
熊野古道は世界的にも珍しい巡礼路
「スタートとゴールがいずれも聖地、という巡礼路は世界的にも少ないと思います。一般的に巡礼路は目的地に1つ聖地があるか、小さな聖地をいくつも順番に回っていくスタイルがほとんど。伊勢神宮をスタートし、熊野三山をゴールにするというのは、日本で最も贅沢な巡礼路といえるかもしれません」
そう話すのは、先ごろ発売されたガイド本『熊野古道伊勢路を歩く 熊野参詣道伊勢路巡礼』(サンライズ出版/2160円税込)の著者である伊藤文彦さん。三重県職員の文化財保護技師であり、2010~2012年には世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の保護を担当した。

熊野古道伊勢路の一部は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産にも登録されている。世界広しといえども、世界遺産に登録された100キロを越えるような巡礼路というのは、ほかにスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」しかない。ちなみにサンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム、ローマと並ぶ、キリスト教の3大聖地のひとつだ。
来訪者は増えたのに宿泊者は減っている?
世界遺産登録をきっかけに、熊野古道伊勢路を訪れる人は急増し、登録前には年間10万人にも満たなかった来訪者数が、昨年度は年間30万人を突破。ところが、沿道の民宿のなかには「むしろ以前より宿泊者数が減った」という声もあるという。なぜなのか?
「峠道だけを歩いて、石畳や美林に感動したら帰ってしまう人が多いんです。でも、巡礼路の真の感動は、実際に伊勢から熊野まで歩くことで味わえるのではないでしょうか。熊野古道伊勢路も、まさにスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のように、伊勢から熊野まで実際に歩き旅をしている人の姿があって、はじめてその価値が目に見えるものとして屹立(きつりつ)するものなのだと、私は考えています」と伊藤さん。自身も訪れたサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路には世界中から多くの人がその道を歩くために訪れている。
全長200キロの道のりを踏破するには
伊藤さんは、熊野古道伊勢路を歩き旅する人が増えることを目指し、2012年から「伊勢から熊野へ聖地巡礼歩き旅復活プロジェクト」を主宰。伊勢神宮から熊野三山まで熊野参詣道伊勢路を完全踏破し、サイトや講演会を通して、巡礼歩き旅の復活を訴えている。今年6月には巡礼路のガイド本『熊野古道伊勢路を歩く 熊野参詣道伊勢路巡礼』も発刊した。

しかし、私のような歩き旅未経験者からすると、伊勢から熊野まで約200キロを歩く、というのは途方もないことに思える。
「確かに、毎日歩き続けるのは大変ですし、峠越えでは息も切れ、私もどうしてこんな旅に出てしまったのかと思ったこともあります(笑)。しかし、実際に歩き終わってみると、言葉では表せないほどの心の震えを感じました。それは、旅が終わってしまうという寂しさまで含んでいました」
歩き通すには約2週間かかるが、何度かに旅を区切る「区切り打ち」もOK。2泊3日の行程なら6回程度で伊勢神宮から熊野本宮大社、熊野速玉大社を経て、熊野那智大社に到達できる。
「石畳とそれをとりまく杉や桧の林はそれだけで絵になりますが、峠から見える海の景色や、集落の中に並ぶ日本の伝統的な家屋は、おそらく都会の人からすると懐かしさを感じるのではないでしょうか。もちろん、そこから垣間見える人々の暮らしや、旅の途中で出会う人々との交流も魅力的です」

ベストシーズンは春と秋だが、紀伊半島は温暖な地域。冬でも雪山に登るような装備は不要で、ふつうの防寒をすれば問題なく歩けるそうだ。

本は詳細な地図と名所解説で構成されており、ルートマップや見所ガイドに加え、プランニングの例や持ち物など旅支度にまつわる情報も充実。
「これほど素晴らしい旅が日本でもできる、ということを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います」という伊藤さん。約1000年も昔から人々が旅してきた祈りの道。歩き通した先には、きっと想像を超えた感動が待っているのだろう。
(古屋江美子)