現在、CD不況といわれ、ミリオン(100万枚)を超える曲は少なくなっています。しかし、90年代の音楽シーンではなんと100万枚、200万枚のヒットは当たり前でした。
今となっては懐かしい、誰もが口ずさめる曲がたくさん誕生したこの時代のJーPOPを振り返ります。

【B’zやZARDも ビーイングの黄金期】



90年代初頭はまさに音楽事務所・ビーイングの全盛でした。この事務所からはB’z、ZARD、WANDS、DEEN、大黒摩季などの数々の有名アーティストを生みました。意外なことに、1990年の年間1位で大ブームを生んだ「おどるポンポコリン」を歌うB.B.クィーンズもビーイング所属なのです。
そんなビーイングの最盛期は1993年。年間チャート上位30曲の半分をビーイング系のアーティストで占めました。

【小室哲哉とミスチル現象】



94年~97年はそれまでのビーイング系に入れ替わるように、新たなアーティストが出てきました。その代表的な例がMr.Childrenと小室哲哉プロデュースのシンガー達。両方ともこの時代はミリオンを連発していました。
ミスチルは「名もなき詩」や「Tomorrow never knows」でダブルミリオンを記録、そして小室プロデュースの安室奈美恵や篠原涼子、trfなども高いセールスを残しました。また、ミスチルと同年代にデビューしたスピッツ、ウルフルズといったバンドも高い人気を集めました。

【あなたはどっち派? GLAYとラルク】



97年~99年ごろになるとそれまでと違ったスタイルのバンドが音楽シーンの中心に立ちました。いわゆる「ビジュアル系」と呼ばれるようなルックスのGLAYとラルクです。ブレイクした時期や風貌など多くの共通点があったこともあり、ライバル関係のように扱われることも多くありました。
そして、プロデューサーに関しても、97年を最後に勢いに陰りが見えてきた小室に変わり、つんく♂の時代へと移り変わります。
人気番組『ASAYAN』から生まれたモーニング娘。の育て親と知られ、モー娘。は国民的アイドルへと成長しました。

【歌姫時代の到来】



90年代の最後期から00年代にかけては歌姫が音楽シーンを沸かせました。浜崎あゆみと宇多田ヒカルです。宇多田は「Automatic」や「First Love」など、あゆは「Vogue」や「SEASONS」など多くのヒット曲をこの時代に残しています。また、昨年にはあゆが宇多田が1999年にリリースした「Movin' on without you」をカバーしたことが大きな話題になりました。

ここまで一連の90年代JーPOPの流れを見てきましたが、モー娘。が出てくるまで女性アイドルの人気がそこまで高くなかったことが印象的です。ももクロやAKBを筆頭に多くの女性アイドルが台頭している今とはかなり異なりますね。
今でいう女性アイドルの枠を小室プロデュースの安室や華原朋美、安室と同じ沖縄アクターズスクール出身のSPEEDが担っていたようにも感じます。

また、この時代のJーPOPの特徴として、今も口ずさめる名曲が多いことがあります。
例えばミスチルの「名もなき詩」やGLAYの「However」、安室の「CAN YOU CELEBRATE?」のように挙げたらキリがないほど。振り返ってみれば、僕もカラオケで歌う曲は90年代のヒット曲がほとんどだったような気がします。
(さのゆう90)
「揺れる想い」
「イノセントワールド」
「Winter,again」
「First Love」
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