象徴する「雑草魂」・「リベンジ」という言葉が流行語大賞を獲得しました。
ここまで見てきたようにその年に活躍した選手やチームを表した言葉がやはり流行語になるんですね。今年のプロ野球は先述の横浜ベイスターズが1998年以来の優勝もあるのではと言われています。もし優勝した暁にはどのような流行語が生まれるのでしょうか。そのような観点からもプロ野球を見てみてはいかがでしょうか。
(さのゆう90)
(「週刊ベースボール 平成10年6月29日号」)
